2022年12月16日金曜日

三蓋山

松崎町の山光荘に泊まった翌日は伊豆山稜線。せっかくなので旧天城トンネルの見学をしました。重要文化財「天城山隧道」明治三十四(1901)年貫通、明治三十八(1905)年完成。全長445.5mのトンネルが切り石でおおわれています。貫通してからトンネルとして完成するまでの多くの時間は、現存する最長の石造り道路トンネルを作り上げた石工達の仕事。


そんな旧天城トンネル見学の後の登山開始。明治三十八(1905)年完成した旧天城トンネルの前に使われていた峠、現在は二本松峠と呼ばれている旧天城峠に向けて登り始めた沢筋、すぐに大規模に栽培されていたであろうワサビ田跡の石積みを見下ろしてます。


古い峠道の道形はしっかり残っていました。アメリカ領事館が下田にあった頃は外交使節団が江戸幕府との往来に行き来し「日本開国の峠越え」ともいえる旧天城峠は日本を代表する峠でした。吉田松陰がよく利用したというのもあります。


二本松峠。天城山隧道が出来る明治38年以前はこのパスが天城峠と言われていたということです。残念ながら下田側の古い峠道は崩れてしまっていて通れないということでした。修善寺、湯ヶ島側と河津、下田側を隔てる稜線には多くの峠があって、時代によって伊豆の主稜線で分けられる内陸地と海沿いの町との交易が行われていました。


伊豆の主稜線、東は天城山として、西は伊豆山稜線歩道として整備されています。そんな稜線上にあった明治の宮標石。


伊豆山稜線歩道の一番奥深い三蓋山(みかさやま)に近ずくにつれ登場するブナの巨木。


紅葉の時期もとっくに終わっていても迫力を感じるブナの巨木。


三角点の北のピークにある三蓋山の標識


三蓋山(みかさやま)の蓋はフタです。なだらかな稜線上のピークのイメージにぴったりなフタという漢字。


稜線から松崎方面を見下ろしました。前日登ろうか?というアイデアがあった松崎町の南の特徴的な尖がった烏帽子山が見えたのが面白かったです。海岸線からいきなり162mという標高に立ち上がるピークです。


整備された伊豆山稜線歩道の登山道。気を付けなきゃならないのはやはり沢筋で、トラバースの登山道で小さな沢筋でも水の流れで崩れています。


進みながらもブナの巨木が登場します。


ここのブナたちは競争する他の種類の樹が少ないから自由奔放に枝を伸ばしているんだと思います。学術的な裏付けははわかりませんが直感的に思います。


猫越岳山頂。


猫越岳の展望台から下って登りになる後藤山を見ています。等高線4本分の登りです。


ナベ岩からバッチシの富士見!


スズタケの中の登山道を下って仁科峠です。ブナの森から展望の稜線に出てくるこの道が大好きです。西伊豆スカイラインという車道がここで終わっていることに救われます。猫越岳まで開発されていたら伊豆半島の見事なブナ林は残されていなかったでしょう。

2022年12月14日水曜日

山光荘

西伊豆の山に行った話です。静岡駅でお客様と合流すべく富士川を下りました。富士川の川霧が好天を約束してくれているようでした。

伊豆半島の真ん中の伊豆縦貫道が延伸して以前よりも行きやすくなった伊豆半島ですが、やはり西伊豆は遠いです。このタイミングで駿河湾フェリーが半額運行というのはニュースでした。県道223号の航路は冗談みたいな223(ふじさん)。

海なし県に住んでいるものとしては、山のアプローチで船に乗るなんてことは特別です。乗船する大型バスの豪華さにびっくりしていたら、JR四季島専用のバスだそうで、日程が空いているときはその豪華さを売りにツアーをやっているとのことでした。写真撮るの忘れました。


なんともブルースカイが素晴らしく、白くなった富士山も秀逸でした。


大瀬崎沖からは伊豆の太郎、達磨山がはっきり見えました。


係員の方のテキパキとした動きに下船です。ちょっと気持ち悪くなったのは船酔いでしょう。


堂ヶ島の三四郎島


三四郎島の象島と陸地がつながる現象「トンボロ」の説明。大潮の干潮の時に歩いて渡れるそうです。似たような地形は西伊豆の戸田や大瀬崎もと思いました。そちらはつながりっぱなしですが。トンボロはイタリア語。きっと砂洲の様な地形の場所なのでしょう。


波が荒く遊覧船は欠航。天窓洞という有名な洞窟に船で入ることを楽しみにしていましたが叶いませんでした。伊豆半島の成り立ちになるのですが、海底火山だった時代の軽石凝灰岩が波と風化で陥没したものです。


