2015年1月11日日曜日

絹本著色富士曼荼羅図

曼荼羅図:仏教(特に密教)において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字、神々などを用いて視覚的・象徴的に表したもの。wiki

村山浅間神社を一回りした後で、こりゃ富士宮の浅間神社にも行っておかなければ!となりました。車で20分ほどで到着。結構な混み具合で、車を止めるのにちょっと苦労しました。入口近くの観光案内所に立ち寄り情報収集。ここにも観光ボランティアの方が何人か。
世界遺産登録の影響なのか、たくさんの種類のパンフレットがありました。そのパンフレットが好ましいと思えた理由は、観光地にありがちな宿泊施設とか食べ物に関するものとかが中心ではなく、世界文化遺産の構成資産の案内が中心だということです。富士山が世界文化遺産としてふさわしいという根拠というのが構成資産ということだと思います。構成資産は全部で25。その山体だけでなく、周囲にある神社や登山道、風穴、溶岩樹型、湖沼などがあります。構成資産として認められるかどうかヤキモキされたのが三保ノ松原でした。観光ボランティアのの方に案内された場所に向かいました。


無料です。

御手洗橋交差点を東に向かい30mくらい、「長屋門歴史の館」です。村山浅間神社を訪ねたときから気になっていた曼荼羅図がありました。本著色富士曼荼羅図(けんぽんちゃくしょくふじまんだらず)国指定の重要文化財だそうです。オリジナルは富士山本宮浅間大社に保存されているようですが、ここでまじかにレプリカが見学できると教えていただきました。


長屋門歴史の館を西から東に見ています。奥はレストランです。


絹本著色富士曼荼羅図(けんぽんちゃくしょくふじまんだらず)

多くのパンフレットに取り上げられている曼荼羅図です。今から500年くらい前の室町時代に書かれたものだそうです。狩野派の狩野元信かのうもとのぶ作とも言われているそうです。


説明をしていただいた男性がとてもユニークな方で、奥様は山梨の富沢のご出身。顔は泉ピン子だけど、山梨の女性はよく働きとてもありがたいと、話はあらぬ方向に行ってしまう60代の男性でした。

下は曼荼羅図の部分解説です。手前右に三保ノ松原が描かれていて、関所も描かれています。三重塔は今の清水区の清見寺だそうです。その上に富士川の渡しがあり、ちょうど船が見えます。富士川を渡って今の富士山本宮浅間大社を目指すわけです。このルートは西からくるもので、この曼荼羅は富士山にいらっしゃい!という意味合いのいわば観光ポスターだったなんてこともおっしゃってました。東からくるルートは、富士市の吉原から富士山本宮浅間大社に至ったようです。初代英国公使オールコットの外国人の初富士山は東からのものでした。


富士山本宮浅間大社付近。湧玉池わくたまいけでの禊の様子も見えます。


小屋の中には遊女?

松明たいまつを受け取る道者(修験者)。曼荼羅図の上のほうに描かれていて、今でいうところの森林限界付近(2300mくらい)ではないかということでした。全員白装束です。女性はいません。松明もただではなく、一本が今のお金に換算すると¥4000くらいだったそうです。ということは夜間登山も行われていて、入山料が¥4000ということだったのでしょうか?


浅間大社に向かいます。天気も良くて富士山もばっちりです!川は神田川と書いてありました。湧玉池の湧水が川の始まりです。


西側の流れと溶岩の石垣

参拝の方が並んでいました。立派な檜皮葺(ひわだぶき)の屋根


御祈祷は別料金


こんなものが飛んできたらひとたまりもありません!


信玄桜と呼ばれているしだれ桜


湧玉池わくたまいけ

湧水の一段下の禊所


富士宮の町と富士山


やはり富士山、奥が深いです。今回できたイメージは、富士吉田のほうは富士講という講中登山が主で、富士宮は修験者の道というものでした。その重要な拠点である村山浅間神社には、毎年京都の聖護院から修験者が来て護摩焚き神事を行い、富士山の開山とするようです。

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