2026年9月11日金曜日

針ノ木峠越え

信濃大町から針ノ木峠を越え黒部川を渡り越中富山に通じる古道、針ノ木谷に行きました。
戦国時代、富山城主の佐々成政(さっさなりまさ)のさらさら越えという、冬の峠越えという伝説で有名な峠です。佐々成政の伝説のルートは、今は立ち入り禁止の立山カルデラの中にあった立山温泉から獅子岳と五色ヶ原の鞍部のザラ峠を越え、黒部川に下り平ノ渡しを渡り、針ノ木谷から針ノ木峠を越え大町に下るというものですが、信濃大町の扇沢から黒部川までさらさら越えの半分、針ノ木谷でも歩いてみようということでした。

多くの観光客でにぎわう扇沢駅の横から入る登山道は草刈りが済んだ直後でありがたかったです。

途中の大沢小屋の営業はお盆までということでした。今では泊まりで利用することはほとんどないであろう小屋ですが、アルペンルートが出来る前、大町から歩いてきた昔はまずここに泊まる人が多かったようです。

リョウブの花が盛り

針ノ木雪渓にはもはや雪はありませんでした。"ノド”と呼ばれる最狭部。右壁に鎖が設置されていました。ちなみに日本三大雪渓というのがあって、剱沢、白馬大雪渓、そして針ノ木雪渓ということですが、どれも夏が進むと雪がなくなり苦労する昨今ですし、立ち入り禁止なんてことも頻繁です。

なんどもなんども手の入ったザレたつづれ折りの登山道。


針ノ木峠、日本三大峠と言われます。奥秩父の雁坂峠、南アルプスの三伏峠、そして針ノ木峠です。


針ノ木小屋で遅めの昼食。ラーメンを注文して水一杯くださいと言ったら水は有料と言われました。水のない稜線の小屋です。


針ノ木谷へ下る道は針ノ木小屋の南についていました。


針ノ木小屋からしばらくはジグザグに下りました。しっかり道形は残っていて、道を補強するための古い石積みや、最近の土留めや丸太の階段もあり歩きやすかったのですが、やはりここに入る人は少ないんだろうと感じました。道はやがて沢の河原状に吸収され水流に沿って下って行きました。そのタイミングで持参した沢靴に履き替えました。


小滝がいくつか登場しますが、写真のフィックスロープの滝が少し厳しかった。


針ノ木谷出合。いくつかのサインがありました。


渡渉をかさねながら下った針ノ木谷。写真ではわかりにくいですが船窪沢出合の登山道分岐です。船窪乗越に行く入り口です。急峻な尾根を七倉岳を経て船窪小屋に通じています。後で知ったのですが船窪沢出合から針ノ木谷南沢出合までは船窪小屋のボランティアの方が手を入れているそうです。船窪沢出合から上、針ノ木峠までは針ノ木小屋の担当みたいです。


ツエルトを張りました。


翌朝の朝焼け


船窪小屋による針ノ木谷の整備の情報は得ていたので、思った通りそこからの針ノ木谷のマーキングは濃くなりました。それでも普通の登山道ではないとも思いました。


一瞬、越中沢岳が見えたあたり、標高1,750m辺りで右岸の樹林帯の巻き道に入ります。長い巻き道です。開けた枝沢の出入りには注意深いピンクテープ、マーキングは単純ではないので上下左右キョロキョロしなくてはなりません。


あまり歩かれていないわけですが、こんな倒木処理も見かけました。


整備が入ったばかりのタイミングだったのでしょう。コナラの枝


南沢出合のトラロープが設置された渡渉点


渡ってすぐに確認できる南沢出合の赤いペイント


この丸太橋を渡って針ノ木谷左岸の道になります。渡渉が終わるので沢靴を脱いで登山靴に履き替えました。これも後で知ったのですが、ここから下流は関西電力の管理になって道の整備状況が一変して良くなります。


平坦な広い河原から見えたのは左が龍王岳、右が立山雄山です。2つのピークの間にあるであろう一ノ越は見えません。


丸太橋が黒部を感じます。


こんな石段を見ると「針ノ木古道」と頭をよぎります。


有名な避難小屋


平の渡しまで来ました。8時台の便があると思い込んでいたのが間違いで、2時間も待ってしまいました。


船着き場までは等高線3~4本分は下ります。


整備ための部材がところどころに集められていました。丸太の橋や階段は慣れないと怖い思いを抱くかもしれませんが、とても優れたものだと思います。ほぼ全てに手すりが付けられているのもありがたいです。


