2020年9月25日金曜日

六合石室

尾白川吊り橋を渡って登山口、甲斐駒ヶ岳黒戸尾根の登山口です。黒戸尾根の登山口はもう一つ東の横手口もありますが、この竹宇口が圧倒的に多い登山者です。約2200ⅿの登りの始まりです。黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳山頂に行って、鋸岳に延びる尾根の途中の六合石室に泊まって日向八丁尾根を下る周回ルートって登山でした。


笹の平手前、この場所の景色は大好きです。条件が良ければ写真の先から甲斐駒山頂が見えます。


平成生まれのパートナーにトレースしてもらいたくて古い登山道に入った粥餅石。この読みは「かゆもちいし」が一般的ですが、本来は「かいもちいし」、甲州弁で「けえもちいし」。黒戸尾根を開いた弘幡行者が開山にあたってお粥と餅だけで修業した場所というのが名前の由来。炭水化物がないと行動できないってことでしょう。


刃渡り


五合目の鞍部、正面が屏風岩です。


梯子、鎖場の始まり。


横手前宮秋の登拝の皆さんにばったり。どうりで途中の石碑の紙垂(しで、おしんめ)が新しかったわけです。7月と9月の横手駒ケ岳神社の登拝登山。脈々と続く甲斐駒の講中登山。猟師だし山伏でもあるマルチなガイド、田村君に吹いてもらった法螺貝。


七丈小屋を運営しているファーストアッセント代表の花谷泰広さん。泊まるわけじゃないのに手ぶらで通れないって思うんでシャインマスカットが手土産。


八丈台地。


九合目を過ぎ地獄谷の覗きで遊んだりして。


奉納されたばかりの山頂の草鞋。


秋はどんどん進んでます。


甲斐駒山頂西から鋸岳に延びる尾根の上にいくつも登場する削られたステップ。その一つなんですが、歩きやすくするためのものだってすぐにわかります。戸台側からの登拝路です。


稜線の西側の大きなケルンは大事な目印です。このケルンを左折して下ると六合石室。いつの間にか大きくなっていたケルンです。そのくらい迷う人が多いのかなって思いました。


黒戸尾根の六合目は2250mくらいの標高ですが、戸台側の六合目は2520m。六合石室という無人の避難小屋はとてもありがたい小屋です。


10数年前に屋根や床がリニューアルされてとても快適になった避難小屋です。ベースの壁が石積みなので石室といわれるわけです。


1919年(大正8年)にはじめの小屋が建てられたそうです。以前は壁の石積み、隙間だらけでとても寒かったのですが、今でも隙間はあるものの目止めのセメントでだいぶ快適になりました。


意外に明るい内部。


プルコギ丼が夕食


翌朝、小屋から北に続く水平のトレースを進むと主稜線に出ます。白ザレの戸台川の石碑が有るわかりやすいところです。


三ツ頭まで進んでザックをデポ。その先の中ノ川乗越まで行くテーマだったのでピストン。写真は熊穴沢を上から覗きこんでるわけですが、強風、強風、強風でした。


中ノ川乗越


双耳峰の烏帽子岳の東のピーク。強弱があったものの、強の時は思わず耐風姿勢を取ってやり過ごした強風でした。強風でバランス崩したら悲劇です。


標高2550ⅿくらいから振り返ったら見えた中ノ川乗越。大きなギャップがそうです。


目を前に向けると樹間に大岩山。


そして振り返ると日向八丁と真ん中に烏帽子岳。


日向八丁の最後は大岩山南のコルです。右は金山沢、左は大岩沢というポイントです。そこから梯子、鎖場が続きます。すごい傾斜ですが鎖が助けてくれてどんどん高度を稼げます。


大岩山


このカラマツ林は天然。笹がきれいな駒岩手前。


日向山でも強風。まるで砂嵐の様で耐風姿勢を取るしかありませんでした。砂が痛かったです。


いつもの日向山北東尾根を読図をしながら下りました。


最後はむかしの仕事道を有り難く下るわけです。


その昔の仕事道の最後は、無残にも林道に削られて終わります。
甲斐駒ヶ岳と日向八丁尾根を絡めた山行、時計回りでも反対でも六合石室に泊まるという計画にすれば理想的な山行になると思います。どちらも同じくらいのエネルギーで歩けます。

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