2018年11月28日水曜日

盛岡

安比高原全国ふれあい集会が終わり、ホテルに缶詰だったんで盛岡は何もわからないままだなぁ~、と友人宅にお世話になった翌朝。盛岡郊外の松園地区、北上川の四十四田ダム(しじゅうしだだむ)と岩手山。


TVのローカルニュースの天気予報の地図を見て、やっぱ地元は違うわとなったのは海岸線の表現、三陸沖のリアス式海岸がここまで細かく表現されるんだなと新鮮でした。


盛岡から山梨に帰る前、せっかくなので半日盛岡を見てみようと思いました。バス路線が発達している盛岡市、地域住民のためのバス網は住民以外にはなかなかハードルが高いです。だいたいどこでもバス網を理解するのは難しい。それでも盛岡の中心部に行くのでそこは簡単でした。バスを降りたところの近くだった有名なパン屋さん。「福田パン」


昭和23年の創業から盛岡市民のソウルフードとして親しまれてきたという「福田パン」ちょっと大きめのコッペパンにはさむものを選んで注文。おしながきに様々書かれています。バター、あんこ、ジャムだけではなく野菜やカレーやたくさんの種類があって、組み合わせは無限大に思えます。


注文すると目の前でサンドを作ってくれるわけです。選択肢がたくさんあるというのも困ったもんで、相当ドギマギしてしまいましたがちょうど空いているときで助かりました。とても懐かしい感じのコッペパンサンド。


宮沢賢治像のある通りは材木町の「いーはとーぶアベニュー」。「注文の多い料理店」の出版元の光原社や、「同人誌アザリア」を刊行した下宿屋の跡地など、宮沢賢治が過ごしたゆかりの地が材木町の様でした。(後で知りました。)


北上川です。旭橋の上から岩手山が良く見えました。


北上川舟運という説明が書かれていました。江戸から明治にかけての物流の話です。「この石積護岸は小繰舟が行き来した。北上川舟運の最上流の港として江戸時代から明治にかけて、それぞれのお店の負担により作られました。舟の荷積み、荷降ろし用の石段も取り付けられています。頻繁だった洪水防止も兼ねたものでした。城下町盛岡の風情を今にとどめています。」


石割桜。大きな花崗岩の割れ目から延びる太い幹、花は4月中旬だそうです。


盛岡って言えばといくつか思いついた見所の一つでした。石割桜。


烏帽子岩から入った盛岡城跡公園。


お城の見事な石垣と遠くに岩手県庁。


散りはじめたカエデがの葉がとてもきれいでした。


不来方城(こずかたじょう)とも言われる盛岡城です。


「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」
石川啄木の歌碑が城内にあります。旧制盛岡中学の学生だった啄木が、授業をさぼって盛岡城で過ごした時の歌です。


発掘調査が行われていました。


時間が惜しくて博物館(もりおか歴史文化館)は割愛しました。


北上山地からの流れの中津川。サケの遡上を見ることが出来るそうです。盛岡城は中津川が北上川に合流するところにあります。


空襲の戦火を免れた盛岡の街には古い建物がたくさんあります。東京駅と同じ設計者の重要文化財の盛岡銀行赤レンガ館


明治44年(1911年)に建てられたそうです。内部も見学できます。


明治43年(1910年)に建てられた旧第九十銀行の建物も重要文化財です。


宮沢賢治が使ったといわれる共同井戸。駐車場の真ん中にありました。


すぐ横に賢治の井戸清水として整備された水場


紺屋町の町屋の建物。江戸から明治にかけて建造された黒壁の商家です。


ござ九・森九商店という荒物屋さん。営業中でした。


竹細工のカゴやザルがたくさん並んでました。タワシの種類がすごいです。


目的のお店にやっと来ました!足早に観光したのはこのためです。少しでもお腹を減らしてチャレンジしたかったからです。「わんこそば」です。


店内に入ってポスターの吉永小百合と目が合った気がしました。「大人になったらしたいこと」ですって!


