2021年4月30日金曜日

塩の道

新潟県の糸魚川から松本までの千国街道は塩の道と呼ばれます。約120km三十里の距離で、信州側では「糸魚川街道」と言われ、越後側では「松本街道」とそれぞれの目的地で言われたりします。塩の道ツアーのお手伝いに行ったのは先週。韮崎からは約3時間のドライブで、写真は大町郊外の景色。真ん中に鹿島槍ヶ岳、右奥に五竜岳。

正面に八方尾根、やっと白馬です。

国道148号国界橋を渡って新潟県、トキが出迎えてくれます。姫川の横の国道は、トンネルとスノーシェッドの連続で景色はあまり望めません。

この日の終点の大糸線根知駅から電車で糸魚川に移動。

北陸新幹線の駅でもある糸魚川駅。奴奈川姫(ぬなかわひめ)像とヒスイの原石。写真の右側は2016年の糸魚川大火があった場所ですが痕跡は全くありませんでした。

白馬通りの北の入り口。昔はここに港があって、瀬戸内海産の塩が北前船で運ばれ陸揚げされた場所。白馬通りには塩問屋、廻船問屋、茶屋が立ち並び糸魚川いちのにぎやかな通りだったそうです。現在の港は西に1kmの姫川港です。

五畿七道のひとつ北陸道との交差点にある道路元標。いよいよ千国街道が始まるんだと気が引き締まったりします。

地酒謙信の蔵元池田屋酒造。「敵に塩を送る」という故事が有名な塩の道。文化9年(1812年)創業の謙信という酒名はその故事から来ているらしいです。

*今川・北条氏に塩どめの兵糧攻めにあった甲斐武田信玄に、越後上杉謙信はあくまで武力で争うべきと塩を輸送することを許したという。

美山公園の歩荷のブロンズ像。主に牛が荷を運んでいたわけですが、それは雪のない5~11月までで、雪のある時期は牛を使うことができないので、沿道の農民が歩荷として荷を運んだそうです。

舗装路から山道に入ります。糸魚川市では路面にこのサイン。

糸魚川名物の笹寿司のお昼。

大野集落のはずれからは本格的な山道に入ります。街道歩きやトレイル歩きも山の中では登山と変わりません。

人や牛が行き来して深くえぐれた道。ウトウと呼ばれる見どころ。牛のひずめや歩荷のワラジや雨に掘られた道は多くの里山でも見られるものです。

中山峠を越え根知の集落に下ったらまだ雪が残っていました。

やはり豪雪地帯なのでしょう。この消火栓は僕の背を越えていました。

北から眺める日本百名山の雨飾山。

根知谷の雄大な景色。奥が雨飾山、左の大きなのは頚城駒ケ岳。

2021年4月28日水曜日

戸谷峰

松本市が既存の登山道などを整備した美ヶ原高原ロングトレイルの始まりが戸谷峰です。烏帽子岩、武石峰を経て美ヶ原の王ヶ頭を目指します。後半は茶臼山、三峰山、鉢伏山と展望の良いトレイルが続き、最後は牛伏寺へと下ります。美ヶ原高原ロングトレイルの総距離は約45kmと言われています。戸谷峰、国土地理院の二五万図には徒歩道も書かれていません。ジオグラフィカでログをとったので、それを載せときます。赤い破線が当日のトラック。


2分割してコメントも入れてみました。


戸谷峰から西に延びる主稜線から南の尾根に乗っかるってのが下山ルートの始まり。下の地図にも書いていますが「尾根の始まりにトラバース」その地点から南は尾根がハッキリしてきます。「休憩した緩傾斜 沢地形を下る」という地点、沢地形に入ると古い山仕事の道。古い道形を利用しているわけです。

はじまりは松本駅アルプス口でした。反対側はお城口と言われています。上高地側と松本城です。このネーミングはいいと思いました。よくあるのは南口、北口ですから。そう言えば先日まで通っていた御殿場駅は東口、西口ではなく、箱根乙女口と富士山口でした。


移動中の車窓から。松本市四賀の県道沿いの土手はフクジュソウの頃は有名なところです。


登山口の金山沢にはニリンソウ。


山の神の鳥居。石祠が2つ並んでいました。


たくさん咲いていたネコノメソウ


戸谷峰の西の1322.1m三等三角点「本郷山」の北までは古い林道を使った登山道でした。三角点東の1280mのコルの手前の林道の終わりの広場です。ここから普通の登山道です


戸谷峰から西に延びる尾根をトレースするのですが、屈曲点と小ピークが連続するので単純ではありません。迷いやすい枝尾根がそれ程ないのは救いです。


尾根の様子。部分的に登場する岩です。


いよいよ戸谷峰が射程に入ってきました。


足元のハシリドコロの花。


この大岩が登場すると山頂も近いし、下りの分岐も登場します。


山頂手前にはヒメイチゲがたくさん咲いていました。


戸谷峰の山頂。


山頂の西側は刈り払われていて、北アルプスの展望が素晴らしかったです。


戸谷峰の南に下山です。主稜線から東にトラバースして尾根に乗っかり南下です。急で滑りやすく落石注意の尾根です。ここを下るときは早めに“らく落”と大声で叫びます。つづれ折りの登山道、同じパーティーの落石で事故なんてことも普通にありそうな登山道だからです。