天窓洞 Tensoudou


西伊豆松崎町の山光荘。


松崎町は桜餅の葉っぱの産地で、全国シェアの7割の生産だそうです。僕が知っている桜餅の葉っぱはおまけで主役ではありませんが、桜葉産地では餅が二枚の桜葉に挟まれていて葉っぱが主役です。ここでは桜餅ではなく桜葉餅と言われてました。


松崎町はなまこ壁で有名です。おやつの後はなまこ壁の松崎町を散歩。
なまこ壁は平らな瓦の継ぎ目を漆喰でかまぼこ状に補強したものです。漆喰の断面がなまこみたいだからのネーミング。防火性、保温性、保湿性に優れ、明治時代から昭和初期まで各地で見られた外壁の工法です。松崎町には今も190棟余り残って、全国的には倉敷市や東広島市なんかに多く残っています。


那賀川のときわ橋の欄干と復元された時計塔。漆喰で描かれている桜。左官絵とか蔵飾りと言われる漆喰芸術は͡こて(鏝絵)と言われます。


明治時代の商家中瀬邸。呉服商だった大地主の邸宅は観光客に開放されています。


伊豆石だと思います。伊豆半島では硬質の安山岩と、軟質の凝灰岩の2種類が掘り出されていたそうで、松崎町の南西にも石切り場があったそうなので伊豆石です。安山岩のものは東伊豆産で江戸城、皇居の石垣です。こちらは柔らかい凝灰岩。


夕食の立派なお造り。


山光荘のお蔵。「伊豆の長八」と呼ばれた漆喰芸術こて絵の名工の入江長八(文化12年1815年~明治22年1889年享年75歳)。山光荘は長八の宿と言われています。このお蔵は明治11年1878年に建てられたものだそうです。入江長八63歳のこて絵


青龍


白虎


阿吽二頭目の白虎


北の窓、出て行く小鳥と


入ってくる小鳥。「寒牡丹」と言われている明治20年1887年、72歳の作品です。


長八の宿山光荘の朝食。玉子焼きはなんとおん年97歳の女将さん!
元々は造り酒屋だった建物を改造したという宿なんです。ご実家だったそうです。


慌ただしい朝、河津七滝のループ橋を山に向かいました。

2022年11月23日水曜日

芦川横沢

先月の下旬に差し掛かる頃の沢登りの記事です。山梨県の国中(くになか、甲府盆地)と郡内(ぐんない、富士北麓)を分ける東西に延びる御坂山地、その御坂山地の北稜線と南稜線の間の富士川の支流の芦川の横沢。


県道36号笛吹市川三郷線から入ってすぐにナメ滝です。この沢はアプローチゼロ的な取付き易い沢で、しかも本格的なゴルジュが登場する奮闘的な沢です。
所属する静岡山岳自然ガイド協会の後輩が自主研修に付き合ってください‼というリクエストにお付き合いした山行でした。常にスキルアップを目指すという姿勢は歓迎です。


いくつも登場する滝。ほとんどの滝が登れるのでとてもトレーニングになります。


クライミングも同じですが、そこを登れるかどうかという前にビレーシステムを作れるということが問われます。出来ない人はトライもできません。ある程度の長さのクライミングになるとロープワークというか万が一に備えてのシステムを作れるかどうかということが問題になります。


ロープを伸ばして中間支点を作って万が一に備える。トップは登り切ったら後続者の安全を確保するためにどう確保支点を作るか、それが出来るかということが能力ということです。それはリアルな問題です。クライミング技術。


ロープの長さは決まってるし、持っている装備も限られている。手持ちの道具でどこまで安全性を確保できるかというクライミングです。


きれいなすだれ状の滝の中間支点は取れません。確保されていない状態で登りきる力がないとだめなんです。


そして登場するゴルジュ


8mチョックストーン(CS)の登攀はかなりテクニカルで力業が必要です。クライミンググレード、デシマルグレードで5.9を確実に登れなければだめです。しかもカムを確実にセッティングが出来ないと安全には登れません。


こんな完璧なゴルジュが県道から1時間ってことがすごいと思える横沢です。


不動滝。30メートルです。


もう寒いってことでずぶ濡れになる不動滝は巻いてエスケープ。


でも滝を巻くってのも滝を登ることとは別な難しさがあります。そういったところが沢登りのキビシイところで、しっかり取り組まないと非常に危険な登山形態です。


無事に不動滝の巻きが終わって上流の穏やかな流れ。


入渓点からこの橋までの標高差は300mありません。この橋の周りは石積みの耕作地がいくつもあり、旧芦川村高萩の人たちが時に水田、時に桑畑として耕作していた場所です。


傍らの馬頭観音


昔の思慕と未知の道形を下って県道に戻りました。歩きながらアケビをゲット。初めて食べるという彼の感想は普通でした。「ほのかに甘いですね。」