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2024年6月23日日曜日

裏岩手縦走

裏岩手というのは日本百名山の八幡平と岩手山を結ぶルートで、ゆるやかな尾根を延々と歩きます。開山直後の花の時期ということで盛岡駅スタート。大宮から2時間かからないで移動できる東北新幹線はすごいですね。盛岡駅前の噴水には北上川を遡る石のサケが泳いでいました。

長距離縦走を無理なくするために1日目は移動日にしました。露天風呂で有名な藤七温泉に泊まりました。移動中のバスから見た岩手山は雲の中でした。

八幡平樹海ラインから見た藤七温泉

藤七温泉近くを散歩していたらミズバショウが咲いていました。

夕食前に入ったお風呂は宿泊者用のもの。あったまって硫黄の香りにつつまれました。

食事は本当に山菜尽くし。旬のネマガリタケのタケノコがたくさん。


縦走に先立ち露天風呂に入った翌朝。

雨具を着て始まった縦走初日。展望を期待していた畚岳(もっこだけ)は雨なので割愛しました。その先に出てきた残雪。畚もっこは縄、竹、蔓などで編んだ運搬用具のことで、山小屋なんかで見かける荷揚げのヘリコプターがぶら下げています。

シーズン始まったばかりでもしっかり整備されていた登山道でした。

諸桧岳(もろびだけ)を通過し嶮岨森(けんそもり)手前でよく見えた鏡沼。諸桧岳もろびだけの諸桧もろびはアオモリトドマツ(オオシラビソ)のことだそうで、この地方の方言だそうです。嶮岨森けんそもりの嶮岨は険しさを表わす言葉だそうです。そういえば山頂はやせて尖がっていた嶮岨森けんそもりでした。

大深山荘ではトイレを借りました。東北地方の避難小屋はどれもしっかり管理されていてきれいでした。だいたいトイレが小屋の中にあります。

大深山荘の水場は小屋から5分でした。登山道わきのお花畑にはヒナザクラがたくさん咲いていました。

大深岳(おおふかだけ)で源太ヶ岳の分岐を過ぎて南下、小畚山(こもっこやま)は急登でしんどい登りでした。よらなかった畚岳と比較して、小畚じゃなく大畚じゃん!というのが実感でした。

三ツ石が3つとおぼえて通過した三ツ石周辺。三角点ピークの点名は三ツ石、写真は三ツ沼、そして三ツ石山を越えていきます。


三ツ石山の下り。午後3時くらいに通過したのでヘロヘロで神経使いました。

オオバキスミレ 大葉黄菫

ネマガリタケの花

イワナシ 岩梨はツツジ科 

オクエゾサイシン 奥蝦夷細辛の葉はヒメギフチョウの幼虫の食草

雨の日のサンカヨウ 山荷葉 荷葉はハスの葉っぱのこと

ムラサキヤシオツツジ 紫八染躑躅

ホソバイワベンケイ 細葉岩弁慶

シラネアオイ 白根葵


イソツツジ 磯躑躅


ウコンウツギ 鬱金空木 北海道~東北地方北部の亜高山帯に分布

ヒナザクラ 雛桜 北東北を代表する花です。

ミヤマハンノキ 深山榛の木 上に突き出ているのが雌花、下に垂れ下がっているのが雄花


ナンゴクミネカエデ 南国峰楓の花


ミツガシワ 三柏は氷期の生き残り

三ツ石小屋にお世話になりました。避難小屋ですが管理人はいませんでした。夕食はネマガリタケのタケノコのカレーとタケノコの味噌汁。

3日目の朝

まずは大松倉山

網張温泉分岐。グリーンシーズンも営業しているスキー場のリフトを使えば1時間で来れる場所です。

姥倉山の稜線。リボンのマーキングがロープの奥に点在していて、よく見ると噴気みたいなものが上がっていました。三角岩の写真です。


【登山道は、地温の高い場所を通っています。高温で軟弱な熱泥箇所がありますので、軟らかい 泥を踏み抜かないように注意してください。また、登山道の近くに空洞や噴気孔がありますの で、登山道(ロープ)の外には出ないでください。】
                         雫石町・八幡平市・盛岡森林管理署
注意喚起の看板の地図には、登山道30cm下の温度が4つに分類され書かれていました。40℃以下、40~60℃、60~80℃、80℃以上高温危険と色分けされていて、当然高温危険は赤色で表現されているのですが、三角岩周辺は真っ赤でした。

