2021年12月31日金曜日

屋久島

2021年大晦日、以前は山行が終わったたびに結構書いていたブログ記事でしたが、今年は特に山行のパターンが特別感がなくなり書くことが出来なくなりました。パターンというのは求められる内容です。ご一緒する方は都度異なるわけですが、僕サイドでは内容は同じなので、特にブログ記事にするというモチベーションにはなりませんでした。そんな中でも僕にとっても新鮮だった山行を2021年の最後に書きます。初めての屋久島でした。

早朝の甲府盆地から羽田空港~鹿児島空港~屋久島空港~タクシーと乗り継ぎ、11時間後に到着したメインの登山口、淀川登山口(よどごう)。


1日目の宿泊は淀川避難小屋。屋久島はそれなりにでっかいので短時間でスポット巡りなんてことはできません。世界遺産の山だから好き勝手に寝泊まりというわけにも行きません。営業小屋もないから難しい側面です。


小屋に到着したら現れたヤクシマザル。


水が豊富であちらこちらで水の流れがある屋久島でした。


 翌朝、まだ暗いうちに行動を始めヘッドランプを消すくらいの時間にヤクシカが登場。



高盤岳のトーフ岩を遠望。


花之江河。南の島の高層湿原。


世界遺産以前から人々が訪れていた証拠の石祠。



快晴の屋久島。3泊4日の山行中ほぼ天気は良く雨具を出すことはありませんでした。8月の下旬でした。



栗生岳の大岩と宮之浦岳。


永田岳。屋久島の亜高山帯のピークは複数あって、黒味岳、安房岳、翁岳、宮之浦岳、永田岳などですが、ヤクシマダケという笹でしょうか、その密生がありどのピークが登頂可能かどうかはわかりませんが、永田岳と宮之浦岳はスタンダードです。


宮之浦岳の三角点。残念ながらガスってしまいました。


イッスンキンカ、本州のアキノキリンソウです。ほとんどの花が屋久島では矮小化されていました。みんなサイズがビックリするくらい小さいんです。


モウセンゴケ。


ヤクシマコオトギリ。本州のオトギリソウですね。


ヤクシマリンドウ。亜高山帯の岩場を注意深く見ていて出合えました。絶対会いたかったのでテンション上がりました!


2日目は新高塚小屋に泊まりました。どこにどのタイミングで泊まるということが難しい屋久島です。幸い僕らは2泊とも問題なく避難小屋に泊まれましたが、だれがどこをどうやって来てそこに泊まるということは把握されていないため、出たとこ勝負なんで小屋のキャパオーバーとなると泊まれないので、屋久島のガイドさんは始めからテント泊の様でした。テントを張る場所も決まっているので自由はありません。


縄文杉。時間にもよるのでしょうが写真に収めるのが難しかった縄文杉でした。


ウィルソン株のハート。


トロッコ道の始まり。


辻峠。トロッコ道の小杉谷から辻峠の峠越で白谷川に入る感じです。


このコケコケワールドが人気みたいです。


白谷雲水峡です。


3泊目のホテルの夕食のトビウオのから揚げ。


種子島南端からの日の出。最後の日はフライトまでの間に観光。


千尋滝。源流は初日の淀川登山口ってのもちょっとビックリです。


モッチョム岳(本富岳)。


中間集落の巨大なガジュマル。


大川の滝。


観光で成り立っている屋久島、コロナ過で島に来る人が10分の1になってしまったというタクシー運転手の話しでした。今年の8月、航空便も簡単ではなく帰りは福岡で乗り換えで羽田に帰ることになりました。上空からの海の中道。


8月だったので黒い富士山でした。

2021年12月3日金曜日

茅ヶ岳読図

茅ヶ岳登山口駐車場です。今週プライベートで地図読みというオーダーをいただきました。地形図を山行の度に見るという習慣があれば理解度は増すと思います。地図読み講習に参加してるだけではだめで、山行のたびに地形図を見て歩かなきゃダメなんです。


すっかり落葉して見晴らしがよくなり地図読みにはばっちりなシュチュエ―ションになりました。

女岩ルート、最も登られている茅ヶ岳のルートです。何度も登っているルートですが、それでもいろんな発見があるって思った今回でした。登山道に登場した消炭。


たくさんの炭焼窯跡。女岩手前にはたくさんあります。


落葉して見晴らしがよくなった登山道でした。女岩まで10分くらいの右に見えたひしゃく。


何だろうって確かめてみたら水が流れていました。沢でも水が流れていることがない茅ヶ岳なんでびっくりしました。写真でもわかるように自然の流れではなく、完全に人工的な水場です。



その水場の上の登山道で見えたパイプ。


女岩の先で確認できた対岸のパイプ。勝手な想像ですが炭焼きの作業をしていた人たちが確保したかった水。女岩からパイプで引っ張った水場なのかなってことです。僕の想像です。

