2018年5月10日木曜日

みたけ道岩下ルート2018

❖山梨における「みたけ道(みたけみち)」というのは、日本百名山の「金峰山」の山岳信仰のルートのことを言います。山宮が山頂横の「五丈岩」の南にあり、そこに登るのに里宮の「金桜神社」にまずお参りして行くというのが正しい金峰山登山でした。金桜神社のあるのが甲府市御岳という地区です。昔のルートは金桜神社から猫坂を通り、黒平集落を経て、御室小屋に泊り山頂を極めるというものでした。
山梨の地名を考えるとき、参考になる資料として「甲斐国志」文化11年(1814年)成立の江戸時代の地誌があります。その中に金桜神社に至るみたけ道は9口あると書かれています。(甲斐国志 巻ノ二十 山川部第一 巨摩郡北山筋)吉沢村、塚原村、亀沢村、万力村、西保村、杣口村、穂坂村、江草村、小尾村です。当然現在では麓から歩いて行くということはありません。今回はその江草村ルートの一部を地図読みをしながら歩きました。


北杜市旧須玉町、山間の狭いエリアに入ると江草、比志、小尾と北上して信州峠を越えて信州川上へと至ります。旧江草村は根古屋、後藤田、下仲田、馬場と塩川右岸に集落が続きます。対岸に漆戸という集落があります。漆戸集落を通る道沿いの塩川が見渡せる高みに墓地があり、この時期イチリンソウに出会えます。ちょうど農作業中の地元の方と話すことが出来ました。「昔の道はあの橋からこっちに渡ってたんだ。」漆戸の北に大渡という集落があります。主要幹線道の県道23号線は現在、塩川右岸を走ります。塩川を渡ることなく比志の集落に入ります。川を渡ることはないので「渡」という地名は結び付かないので以前から不思議に思っていました。農作業の方の言葉で地形と地名が一致しました。


大渡集落の手前の大明神峠。道は小さな峠を越えて大渡に下ります。「大明神峠」と教えてくれたのは山梨県教育委員会発行の「山梨県歴史の道調査報告書第12集 御嶽道」昭和62年刊 でした。峠でまず目に入るのが馬頭観音、道を挟んだ北側の藪にみたけ道の道しるべとしての石像。四角い石に刻まれたみたけ道の文字、その上に蓮の葉のデザインの台座、その上に地蔵尊なんですが、残念ながらばらばらに崩れています。
昔の道は根古屋を過ぎて、塩川を渡って漆戸を通って大明神峠に登り、大渡で川を渡って鳥井峠(今はトンネルです。)を越え比志の集落に入るというものでした。道は大渡で分岐して比志に行くものと小森川沿いに岩下(いわのした)に行くものに分かれます。僕らは岩ノ下を目指します。


いくつかの観音像を確認し岩下の口留番所の話などをして林道を進み、水道施設のある広場をスタート地点としました。


『文政年間(1818~1830年、約200年前)江草村の岩ノ下の萬屋と云ふ造り酒屋では、大峠まで一丁置きに、石の観世音を建立して祖先の菩提を弔ひ、これを道標に兼ね、御嶽参詣の衆への便宜を計つたのである。』
昭和10年に発行された原全教「奥秩父続」という本の中に書かれたみたけ道江草岩下ルートの観音像、石仏のいわれです。大峠は今の観音峠の西の尾根上の小さなコルです。


岩下集落からひと登りした広場のようなところから登りはじめ。昔の道は今の舗装された林道の下に隠されてしまいました。なのでこの広場からスタート。注意すると昔の道形が見えてきます。


林道の西の尾根の昔の道。みたけ道であるとともに仕事道でもあったでしょう。


藪もなくすっきりした森。炭焼き窯の跡が点在しますが、歩きやすいです。


ヨロヤ沢に入ってすぐの石仏は倒れていてすぐに見つけることは出来ませんでした。倒れているものは起こします。倒れにくいように注意しますがあまり上手く行きません。次に来るときはどうなっているでしょう?


タネツケバナ属でしょうか?ハタザオの仲間みたいでもありますがムズイ!


これは間違いないです。レンプクソウ 連福草 です。地味なのでたまたまの出合でした。根っこを引っこ抜いたらフクジュソウも付いて来た、本当にそんな名前の由来なのかどうかの連福草です。


ヨロヤ沢の地形が広々変化したところから南を見ています。いちばん奥が主稜線。参加した方が当たり前のように整置して山座同定をしてくれたのはとっても嬉しかったです。


広がったヨロヤ沢のひとつの沢を選んで進みます。鹿よけのネット、よく見ると出入り口はあります。


ヨロヤ沢の植林地、ネットを設置して苗木もだいぶ大きくなって安定してきました。植林地を過ぎて小峠に向かう沢筋の古道、倒木の処理をしてくれたのは植林地の面倒を見てきた毎年会っていた木を植える人。安定した植林地になったのでもう会うこともないかも知れませんが、チェーンソーで処理された倒木を見ると思いだす豪快な笑顔です。


小峠の石仏。


穴小屋沢に下ってちょっと歩いたところの観音像。脇の説明板の文章

『この地蔵尊と思われる石佛はこの場所に埋没していたものを甲斐木材会社が発掘したものであります。文政6年4月建立と刻まれた道標を兼ねて昔の御岳参道の行路諸人の結縁を祈ったものと思われます。これより奥の山道にもいくつもこれと同じような石佛が祀られていて往年のこの街道あり様、当時の信仰の厚さが伺われる重要な資料と思われます。
昭和4?年6月拾日  甲斐木材会社』

この観音像は現在西を向いていますが、台座に彫られた地名は全く逆なので、本来は東を向くのが正しいのだと思います。


ワチガイソウ


穴小屋沢に入っても昔の道を探りながら、地形と地形図を照らし合わせながら進みます。


ヒゲネワチガイソウ


観音像の主役、地蔵尊。延命地蔵と呼ばれることもあるそうです。


林道に出ると主稜線まではひと登りです。ルート取りがちょっと難しい。


主稜線に出るということは尾根に上がることです。尾根に上がるということは、今まで見えていなかった反対側が見えるということです。僕のお気に入り、この尾根に乗っかると今まで見えていなかった富士山が美しいところ。


大峠の石仏。今はなき道なのでどことなく悲しげに感じます。


尾根伝いに地図を読みながら下ります。峠越えした小峠の手前で広がった展望。金峰山と瑞牆山と手前に甲府幕岩。


左に登った時の植林地を見ながらの下り。このころになると皆さん慣れて道もないところを地形図見ながらどんどん進みます。


スタートの広場に戻って来ました。立派に見える山は「雨竜山1224.6m」あの稜線も面白そうです。


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