糸魚川から松本までの千国街道(ちくにかいどう)約120km、新潟長野7市町村にまたがるロングトレイルは11区間に分けられています。並走する大糸線を使ってそれぞれの人のペースに合わせプランニングできるわけです。写真は八方尾根と白馬連山
今の国道148号線の下、姫川沿いの旧道。凄まじい新旧国道の交差点だと感じました。
中土駅に車を置いて大糸線2駅先から歩きはじめ、約4つの峠を越え中土駅に戻ってくるという鉄道を使った周回ルートです。
新潟県の平岩駅。この日はここから4つの峠越えの塩の道千国街道です。
平岩の姫川の流れ。平岩の方に聞いたら平岩の名前の由来は姫川の中州の平な岩からだということでした。この岩かもしれない⁉
踏切の名前が葛葉。ここではとりあえず葛葉峠を目指しています。ドンピシャの地名が登場です!
平岩駅から20分でこの公園。稜線上の低いところが葛葉峠。そこを目指します。右の低いところです。
ずっと車道を歩いていくのですが、こんな道路標識に雪国を実感します。山梨にはこんな標識はありませんし、見上げれば雪崩防止柵的なものが道路わきにあります。
葛葉峠の登りに登場する巨大な観音像。眉間の白毫(びゃくごう)と眼球はヒスイだったとか。昭和44年開眼
姫川の流れと平岩集落と明星山。
葛葉峠途中で圧巻の存在の歩荷トチノキ。
歩荷トチノキと明星山。
葛葉峠までは車道歩き。国道148号線の旧道です。
ちょっと寄り道。実は葛葉峠の下りがわからなくてテキトーに入った工事用道路で、あばれ川姫川の現実を垣間見たという話。写真正面は姫川右岸の真那板山です。この下に姫川が流れています。逆光で分かりにくいんですが正面の沢には木が生えていません。500年前と1000年前に正面が崩れ、対岸こちら側の左岸まで土砂で覆われ、葛葉峠はその時の土砂で出来ているのだそうです。
対岸からの土砂は姫川をせき止め天然ダムを作ってしまいました。やがて決壊し甚大な被害を流域にもたらしました。今も対岸からの土砂は不安定なので砂防工事が続いています。
姫川の流れと国界橋。
平らでだだっ広い葛葉峠の南端の標識。
ベンケイソウの仲間のキリンソウ。麒麟草みたいですが、和名ってのが黄輪草。黄輪草の方が可愛いですね。
ウリノキ 葉っぱがウリに似ているということから瓜の木です。花弁がクルクルっとカールしていて面白いと思いました。たくさん咲いていました。
新潟長野の県境の国界橋です。国道わきのスペースからは先ほどの真那板山から葛葉峠の世様子がよくわかります。それとは別に慰霊碑があります。姫川左岸支流の蒲原沢(かばはらさわ)で1995年(平成7)7月11日土石流が発生し、完成して2年目の国界橋が流されてしまい、復旧工事中の翌年多くの犠牲者を出しました。この硬玉は流された国界橋のもので姫川で見つかりました。文字の角が欠けてます。
今は通行できない旧国道148号線の橋。現在の国界橋から見上げるようなところを通した理由は葛葉峠の脆弱な地盤に関係していると思いました。
こんなハードな場所の塩の道。よく観察しないと歩き通せません。階段で橋の下をくぐって猫鼻に向かうなんてびっくりでした。
猫鼻の石仏群。
営業していた湯原温泉。
湯原温泉で飼われているヤギさん2頭が道先案内をしてくれました。
再び国道に出て脇道の上に見えた塩の道の案内板。
前沢にかかる橋は壊れていました。前沢左岸の立派な案内板を信じて登って来たら、全く整備されていなかったというオチです。
また国道に下って前沢に架かる橋を渡り右岸に渡りました。歩道に印された塩の道のサインか立派な案内板に従うか迷った二者択一でした。
この道標に従った方がいいようです。
天神道 城の越(じょうのこし)。峠らしい乗越で、前後の道は正しく古道って感じです。
城の越よこの高台の三峯様。
旅の安全を願う大日如来の石仏。
塩坂を下り国道148号線に出てきました。
道の駅小谷の恐竜のモニュメント。1億9千年前の恐竜。北小谷小学校で出土した足跡の化石から復元されたイメージで、○○ザウルスとかの名前はないみたいです。1995年(平成7)7月11日土石流で小谷村は孤立しました。国界橋が流されるくらいの被害は全村に及んで、その復興記念のモニュメントです。
来馬(くるま)は大網(おあみ)、千国(ちくに)と小谷三宿のひとつでした。明治44年8月8日、日本三大崩れで有名な稗田山(ひえだやま)が崩れ、姫川左岸の支流浦川を流れ天然ダムを作って来馬川原の街道は壊滅。来馬宿はただの河原の現在です。その河原の横をひたすら進んでぶつかる松ヶ峯という小尾根には古道がよく残されているということでした。
ただまだ草刈りがされていなくてちょっと心細い感じでした。
浦川の河原をひたすら歩きました。たくさんのミヤマカラスアゲハが水を飲んでいました。
振り返ると左奥に雨飾山、右にどっかりと大渚山(おおなぎやま)
浦川橋。この日の行程の一番しんどいところです。
右に高妻山、左に乙妻山。奥にうっすら見えました。
稗田山(ひえだやま)は中央右。今でも崩落が続いているのでしょう、河川工事は大規模でした。
幸田文の文学碑。
石坂集落の奥にある村境の塞の神が、約15kmのこの日の行程の一番高いところです。
姫川に沿った大糸線の中土駅が見下ろせました。何よりも目の前の立山の迫力がすごかった。
大糸線中土駅。
姫川の流れと正面に立山938.8m、左に平倉山823m。右に912m標高点です。国道148号線を糸魚川目指して走るとまるで兄弟の山みたいに思えます。
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