2025年1月31日金曜日

袋田の滝

今月のことでした。奥鬼怒の手白沢温泉の仕事の後、なかなか日光周辺に来ることもないので、どこかにを歩いて帰ろうと思い、初、茨城県ということで袋田の滝に行ったことを書きます。関東東部の大きな河川を地図で見ると、利根川、霞ケ浦、那賀川、久慈川とスケールダウンします。奥鬼怒の鬼怒川は利根川の支流です。
写真は袋田の滝の上流の滝川。滝川は久慈川の支流です。冷えた朝の朝霧が木々を凍らせきれいな朝でした。

全国に認知されている袋田の滝周辺をどう歩こうか?と地形図だけ見ながら歩き始めたわけですが、メインになる尾根に取付いたらしっかり「県北ロングトレイル」というサインがありました。

この流れのすぐ下流に生瀬滝、その下に袋田の滝が流れています。そして袋田の滝の下流で久慈川左岸に合流する滝川です。穏やかな流れの下に日本を代表する袋田の滝があるわけです。袋田の滝の東から尾根を西に進み、いったん滝川に下りて袋田の滝の南の尾根から上流に反時計回りの山行になりました。

滝川右岸のでこぼこした尾根を歩いていたら、はるか下に袋田の滝の上部が見えました。


西に進むほど急傾斜になってきた尾根。普通にトラロープ登場でした。


約400m標高の生瀬富士の山頂。生瀬はなませです。ここは大子町(だいごまち)で、茨城県の県北地域西部に位置し、久慈郡です。福島県や栃木県と県境を接しています。


地形図の406m標高点は山頂標識のさらに北東にあります。この岩稜の存在で生瀬富士と言われているピークは茨木のジャンダルムと言われているようです。何とかのマッターホルンとか、そんなことにこだわらなくてもいいのにって思いますが。


406m標高点の茨城県北ロングトレイルのサイン。


岩稜中間のこの岩の小ピークがむちゃくちゃ有名ですね。


生瀬富士から南下して、滝川の滝本はおみやげやさんだらけで、そのどん詰まりに袋田の滝の入り口がありました。ゲートを通過するのに300円です。


沢沿いの道は古いもので、もっと観光客を捌くためのトンネルは派手なイルミネーション


そのトンネルの途中から眼に飛び込んできた袋田の滝でした。


いきなりドッカ~ンな袋田の滝。トンネルの最後には最上部の展望台に登るエレベーターがありました。


袋田の滝は、高さ120メートル、幅73メートル、日本三名瀑だそうです。滝の流れがを四段に落下することから「四度(よど)の滝」とも呼ばれ、西行法師が歌を詠みました。


右岸の袋田の滝トンネルから左岸に渡る橋は工事中


右に見える滝が袋田の滝の最下段、袋田の滝トンネルの途中の展望台と工事中の吊り橋。


滝の下から続く「袋田自然研究路」を登りました。階段と手すりで整備されてはいますが、ものすごい傾斜なので歩くという表現にはならない袋田自然研究路でした。


袋田の滝の北にあるのが生瀬富士、南が月居山です。袋田自然研究路は月居山に続いています。月居山(つきおれさん) は双耳峰で、袋田の滝に近いほうが前山、一般的に山頂と言われているのが後山だそうです。


途中で見られる、生瀬滝なませだき


前山の北東尾根に出るまでが大変な傾斜で、谷底から這い出てきた感覚でした。


前山の北東尾根を下り、滝川に降り立ちました。朝見下ろした流れの中に細かな渡しがしてあり濡れることなく対岸に渡れました。袋田の滝を中心に反時計回りに一周でした。


茨城県北から東北道に出るまでが遠く、北関東道、関越、上信越道と走って山梨に戻りました。途中、足利あたりで遠くに富士山が見えたのには驚きました。

2024年12月31日火曜日

大井川西俣

2024年も終わろうとしています。このブログも夏から発信していないのは、単にサボっていただけです。もちろんいろんな山には行っていました。自分の備忘録としてのブログですし、皆さんへの活動報告という意味もあるブログです。山梨の片田舎で活動している登山ガイドとして、出来ることからやっていこうと思えた2024年の大晦日、とりあえず今年の7月の下旬に行った大井川西俣の記事を書こうと思います。印象的な山行でした。
大井川西俣源流部の魚無沢を下降するというリクエスト、まず千枚小屋に入りました。千枚小屋の朝です。