1370m地点の緩傾斜の尾根。ここで休憩しました。


その休憩地地点からは様子が変わります。下って来た急な尾根の西の沢に下ります。そのくだりのポイントの標識です。


いくつも登場する炭焼き窯跡。登山道が昔の山仕事の道を利用しているという証明です。半世紀以上前の昔の山仕事の道です。


なかなか厳しい外傾した道です。


ジュウニヒトエ。上ったり下ったり、沢だったり尾根だったり、その都度おおっ~て思うようにいろんな花が登場する春の山です。


戸谷峰の山頂まではワチガイソウが盛んに登場でしたが、三才山ドライブイン手前で盛んに咲いていたワダソウ。ややこしいパターンです。


国道254号が見えてくれば下山口も近い。有料トンネルだった松本と上田方面をつなぐ三才山トンネルも無料になったというのは良かったという下山口でした。

2021年4月20日火曜日

湯舟山

「三国山稜:丹沢山塊の西端、籠坂峠から明神峠に至るなだらかな起伏の稜線を三国山稜と呼びます。静岡県小山町HPより
山梨静岡県境の篭坂峠から三国山まで来て北上する三国山稜というイメージですが、三国山から東に延びる尾根上に明神峠があり、さらに東に湯舟山、世附峠、不老山と伸びて西丹沢の丹沢湖で終わる尾根も三国山稜と呼んで差し支えないと思います。写真は三国峠の山中湖側、鉄砲木ノ頭の野焼きのあとで真っ黒になった斜面。「火入れ」と呼ばれる伝統の野焼きが4月4日にあったそうです。

集合場所のJR御殿場線駿河小山駅からは、奥の方に三国山稜がよく見えていました。


明神峠に移動して地図読み開始。この日は初めて地形図を持っての登山という方たちで、ひょっとしたら僕の方が緊張していたかもしれません。実は初心者という言葉が苦手です。明神峠から稜線に上がったら山の神の石祠がありました。


去年書いたブログ記事「大谷ヶ丸北西尾根」ここで西群馬幹線という送電線について少し触れています。西群馬幹線は柏崎刈羽方面からの電気(1000KV、現在は500KVで運転)を東山梨変電所(大月市、JR笹子駅のそばにある超高圧変電所)を経由して、新富士変電所(小山町にある超高圧変電所)まで運ぶ送電線。つまりこの送電線は大菩薩や小金沢連峰わきを通って小山町にやってくるわけです。


尾根上のピークとピークの間の低いところがコルです・・・峠も鞍部も窓もみんなコルです。などと言いながら進みます。振り返ると三国山稜と富士山。


歩いていて気が付いたのは火山噴出物のスコリア。僕の想像ですが富士山の宝永山の噴火の時に飛んできたものでしょう。


湯舟山山頂の二等三角点柱石。点名は「湯舟村」地形図南に湯舟という地名が見えます。


大きなブナが目立つ稜線でした。


御料局の宮標石がたくさん登場。明治時代の御科林の境界標です。


マザーツリーっていえば白神山地のそれが有名ですが、この樹もそう言っても差し支えないくらいの迫力でした。


マザーツリーの下でお昼。風が強く寒い日でした。鍋焼きうどんを作りました。


ヒノキの植林地の南が伐採されていて広がった大パノラマ。正面に箱根の金時山。


いい感じの収穫。


富士山周辺で自生するサンショウバラの樹。山椒薔薇です。この葉の様子が山椒に似ているということが由来。花は6月なのでちょっと先です。


山椒の葉に似たサンショウバラの樹がやけに多いと思っていたら、その小ピークがサンショウバラの丘という場所でした。奥は不老山です。富士山周辺でしか出会えないサンショウバラ、間違いなくこの場所で出会えます。


オオミズアオという大型のヤママユガで約10cm。蛹で越冬して羽化して1週間の命だそうです。サンショウバラの間で目を見張る美しさでした。


メギの花も目立ちました。メギは目木です。煎じて目薬にしたという和名です。棘が凄まじいので別名がなんともな~の樹です。コトリトマラズ、コトリスワラズ、別名も普通じゃないストレートな感じは棘だらけで実感できます。厳しい環境に生えているから応援したいんですが、棘が・・・


世附峠。世附はよずくです。ずっと静岡と神奈川の県境を歩いてきました。世附は神奈川側の地名です。三国山から東に延びる尾根、湯舟というのは静岡側の地名、世附は神奈川側の地名、行ったり来たりはそのまま両地域の交流です。尾根の南と北との交易の歴史を感じます。


不老の滝


不老橋でほぼ終わった山行でした。