切通からひと登りで鬼ヶ城と岩手山山頂が間近になってきました。岩手山は一つの火山ではなく、西岩手と東岩手の2つの成層火山(溶岩の流出と,火山・火山灰・軽石などの放出がくりかえし行われてできた円すい形の火山・まさしく富士山です)から成っています。西岩手の外輪山が鬼ヶ城です。北の外輪山が屏風尾根です。切通から鬼ヶ城最高地点まで約400mのアップダウンでした。


鬼ヶ城の核心はこのチムニーです。

礫がしっかりしているのでホールドスタンスは豊富です。それでもしっかりしたものかどうかはそれぞれ確認して登ります。


すぐ目の前に岩手山。東岩手の山頂は薬師岳でそこが最高地点で岩手山山頂、なんだかややこしいですね。

無事に鬼ヶ城を通過して、この日お世話になる不動平(ふどうたい)避難小屋。

不動平避難小屋の上に雪渓があったので水が取れるかも!との期待は裏切られ…


八合目の避難小屋の水場です。岩手山の中心と思える小屋ですが、この日管理人さんはいませんでした。

4日目の朝

この日のコースの説明をした図。小石が不動平避難小屋です。

不動平避難小屋横には不動明王像が三体。石積みで囲われた山岳信仰の遺跡です。

いよいよ岩手山に登ります。雲海の向こうには早池峰山が見えました。2年前に早池峰山をご一緒した皆さんだったので、登った山はみんな親戚みたいに思えるので盛り上がった景色でした。

岩手山の山頂部、下から見ていた時点々とケルンでもあるのかな?木も生えていない山頂部なのでガスが出た時や荒天時の目印という意味もあるのでしょうがそれは観音様でした。信仰の山、岩手山です。

岩手神社奥宮

赤いのが山頂の薬師岳で、左が妙高山。

裏岩手縦走も最後です。歩いてきたそれぞれのピークを快晴の中確認できたことは素晴らしかったです。真ん中が八幡平です。


岩手山山頂。


西岩手火山群のカルデラの真ん中に御苗代湖が見えています。左奥の残雪の山は秋田駒ケ岳や乳頭山です。裏岩手縦走路もばっちり見えた朝でした。


このまるで獅子舞のお面のような石物は岩手神社奥宮にもたくさんありました。調べてみると「権現様」と言われているということがわかりました。写真の獅子舞の獅子頭の片割れのような石物です。岩手県北部だけではなく宮城や秋田なんかでも見られる「権現様ごんげんさま」ということらしいのですが詳しくはわかりません。それにしてもユニークな権現様です。


山頂から焼走りに下りながら、何度も裏岩手縦走路を見ます。そのくらい素晴らしい天気の最終日の4日目。手前に屏風尾根の岩のピークと赤倉岳が見えています。


平笠不動避難小屋。ここもトイレは小屋の中にありお借りしました。


小屋の下にあった八合目の丁目石。焼走りのルートも信仰のルートだったんです。


焼走りルートはなかなか厳しいルートで、僕らは下りで使ったのでまだましですがこのルートを登りだと修行になると思います。まるで富士山の大砂走の様だからです。わかりにくいのですが黒いのが江戸時代の寄生火山(側火山)焼走り溶岩流です。


余裕はない下山ルートでしたが、咲き始めたコマクサのボリュームは凄かったです。


樹林帯に入って出会ったコケイラン 小蕙蘭


これは江戸時代(1719年)に東岩手山の山腹にできた小さな寄生火山が噴火した噴火口跡です。当時の人たちが「焼走熔岩流」と名づけ、そこから3キロ近く流れ出た熔岩流は焼走り登山口で生々しい噴火の痕跡としてみることが出来ます。天然記念物の焼走り溶岩流です。



やっと着いたとため息が出るほどの焼走り登山口。


長い山行の締めはそのまんまの名前「焼走りの湯」。タイミングよく岩手山が登場し、ご苦労様といわれた気分でした。お疲れ様でした!

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