千枚岳直後のこの岩場のハシゴは勇気づけられます。しっかり設置されていて安心なハシゴです。


3000m手前からガスに覆われ強風の中の行動になりました。悪沢岳の山頂標識。


悪沢岳と荒川中岳の最低コルから魚無沢に入りました。とにかくまいったのはガスで視界が遮られ上手いルート取りが叶わなかったことでした。放射状に広がった源流部はハイマツに覆われていて、それでもハイマツが薄いところを選んで下りたかったのですがうまくいきませんでした。ハイマツ漕ぎも下りなんでまだましでしたが。


地形図から特に問題はないだろうと想像していた魚無沢でした。ハイマツ帯を抜けて草付きの急斜面でガスが無くなってきました。

振り返った魚無沢のガラガラ

2000mくらいで登場した雪渓。大井川西俣の支流の小西俣の奥に、右から塩見岳、2784m標高点、小河内岳です。この展望の下流部の草付きにはたくさんのシロバナヘビイチゴの赤い実がなっていて、それを一心不乱に食べていたクマに出くわしたりもしました。

小西俣と魚無沢の出合い。アンテナのようなものはソーラーパネルとカメラです。

近づいて確かめてみると、去年の8~10月にリモートで沢の流れを観察したのでしょう、東海旅客鉄道会社 中央新幹線推進本部という名前と、地権者である東海フォレストの子会社の十山株式会社の名前が書かれていました。JR東海のリニア関連ということです。

大井川西俣支流小西俣に入れば楽勝かもと思っていたけど、なかなか渡渉に神経を使いました。

この山行では何度も確認したのはサンショウウオの確認。これは飛騨サンショウウオでしょうか。

西小石沢出合近くでの幕営。

大井川西俣本流慣合の西俣堰堤。慣合は大井川西俣上流部の伐採基地ともいえる場所でした。今は建物の痕跡もありませんが、二軒小屋と三伏峠のちょうど中間部に位置します。富士川の切石と伊那谷の大鹿村を結ぶ明治5~6年に計画され19年に完成した「伊奈街道」はここを通っているはずですが確かめる余裕はありませんでした。

北俣を右に通過した辺りにあった吊り橋の痕跡。伐採関係のものだと思います。慣合から三伏峠までの間に3か所でワイヤーが確認できました。

時々流れの中を探っていました。これはハコネサンショウウオです。

川幅は広いのですが、真ん中の大岩の上に乗っかっている石を見る度、大水が出た時の様子が想像出来ました。写真の複数の石は水によって運ばれてきたわけですから。

西池ノ沢手前の崩壊地。右岸です。

左岸の東池ノ沢の崩壊地は流域最大です。


三伏沢と権右衛門沢の二俣。


現在の三伏峠の小屋より200m下の三伏沢の中にあった古い三伏小屋跡。現在の二五万図にもともとの歩道が書かれていますが、ここからまっすぐ北に行くと三伏峠と塩見岳の登山道の2498m標高点に出ます。道形はうっすら残っていて、8月に登山道を通った時に確認したら道形はありました。

三伏峠に近づいたら一瞬見えた塩見岳。

標高が2580mもある三伏峠です。

三伏峠から鳥倉林道への登山道はなかなか厳しい道ですが、峠から下り始めたらなんと整備が始まっていました。有難いです。

部材がデポされていたのでここまでかと…

厳しい桟橋が残っていました。

鳥倉林道のバス停

運行は伊那バスで、7月中旬から8月下旬まで1日2便の運行です。バス停から伊那大島駅または中央道松川IC まで運んでくれます。

大鹿村中心部に下る直前、鳥倉林道の最後で土砂降りの雨。本当にこんな降りが多くなりました。大丈夫なんだろうかとかなり不安だったのを憶えています。

いつもは自家用車での移動ですが、この時は身延線で静岡に出て井川に移動、山を歩いた後はバスで飯田線伊那大島に出て電車を乗り継いで中央線の韮崎に帰りました。公共交通機関で山に行く事情があったのですが貴重な体験でした。