2019年4月16日火曜日

八丁池

天城山脈の西側「天城の瞳」といわれる八丁池です。水生地(すいしょうち)と呼ばれる国道414号から少し入ったところを登山口にしました。水生地からは御幸歩道という案内がたくさんあります。御幸(ぎょこう・ぎょうこう・みゆき)は天皇陛下がお出かけになったということ。「昭和天皇は1930年(昭和5年)6月に八丁池までの往復を歩き、この際に使用した登山道を御幸歩道と呼ぶようになった。なお、昭和天皇は1981年(昭和56年)6月にも登山している。 wiki 」
伊豆の山の登山道(登山者向けだけではなく古道も含むかもしれません)は、○○歩道ということが多いです。ここも上り御幸歩道、本谷歩道、藤ヶ沢歩道、水生地歩道、佐賀野入歩道、下り御幸歩道などが登場します。ここは御幸歩道。天皇陛下が歩くということで特別に整備された御幸歩道。


水生地に車を停めてスタート。天城越えの旧道の天城山隧道から天城峠に登りました。


天城峠。根張りがすごいブナの巨木が出迎えてくれる峠です。


天城山隧道という旧天城トンネル脇から稜線に上がってなんとなく歩いて行けばそのまま天城山の万三郎岳まで行けるわけですが、御幸歩道との関係がなんとなく釈然としません。地形図の943mの標高点がポイントです。約830ⅿの天城峠からトラバースの道が東に延び、この道標のところで90度右折して標高点943ⅿに向かいます。このポイントの標高が約850m、曲がらないで真っすぐの斜面を確認したら道が続いていました。標高点943mを稜線を進んで着くコルが向峠、その標高が約900m。


稜線に上がって出会えるヒメシャラの巨木。


ブナの巨木も負けていません。迫力のある樹々に出会える稜線です。


向峠への稜線の登山道。


向峠の道標。


峠のすぐ下の様子。やはり天城峠から90度に曲がる地点からの道が続いていました。途中で道の崩落があって通行出来ないという道なんだと思いました。


登山道が約950mで沢地形を通過する場所の下には、今は使われてはいないワサビ田の跡。ネットにたくさん登場するワサビ田です。ちょうどワサビの花が咲いていました。登山口の水生地に流れ込む沢が藤ヶ沢、その藤ヶ沢上流です。水生地の上流にあるワサビ田跡です。水生地からそのまま沢を進めば、氷室跡、夫婦木、なまこ岩と登場するようですが、そのルートはその先でワサビ田に通じるというのが自然です。ひょっとしたらそれが元々の上り御幸歩道だったかもしれません。


たくさん見られたセントウソウ。


歩きながら御幸歩道と実際歩いているトレイルとの関係は?ということばかり考えていました。どういうことかと言えば、御幸歩道はなだらかに高度を稼いでいるのに、天城峠からの主稜線は、時々急な登りが登場するからでした。道標には御幸歩道と書かれていますが、実際に昭和天皇が歩いた道ではないんじゃないかと疑問に思っていながら歩いていたわけです。答えは出ていません。


ワサビ田の後の道の石積み。ここは昭和天皇も歩いた道だといえます。


炭焼き窯の跡。


標高1100ⅿ前後からブナとヒメシャラの原生林になります。素晴らしいと言える森です。


道も少しづつ高度を上げるのでやさしい道です。


主稜線に乗っかる直前の登山道の様子。


展望台の入り口。


天城の瞳といわれる八丁池。


青スズ台といわれるピークの向こうに伊豆大島。


展望台からの万三郎岳。


八丁池の東にある立派なトイレの建物。


昭和30年代の八丁池の様子は、湖畔にある案内板に登場します。天然湖のスケートリンク。ほぼ内陸部から登って来たスケーターたち。昔の人は良く歩いたということがわかる写真です。


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