2015年4月23日木曜日

平安後期の土器

 世紀の大発見!?

先日の中津森地図読みで、登山道もない山中で見つけたものです。山の不思議がまた一つ増えてしまいました。


中津森全景


中津森の山頂から南西に延びる尾根を登ります。人の営みの痕跡はこの石祠ぐらいなんですが。


赤マークの場所で拾いました。


こんな場所


拾った時の写真です。


角度をかえて


落ち葉と同色なのに・・・


このイメージは縄文ですが・・・


下黒平集落から見た中津森1475m




 山行の目的は地図読みでした。ところが、この破片を拾ったばっかりに、あちこち時間を奪われました。 まだ顛末を書くという段階ではないのですが、忘れてしまうので、一応記事にしときます。

平安時代{延暦13年794年に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間}の後期でだいたい10世紀前後の土器だそうです。知り合いの文化財関係の方に見ていただいたわけです。即答でした、10世紀の土器!さすが専門家!二人の専門家が口をそろえて平安後期の土器だというのです。時代考証はともかく本物の土器ということで間違いないそうです。これは困ったことになりました。単なるピークハントではない山の奥深さを常々感じているやぶ山三ちゃんではありますが、土器まで出てくるとは・・・山の魅力が底知れなくなってしまう・・・と感じたのでした。頭が重たい・・・

発掘調査もしている専門家の話から
山の中はさておいて、普通の発掘調査は、道路を作ったり建物を建てたり農地の圃場整備などをするときに行われることが多いそうです。そりゃそうです。日本の土地は限られてるし、現代を生きている人々の暮らしもあるわけですから。結構偶然の世紀の発見というのが発掘調査の実態なのでしょう。歴史は生き物です。考古学は、実際に発掘調査などをして「実物」から過去を読む学問です。歴史学は、書物、記録などを中心に過去を読む学問です。パソコンのキーボードどころか、紙さえ入手困難な時代の記録なのですから貴重です。またその信憑性というのも問題になります。そこにいくと考古学は実物から考えるわけですから、歴史がひっくり返ったりするわけです。

この破片から歴史がひっくり返るわけではありませんが、いち登山者として、1000年以上も前にこの山中で人の営みがあったということを肝に銘じて活動していこうと思いました。



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