丸太と番線で自由自在に作られていることにしきりに感心しました。


とはいっても注意して歩かなくては…


船着き場


平の渡しの渡船は無料です。
「平の渡船は黒部川第四発電所(黒四ダム)の建設に伴い、黒部ダム湛水により水没する針ノ木谷~ヌクイ谷(平ノ小屋あたり)間の吊橋の代替のため、一般登山客が利用する無料渡船を設けることが国(当時の厚生省。現在は環境省)の許可条件とされた  黒部ダムHP」ダム建設の条件が、もともとあった吊り橋の利用者の利便を妨げてはならないという条件があったために無料で利用できるわけです。針ノ木谷南沢出合までもこの条件に該当するのでしょう。平ノ小屋から黒四ダムまでの登山道も同じ条件に該当します。


ライフジャケットの装着と名簿の記入が求められました。


船上からの黒部湖の様子



対岸までは5分くらいであっという間です。黒四ダムが出来る前は吊り橋が架かっていたそうです。ダム湖が出来る前は中ノ廊下と呼ばれていたそうで、山で廊下と言えば両岸が切り立った岸壁なわけですから、その廊下の弱点が平の渡しだったのでしょう。下ノ廊下と上ノ廊下は現在でも地名として残っています。


丸太の階段の後に登場するコンクリートの階段。すっげー急でした。手すりはありません。


平ノ小屋、ここでいろんなお話を聞けました。


黒部川左岸の登山道。写真はかなり平和な感じですが、枝沢や崩壊地を通過するための上り下りが多く、精神的に堪える道です。


丸太梯子や桟橋が登場します。


オオカメノキの赤い実


黒四ダムからトロリーバスで扇沢に戻りました。

2026年5月17日日曜日

神津島

伊豆諸島の神津島天上山に登ってきました。東京から180km、距離だけ見れば割と近いと感じます。浜松町の竹芝桟橋からジェット船で3時間半。


竹芝から大島→利島→新島→式根島→神津島とそれぞれの島に寄りながらなので、意外と飽きない3時間半でした。ジェット船なので船内を自由に歩くことは出来ませんが、あまり揺れないのでありがたいです。途中左にアクアラインが見えたり、千葉の鋸山が見えたり、右に三浦半島の山々が見えたりしました。港に着く直前、神津島天上山が良く見えました。真ん中の崩れが神津沢。左が白く崩れていますが、そこの真上が天上山の最高地点です。


神津島港に着いたジェット船


島に着いたら名所めぐり、神津島を少しでも理解することにしました。これは島唯一の信号機です。


「水配り像」 神話ですが、事代主命(ことしろぬしのみこと)という神様が、伊豆の島々を作る為に、神々を集めて相談をする拠点としたのがここ神津島です。そして、神津島の天上山で伊豆七島の神々が集まって水の分配の会議が行われました。その場所が天上山の不入が沢(はいらないがさわ)でした。


どの像がどこの島の神様かは忘れましたが、酒瓶を枕に寝ているのが最後やって来た利島の神様です。会議に遅刻したので水はほとんど残っていませんでした。怒って不入が沢(はいらないがさわ)で暴れまわったので、池の水は四方八方に飛び散り、水は枯れてしまいました。神津島のいたるところにある湧き水のいわれです。



ありま展望台。ここには巨大な十字架があります。安土桃山時代の朝鮮人女性、おたあジュリアの十字架です。ジュリアは秀吉の朝鮮出兵の戦災孤児。小西行長に連れてこられキリスト教に改宗。関ヶ原の後で改宗を拒否して島流しになり、神津島に来た人。


