2017年4月18日火曜日

大岩山募集


・日帰りの地図読みではない、地図読みを実践する山行です。
・山梨百名山の雨乞岳登山道から入ります。登山道を1797m標高点まで辿り、登山道と別れ南に向かう尾根に入ります。地図読みのセクションの始まりです。水晶ナギの風化した花崗岩の白ザレに遊び、笹ノ平を含む10くらいの小ピークを過ぎると「甲斐国志」にも登場する鬼の窓というコルに出ます。水の確保も簡単な喜平谷に降りて(コルから10分です。)テント泊。焚火付きの夜になると思います。
翌日は地形読みが難しいルートから大岩山に向かいます。大岩山から人気の日向山までは登山道となりますが、鞍掛山周辺は甲斐駒ケ岳の素晴らしい展望台です。日向山からは北東尾根を下って、前日のスタート地点に戻ります。最後は尾根地形の下りになりますので、結構難しいです。2日間地形図をにらめっこしながらの、地図を読めるということの実践の合宿のような山行にしたいです。

・日時集合:2017年5月6,7日(土、日) 午前8:30  JR韮崎駅
                   
・1日目: 韮崎=北杜市白州町鳥原 -ホクギノ平-笹ノ平-口ノ鬼の窓-喜平谷(幕営)
     標高差約1000メートル 距離約7キロ 行動時間7時間予定

・2日目: 喜平谷-口ノ鬼の窓-大岩山-駒岩-日向山-鳥原=韮崎駅(解散)
     標高差 登り約700m 下り約1500m 距離約10km 行動時間9時間予定

・装備 : ザック、登山靴、雨具、寝袋、マット、ストック、ヘッドランプ、帽子、水筒 手袋、防寒着、食器、行動食、非常食、昼飯(2日分)、地形図「長坂上条、甲斐駒ケ岳」風呂道具(車にデポ出来ます。)  食糧、共同装備等の分担をお願いします。

・ガイド料:30,000円(夕食、朝食は僕が準備します。別途ガイド料以外に、食費として2,000円ほどかかります)

▪申し込み

お申込みフォーム:こちらからどうぞ!

催行にあたり、同意書は必ず必要です。こちらです。
     
保険加入も必ず必要です。やまきふ共済会の共済をお勧めしています。:こちらです。

2017年4月14日金曜日

真教寺尾根

八ヶ岳に向かっています。すっかり春になりましたが、山の稜線の上は未だ冬。こんな雲がかかっているときはとっても強い風が吹いていると想像出来て覚悟が必要になります。


八ヶ岳の山梨県側のルートはちょっと厳しいルートばかりです。代表的なものは、県界尾根、真教寺尾根、ツルネ東稜。トレースが見込めないし最後がとっても急なので。写真は美し森の上の羽衣の池。高層湿原でモウセンゴケなんかを見ることが出来ますが、今は雪の下です。


登っていくと、サンメドウズ清里スキー場の脇を通ります。スキー場は真教寺尾根の北斜面に作られています。


賽の河原と言われる緩傾斜地。


雪も締まってきた春先ですが、直前に降雪があってひどい踏み抜きもあるかも?と、スノーシューを持ってきました。ほとんどラッセルということもなく高度を稼げました。


牛首山というピークを過ぎて、緩やかな稜線を進みます。道しるべの顔の出し具合で積雪量がわかります。1m強です。


八ヶ岳の主峰、赤岳が目の前です。ため息が出るような距離感。


ぐっと近づいて、隣の天狗尾根が険しく見えます。


この辺りから傾斜が増してきます。枯れてしまっていますが、存在感のあるカラマツの古木に出会えました。だいたい2500mを過ぎる標高までスノーシューでこなせました。お次はアイゼン装着となります。


そんなに潜ることもなく、アイゼンでわりとクラストした雪の斜面、高度を稼ぐことが出来ました。


下から見てもわかりやすいのですが、八ヶ岳は末広がりに広がっています。裾野は雄大で上の稜線はわりとコンパクトです。が、鋭い尾根と切れ込んだ沢のコンビネーションなので、隣のルートにトラバースするということはかなり難しいです。


直前の降雪は珍しい気象現象を起こしたようです。雨氷です。


氷点下でも固まらなくて、安定した水の粒子が木の枝や岩に着くという現象。ダケカンバの枝には氷の塊がびっしりでした。


-4度くらいまで水滴となってこびり付くらしいです。山の高いところは氷点下だと雪が降ると思っていたので、直前の下界の雨でずいぶんの降雪のはずと思い、ラッセル覚悟の入山でした。ほぼラッセルがなかったのが不思議でした。雪の斜面も稜線も小さな氷の塊がたくさんありました。雨氷という気象現象のためだと思います。


夏でも傾斜がきつくて大変なルート、真教寺尾根です。夏に登場するステップや鎖は雪の下です。ルート取りが結構難しいところです。


全てが雪の下でルート取りが凄く難しかったです。


主稜線に出たところの標識が、まるで十字架のように見えて微妙な感じになりました。
そんな風に思えた真教寺尾根の急傾斜の上部でした。


赤岳山頂。


夕暮れ近いです。阿弥陀岳の上の太陽。


2017年4月12日水曜日

樋曽山

樋曽山ひそやまは角田山480mの南の三角点のあるピークです。標高296.5m。この山域の春の花に出会うのに、地元の方お勧めの尾根ということで行きました。ただ案内標識が整備されていません。まぁ地図読みすれば問題ないだろうと登り始めてわかったことは、トレースがしっかりしているということでした。踏み跡を行けば歩けちゃう感じですが、全く標識がない(ほぼ)ということで何度か道を尋ねられました。
五ケ浜に向かう国道402号線。