 韮崎のうさぎやの店頭にもイチゴ大福が登場して冬だって思えるようになりました。

女岩の一般登山道でも地形の変化が確認できます。女岩の上のわかりずらい尾根の写真です。


そのわかりずらい尾根の地形図の尾根と沢の関係。

金峰山を望む茅ヶ岳山頂。

 下山は大明神岳経由。1550mのピークには山の神の石祠。南東に延びる尾根と南への尾根との分岐のピーク。


わかりやすい尾根を下って林道に出ました。


山行中目立っていたヤブムラサキの紫。


茅ヶ岳登山口の県道はすごく面白くて沢地形と尾根のつながりとコルの関係が一か所で確認できるんです。赤は尾根、青は沢地形。こんなことがわかると地形の変化を楽しめます。
           

2021年11月29日月曜日

陸地測量部の地形図

所属している静岡山岳自然ガイド協会の今月あった研修の様子です。読図研修というリクエストだったのですが、明治の陸地測量部の地形図を絡めてというもの。いっぱい調べて準備してという事前でした。参加者は登山ガイドの皆さんだし、この研修自体がピンチヒッターでオリジナルは上野真一郎さんが企画したものだったからです。調べた資料や何がどうしてこの日になったってことを全て伝えて始まった研修。注目してくださいの虫眼鏡。


天神峠尾根と呼ばれている、昇仙峡の入り口の長瀞橋先から帯那山に続く尾根。その末端から塔岩集落を目指しました。現在のニ五万図にも掲載されている集落名です。塔岩沢の左岸の林道をアプローチに登って行き、右岸に渡る橋を過ぎてそのまま尾根に取り付こうと思っていたのですが、あまりの急傾斜と倒木で県道に出ました。名前にいわくありと思えた「のろし台隧道」というプレートが掲げられていたトンネル入り口。


この天神峠尾根の下部はすっきりしてない感じでしたが、尾根に上がってしまえば古い道形が登場してスムーズに進めました。660標高点点の手前にあった馬頭観音。


こんなえぐれが古い道形です。


やぶ山あるあるの送電線の巡視路のサイン


青空が嬉しくなってきた尾根の上


時々確認した明治の陸地測量部の地形図。


表情がユニークだったダアス峠の馬頭観音。


標高950m圏の大展望。
 

やぶではないので進みやすい尾根です。



ニ五万図の天神峠の位置は違っていて、実際は1030m標高点の東のコルが天神峠だとわかった実際の現場。道形が残っているからです。



天神峠から道形を辿って塔岩集落跡に下るにつれ畑跡の石積みが段々に登場しました。



塔岩集落跡のはずれにあった珍しい五地蔵。庚申塔や六地蔵の石造物もあり、建物は全くなくなっていた塔岩集落でしたが、人々の営みがしっかり感じられました。


塔岩集落東の神社の石祠。どんな意味なわからないのだけど、錆びついた刀が奉納されていました。日本刀です。


大日本帝国陸地測量部二万分の一地形図「松嶋村」。日本の地図の歴史を端折って言えば、奈良の大仏を作った行基図の次が伊能忠敬の伊能図と言われています。その伊能図の次が陸地測量部の地図となります。陸地測量部に地図造りが集約される前は様々なお役所が地図つくりにトライしてました。代表格が御料局三角点の存在だったりします。明治21年の陸地測量部が出来て一本化されるわけですが、当初二万分の一の地形図を作りはじめ、その縮尺では予算が膨大になるということで、途中から五万分の一地形図に制作目標を変えました。当初の二万図は今でも約1000枚近く現在の国土地理院に残されています。そのうちの一枚の二万図の「松嶋村」です。


大日本帝国陸地測量部という印刷された文字がとてつもなく時代を感じます。現在の人工物の送電線とか、甲府市民になじみの千代田湖なんかも地形図上に存在しない明治21年測量の地図なんです。


塔岩集落からの下山。後の時代の林道を下りました。現在ともいえます。


薄い白い線でマーキングしてみた明治の鳥居のマーク。明治の陸地測量部の地形図を見るのにあたって難しいのは地図記号が現在のものとは違うということです。神社記号が違うのでした。普通に鳥居をイメージするものではなく、貫と言われる2本目がない記号。白い線のマーキングです。


顕著な尾根の等高線は現在のニ五万図と一致していました。赤い線の尾根です。


陸地測量部の地形図に引いてみた特徴的な尾根の赤線、現在のニ五万図にも引いてみた現在のニ五万図です。違いは林道が書かれているということ。805m標高点の先のこ道と交わるあたりの林道に馬頭観音があるみたいという事前情報がありました。陸地測量部の地形図と見比べながら、現在の林道を無視して古道の道形をトレースしてみたりしました。


古道と現在の林道が交わる先にあった朽ちかけた馬頭観音。もちろん狙って見つけれれたわけなんで大歓声の瞬間でした。


昇仙峡の天神平に戻って振り返りをして締めました。すごく充実した陸地測量部の地形図を利用した地図読みの一日でした。


昇仙峡のすぐ東のエリアで活動した一日、荒川のすぐ西には金峰山講の外道の信仰の道がありました。山行が終わって盆地に下る道沿いということで、吉沢集落で発掘されたみたけ道一の鳥居も見学しておしまいにしました。