神津島郷土資料館の島のパノラマ


神津島には宿がたくさんありますが、みな小さくちょっと古いです。様々なサービスで感じる島の住民の島感覚です。


宿で咲いていたセッコク 漢字だと石斛


火山活動の産物、黒曜石も古代から使われていました。宿のペーパーウエイトが黒曜石でした。


翌朝、夜半からの強風で山頂部はずっと雲の中でした。


黒島登山口


ヒメユズリハ 姫譲葉 高さ10mにもなるそうですが、登山道わきで見られたものはせいぜい2m、強風のためでしょう。これは雄花です。


ヒメユズリハの雌花。雄花とは全く違います。春に新しい若葉が出ると、古い葉が席を譲るように落葉することからユズリハです。


お正月のお飾りに使われるウラジロ 裏白 の新芽


コシダ 小羊歯 ウラジロの下に守られるように生えていました。


シシガシラ 獅子頭


マサキ ニシキギ科の正木の新芽


スダジイの花、照葉樹林を代表するどんぐりの木


七合目ではなく7合目です。登山口からナンバリングされていて、山頂部の火口原で10合目です。


オオシマハイネズ 大島這杜松 砂地を這って成長する。 ネズミサシの別名がネズ。ネズは「杜松」と書き、葉が松に似ることからの由来。山頂部の火口原にたくさん見られました。


伊豆諸島固有のユリ、サクユリ 作百合 別名タメトモユリ(為朝百合)世界最大のユリの花だそうですが咲くのは一か月後でしょう。


シャリンバイ 車輪梅の花 気汚染や暑さ、潮風にも強い常緑性の木です。公園の植え込みや生け垣にもよく使われるそうで、今回の山行ではじめに見たのは、竹芝桟橋でした。


シャリンバイの若芽


トゲナシサルトリイバラ 刺無猿捕茨 サルトリイバラは蝶のルリタテハの食草ですが、トゲナシサルトリイバラはどうでしょう。


トゲナシサルトリイバラの花 雌雄異株で、これは雄花


山頂部からは前浜と神津港が良く見えました。


千代池。火口跡に雨水が溜まってできた、天上山最大の池です。今回は渇水期なのでしょう、水は溜まっていませんでした。


もう花の終わってしまったショウジョウバカマの葉っぱがたくさんありました、良く見ると見たこともないランが...ちなみに伊豆七島でショウジョウバカマが咲くのは神津島と御蔵島だけだそうです。


ヒメトケンラン 姫杜鵑蘭 杜鵑トケンはホトトギス(鳥)のことだそうです。林の中にたくさん見られました。


1km四方くらいの山頂部の火口原です。まったく平ではなく、例えるとCTスキャンで見た脳みそ画像の様な等高線です。


登山道はよく整備されていますが、本州のようにピンクリボンが結ばれているようなことはありません。このポールが時々現れ


基本的には黄色のペイントでルートが示されています。登山道以外はブッシュなのでとても歩けません。


登山道はまるでビーチを思わせるような砂です。天上山を形成している岩石が「流紋岩(りゅうもんがん)」という白い火山岩なので、その風化した砂だからでしょう。


オオシマツツジです。火山の噴火後、最初に育ち始めたのがオオシマツツジで、そこに他の植物の種が飛んできて根付き、強風に耐えながら育った結果、半球型の緑の島ができあがり、小さな緑の島がたくさん見られました。大島ツツジの緑の島。


「白い砂漠(表砂漠・裏砂漠)」が広がっています。


全く持って風の強い日でした。


最高地点には三角点があります。二等三角点「神津島」571.8m。天上山の山頂です。風速計で測ったら13mm/sが最高でした。


山頂から不入が沢(はいらないがさわ)への登山道は通行止めで、不動池までもどって反時計回りに下りました。外輪山のふちの様なコルから見下ろした不入が沢(はいらないがさわ)です。神々が話し合いをしたという噴火口です。


下りながら新緑がとてもきれいでした。新緑と言っても照葉樹林の新緑です。


白鳥登山口6合目。ここでタクシーを呼びました。


帰りは神津島空港から、19人乗りのでっかいセスナのような飛行機に乗りました。


片側一列で、預ける荷物は一人5㎏までです。それ以上は一キロ越えるごとに350円取られます。搭乗
するときには体重も聞かれました。運行するのに徹底的に重量を把握するということでしょう。


飛行機の上から見た天上山には、まだ雲がまとわりついていました。


それでも一瞬雲が切れ、山火口原の一部が見えました。白く見えているのが裏砂漠です。


飛行機が小さいので下界が良く見えました。鎌倉の街と江ノ島です。


無事、調布飛行場に降り立ち、神津島の山行が終わりました。