ふつうの蕎麦屋のメニューもあるので、まずわんこそばにするかどうか聞かれました。わんこそばはこちらへと二階に通されました。それぞれのテーブルという区切りではなく、十畳ほどの部屋に長テーブルが2列、エプロンが渡されていよいよという感じ。


薬味が運ばれてきて、カラのお椀に蓋をしたら終わりなんだと説明されたわけです。


給仕の女性が大きめのお盆に、そばの入った15杯のお椀を持ってきます。それをリズミカルにお椀に運んでくれます。はい、どんどんとかじゃんじゃんとか掛け声をかけられながら盛られます。お椀いっぱいのそばつゆが絡んだそばは一口で入る量。始まると休まない、休めないというのが基本ルール。お盆のお椀がなくなると給仕さんは補充に行きます。ちょっとロスタイムって感じにほっとできる時間です。


どんどん、じゃんじゃん、まだまだと、リズミカルに掛けられる言葉に踊らされるようにそばを口に運びます。そばの量はばらつきがあって、少ないとほっとしますし、多いと必死です。薬味をじっくり味わう余裕はなかったなぁ~


お椀15杯で普通の一人前のそばの量ということでした。料金は3000円くらいです。考えようによってはそれで食べ放題ということですが、なんとも給仕の女性の、どんどん、じゃんじゃんという言葉にペースはマックスでした。105杯までいってジ・エンド。


半日の盛岡観光が終わって盛岡駅。なんとここにも石川啄木が!盛岡にまつわる歴史上の人物はたくさんいます。大正時代の首相の原敬、前の5千円札の新渡戸稲造、米内光政という軍人も総理大臣・・・でも石川啄木と宮沢賢治がこの町に愛されている人物だと感じます。


盛岡駅で新幹線を待っていると入ってきた秋田新幹線’こまち’ はやぶさを待っていたのですがこまちと連結するんです。


車両の種類なんてわからないけど、こまちとはやぶさが繫がって320kmであっという間に仙台、大宮と走ります。


2018年11月26日月曜日

安比高原自然ふれあい集会2018

毎年5月の総会と11月の代表者会議が日本山岳ガイド協会の大きなイベントです。今年の代表者会議は岩手県の安比高原。急遽出掛けることになった東北行は新幹線でした。東北新幹線はやぶさ、大宮から仙台までノンストップで一時間少し。速すぎてびっくりです。


普段ほとんど車での移動なので、全く慣れない電車移動。東北新幹線に乗ったのは大宮からで、大宮までの乗り継ぎにチョー緊張!もはや昔は良かった・・・という世代なので、やっちまった!とならないようとにかく緊張しました。昔って、中央線で新宿に出て山手線で上野へ。東北本線に乗っちゃえば東北じゃんって感じ。それでも山手線は緊張してました。新幹線もありませんでしたし。東北新幹線、大宮から仙台までの間で世界最速の時速320kmなんだそうで、そりゃ速いわ!どこでもおんなじの新幹線盛岡駅でふれあい集会ののぼりを見たとき、現在地がわかったようで安心しました。


会場のホテルの送迎バスの時間が決まっていたので、乗り継ぎに失敗してやっちまった~なんてことになれば、一般道なのに標準コースタイムで着けないやばいガイドじゃん南て思われたくなかったのでの緊張だったのかな?今にして思えばですが。盛岡駅からホテルまでは1時間弱、東北道から見えた岩手山です。


会場のホテル。


日本山岳ガイド協会、全国代表者会議、全国遭難対策研修会、全国自然環境会議。年に一度のふれあい集会のタイトルの集まりです。去年は富山でした。来年は関西だそうです。


主管の東北のガイドのみなさま、お疲れさまでした、お世話になりました。


合間にちょこっと外に出てみるとやっぱリゾートだわ、って感じ。


懇親会、立食パーティー、スイッチオン!これは夕食も兼ねた立食なので、のほほんと各地からのガイドさんと話す機会だからとのんびりしていると晩飯がなくなるということです。もちろんいろんな情報交換も大事なんだけど、食わないと歩けません!


バブルの象徴な建物の朝。スキー場なので歩いても歩いても何ら景色が変わらないことがわかってがっくりした朝の散歩でした。


2日目も朝から夕方まで・・・


山岳遭難の話しは、まずきっかけとしての道迷いってのは全国共通です。いつもそう感じます。


世の中様々なシーンで発展していて、ご存知の方も多いとは思いますが画期的なシステムも登場しています。ヒトココ、ココヘリです。これは単独で山に入る人にとってとても大事な情報だと思います。年間3650円で探してもらえるのは素晴らしいです。


ガイド協会副会長、今井通子の挨拶を持って2日間の日程終了。


東北岩手まで行って、2日間だったんですがホテルに缶詰めって感じでした。