2024年6月9日日曜日

五老峰

五老峰(ごろうぼう)、今は身延町ですが平成の合併前は下部町の山です。国道300号線を下部川に入るところからしっかりした山容が見えました。下部はしもべです。

戦国時代の金山で有名な湯之奥集落に車を停めてスタート。下部川の最終集落湯之奥です。通れるかどうかは確認していませんが、林道は毛無山の南を通って朝霧高原の猪之頭に通じています。林道湯之奥猪之頭線です。

湯之奥集落の石畳。金山で栄えたことと繋がっているのだと思います。

江戸時代に建てられた庄屋さんの家「門西家住宅」


ほぼ予備知識なく地形図だけ読み込んで登りました。古い道形が残っていて里山だからな~などと考えながら登りました。

何か所かこのような堀切があってちょっと特別に感じました。湯之奥金山は多摩川上流の黒川金山と並び武田軍の資金源といわれています。この堀切も金山と繋がっているのかもと思いました。

急傾斜の稜線にもかかわらずたくさんの炭焼き窯跡が登場。

令和元年発行の「甲斐百山」という本があります。日本山岳会山梨支部創立70周年記念に発行されたものです。以前だいぶ前に「山梨二百名山」という案を山の先輩に聞いていました。その先輩も鬼籍に入られましたが、「甲斐百山」が意外と支持されていて、その中でもいくつかの山は登山道がないのでハードルが高いわけです。五老峰もその一つといわれています。「甲斐百山」に取り上げられている大唐松山と這松尾は情報提供したので手元にある本ではあります。


要石が見事だった炭焼き窯

生活感がある茶碗のかけら

殺風景な森に咲いていたキンラン

地形図を見ていたら地形図の上を歩いていたマダニ

身延線下部駅が末端の尾根との分岐

植林された森が主体ですがこんな立派なブナも登場しました。

山頂手前の岩場、トップの枯れ木はピークツリーといわれているようです。

五老峰山頂。三等三角点の点名は「五郎坊」

帰りに寄った湯ノ奥金山博物館、甲州金の本物を見ることが出来ます。

帰りには国道300号線から見ることが出来た五老峰

「五老峰、大ガレの頭、毛無山の三山を身延町では蝙蝠山と呼んでいます。この山塊の中腹には湯之奥金山があり、五老峰には常葉金山、大ガレの頭に内山金山、茅小屋金山、毛無山には中山金山があります。全国制覇を狙う武田信玄を支えた金の山です。」

           醍醐山を愛する会ブログより


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