日本平はなんで日本?とか、日本坂ってなんで日本? 今月のはじめ、普通のガイド登山とはちょっと違う内容の山行をした2日間でした。観光地として有名な日本平に歩いて登って、静岡市内のホテルに泊まった翌朝、静岡県民以外は知らない天神屋さんでお昼を購入して始まった静岡市2日目の目的地は日本坂でした。
南安倍川橋から見た正面の満観峰。左に花沢山です。
「日本平はその昔、日本武尊が東征の際、草薙の原で野火の難にあい賊を平定した後、この山の頂上に登り四方を眺めたところからこの名で呼ばれるようになったといわれています。」
日本平・久能山観光協会
では日本坂は?「日本神話における景行天皇の時代に、焼津に上陸した日本武尊がこの峠道を越えて東征に向かったという伝承からと言われている。(310年の頃のおはなし)
東海道線用宗駅からスタート。ちなみに用宗(もちむね)はかつては「持舟(もちふね)」と呼ばれ、今川氏や武田氏、徳川家康ゆかりの「持舟城」があった場所です。東海道線の踏切の名前も用宗でした。
これは紅梅
小坂(おさか)集落に入ったところに登場する「御所の前」の石碑。碑文の文字起こし。
【七(7)世紀中期頃、大和朝廷は、西は九州、東は陸奥の一部を統一支配し、遣隋使、遣唐使の派遣により大陸の先進文物制度を摂取し、中央集権国家の確立と、諸国に通ずる交通路の整備を図り、「大化」と初めて年号を制定した。世に言う大化改新(六四五645)である。
大和の都から遠く陸奥国に通ずる最古の東海道は、大化二(2)年の駅伝制の詔により、駅馬、伝馬の制度が設けられるようになった。万葉の道、駅馬の道とも言われ、野越え山越えの狭隘な道が延々と続いていた。最古の東路が高草山の何処を通っていたかについては、初倉駅ー小河駅ー日本坂ー手児の呼坂ー横田駅が考えられる。海抜三〇二302米の日本坂越えの道は急峻であり、花沢から大崩海岸の平坦な通路も利用したものと思われる。この坂越しの道と大崩街道の合流点が、倭建命の伝承の地、小坂小字御所の前であり、往時の交通の要衝の地であった。万葉人の苦難の旅路が今に偲ばれる貴重な史跡である。
陸奥―陸奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県と秋田県の一部(鹿角郡)。等級区分で大国の一つ。
遣隋使、遣唐使―遣隋使(600-614年頃)と遣唐使(630-894年)は、日本が中国の先進的な制度・文化を吸収するために派遣した公式使節
大化改新—中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が蘇我氏を倒し(乙巳の変)、唐の制度を手本に天皇中心の中央集権国家を目指した古代の政治改革
詔—ショウ・みことのり。天皇のことば。「詔書」「詔勅」
狭隘―きょうあい・せまいこと。
倭建命―『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、
『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記される。
現在では、漢字表記の場合に一般には「日本武尊」の用字が通用される。
初倉—島田市大井川右岸 小河—焼津市国道150号 日本坂―日本坂峠
手児の呼坂―安倍川橋右岸 横田―駿府城の東
「御所の前」に登場するこれらの地名を結ぶと古代官道・東海道の一部が見えてきます。
ちょっと困ったことに、とんでもない日に来てしまった...満観峰の先で500~600人のランナーとすれ違うことになりました...
峠に登る古道の石積みは、耕作放棄されたお茶畑です。
日本坂峠 南の花沢の里に峠道は下っていました。
前日歩いた日本平がはっきりと見えました。
峠からは稜線歩き。いくつかの小ピークを登って下って満観峰です。それにしてもこんな階段、ちょっとへこみます。
満観峰
すごく人気の山で広々しています。残念ながら富士山は雲の中。
イベント用のテントが張られ、次々とやってくるトレイルランナー。エイドステーション(給水所)というのでしょうか、テントです。
ベンチのある「蔦の細道」も峠です。日本坂のあとの平安時代、古代東海道にあった小川駅が廃止されたことに伴い、それまで太平洋側にある日本坂を通過していた交通が宇津ノ谷の蔦の細道へと移りました。小川は小河で今の焼津駅の近くです。
国道1号宇津ノ谷峠トンネル関連の建物。この稜線の下にはトンネルが4本も通っています。東から平成のトンネル、昭和のトンネル、明治のトンネル、大正のトンネルです。
この日の目的は日本坂から蔦の細道を経て宇津ノ谷峠まで歩くというものでした。最も古い東海道の峠越えの日本坂から時代を下って、蔦の細道、宇津ノ谷峠を経て明治のトンネルを岡部宿から丸子(まりこ)宿に歩きました。しかしそれにしても稜線から明治のトンネルに行くまでの道は難しかった!車の通行は出来ない明治のトンネルです。
明治のトンネルから風情のある宇津ノ谷集落を経て国道1号に出てきました。丸子側です。右が昭和のトンネルの出口、左が平成のトンネルの入り口です。
静岡駅で無事解散して車を走らせて山梨に戻ります。なんと静岡なのに吹雪になった雪が積もったのは驚きました。最近の気候は激しいです。


