五ヶ峠の五ケ浜側の出口。いつの間にかこの時期限定で、東から西への一方通行になってました。大勢の人が来るので取られた措置ということだと思います。仕方がないので東側に回りました。


割と早めの時間だったので、駐車スペースは空きがありました。五ヶ峠の駐車場。


雪割草とも呼ばれるオオミスミソウ。


色の種類が多く、白、ピンク、赤紫、青、さらにそれらが混合して本当に変化に富んでいます。


弥彦山の南北にある、国上山から角田山までの間、標高はさほど関係なくいろんな色のオオミスミソウに出会えます。エリアによって色の特徴があるようで、樋曽山周辺は赤系が少ないように思います。


その色の変化が面白いです。


基本白系が好きなおいらです。


期待を外さないくらいに出会うことが出来ました。オオミスミソウです。


じっくり見てたら、いくら時間があっても足りません。


オオミスミソウの次はカタクリ。数で他の花を圧倒する存在です。圧倒的なカタクリの花


花弁がツンツンして朝日に輝いていました。


このルートではいくつもの白花のカタクリの花に出会えました。1万分の1の確率と言われる白いカタクリです。


数で圧倒しているカタクリですが、シロバナのカタクリ、だいたい白いというやつも含めて10株くらいに出会ったでしょうか。


コシノカンアオイ。光沢のあるハート形の葉っぱを探すと出会えます。これが花であるというのが奇跡のようにも感じます。すっごく地味・・・


セリバオウレン


キバナノアマナ。ユリの仲間です。


ナニワズ。すごく似たものにオニシバリというのもありますが、ナニワズは鮮やかな黄色でオニシバリは薄い黄緑。


エンレイソウ


キクザキイチゲ


カンスゲの花


ぜひお会いしたかったコシノコバイモ


本当にずっと探していて、最後の最後にお会いできました。


樋曾山の三角点柱石。何の標識もない山頂で、おまけにとっても低い三角点で、なかなか苦労して見つけたのですが、稜線上のトレースの上にありました。低すぎて皆さんスルーしてしまうようでした。


登山道の様子です。カタクリだらけです。


2017年4月10日月曜日

大河津分水路

大河津分水路(おおかわずぶんすいろ)は、信濃川の氾濫から越後平野を守る治水の人工河川です。弥彦山山系に春の花を訪ねる定番の山行に出かけた時、信濃川の途中から流れる不自然な大きな川はどうしても気になります。大河津分水路(おおかわずぶんすいろ)という名前であるというのはすぐにわかりますが、どんなストーリーがあるのだろうと気になっていました。


国上山に登った後、時間があったので信濃川大河津資料館を訪ねました。大河津分水路(おおかわずぶんすいろ)って何なの?ということを知りたかったからです。月曜休館の資料館は午前9時~午後4時の開館時間。信濃川と越後平野の治水、利水の話をボランティアの方から詳しく聞くことが出来ます。


信濃川は日本で一番長い河です。全長367㎞。加えて流れる水の量も日本一だそうです。信濃川は長野県から新潟県に流れます。その源流は甲武信ヶ岳という説明でした。甲武信ヶ岳は山梨と埼玉と長野の県境の山です。


甲武信ヶ岳から流れ出した水が、とうとうと支流を集めて越後平野に入る直前にある大河津分水路。資料館のジオラマを写真に撮りました。新潟市まで行く前に、ここが一番海に近い場所です。


越後平野の昔の田植えの様子のジオラマ。高低差がほとんどないので、大水が出ると水が溜まって大変だったそうです。泥の土地で、稲作も大変だったようです。ジオラマのお百姓さんは足がもぐらないように、スキーの板のような道具を付けています。


高低差がない越後平野のお田植えは、一度大水が出ると腰まで浸かっての農作業になってしまうというジオラマ。


水に浸かった田んぼ作業で、工夫された道具の田んぼ用の特別な下駄。あまり効果的ではなかったそうです。


今でこそ日本一の穀倉地帯の越後平野ですが、治水の目途が立つまでは自然との闘いの歴史だったということです。日本一の大河です、大雨にひとたび見舞われれば、はるか300㎞近い山梨の県境から、たくさんの支流の水を集めて、新潟、越後まで流れ下れば災害を起こすという歴史が、3~4年ごとに繰り返されました。その水との戦いをコントロールするための大河津分水路ということです。発案は江戸時代、幕府の許可が下りなくて紆余曲折あって完成したのは昭和の初め、洪水に苦しめられていた越後平野を開放するための土木工事。越後平野手前で多すぎる水を日本海に流す役目の大河津分水路。明治の時代に起きた「横田切れ」という洪水で本格的に土木作業がなされたということです。
横田切れの時の新潟市のお寺の本堂の浸水のあと。


ちょっと前の時代まで越後平野は洪水と格闘していました。そのことが良く分かる大河津資料館でした。


本格的な土木作業に使われていたフランスから輸入されたバケット。ここに土砂を入れるのは人力です。


約10㎞の開削の様子のジオラマ。パワーシャベルもダンプトラックもない時代です。


実際の風景はのんびりしている河川敷。


信濃川に大量の水が流れた時に、本流と右側の堰を動かして水をコントロールします。


そんな大河津分水路を見下ろしているような弥彦山です。


大河津分水路が日本海に出る河口。


この日泊まった宿のまつやさんのフロントにも、越後平野のコメ作り自然との闘いの歴史がありました。まるで橇のような木製の物、雪が多い時に使うためのものではなくて、深く溜まった水の中でも農作業が出来るための道具だったそうです。