2026年3月22日日曜日

じいとばあ

国道254線を内山トンネルから山あいのカーブを回りながら下って、軽井沢への交差点を過ぎると見える“じいとばあ”。国道沿いのじいとばあ食堂のあたりからよく見えます。やっと実現したじいとばあの山行でした。正式にはじじ岩とばば岩でしょうか。左のピークは御堂山です。


中山道の脇往還としてにぎわった姫街道、街道の関所だった西牧関所跡が登山口です。


「この石は幕吏や名主が被疑者をこの上に坐らせて取調べをしたと云われ、泣き石と称せられたそうである。」という説明。


山としては御堂山です。群馬百名山とのことですが、西上州の山なので難易度は高いと思います。ヤセ尾根や急斜面、岩のセクションなんかが続々登場する西上州の山々。


夏このエリアに来る人はそんなにいないとは思います。まだ寒い時期なので心配はいらないヤマビルです。


しばらく歩いた林道が終わって、登山道に入って登場する枯れた滝。ロープが設置されています。


ロープを張りました。設置されたロープは鉛直方向で、その方向に行ってしまうとより難しいラインに入ってしまうので、登る補助として赤いロープを使うという意図ではなく、登るラインを指し示すという感じでした。


じじばば分岐。じじとばば岩により道です。


 ヤセ尾根。


岩の付根を登ったり下ったり。ここで落ちたら...というところにはフィックスロープを張りました。


逆光のじじ岩とばば岩。


ばば岩の付根までクライムダウン。



素晴らしい展望でした。荒海を進む船に見立てる荒船山が良く見えました。その横には兜岩山、その手前、ほぼ中央に物語山。物語山には1日目に登りました。


樹間にじいとばあ。


東の枝尾根のじいとばあの展望台へ移動。ワンポイントで120㎝のスリングを使いました。


展望台から見たじいとばあ。真ん中の岩峰がじいで、右の岩のこたつにあたっていて、左の岩峰のばあがお茶を運んでいるところだそうです。こんな見立てもあって、じいとばあの家族が荒船山の出港を見送っているところ。


御堂山への急登。地面がとても乾燥していて土埃がひどかったです。登山道からピストンの山頂ですが、かなり神経を使う荒れた登山道でした。


御堂山山頂878.4m


御堂山から高石峠へと周回。御堂山西からはあまり歩かれていないのか、それまでの濃いくらいの案内がすっかりなくなって、複雑な地形も相まって難易度が上がりました。高石峠への最後のピークからの下り、トラロープが設置されていましたがフィックスロープを張りました。トラロープは支点の木に結ばれ、垂れ下がっているだけですが、正しい高さのフィックスロープはかなりの補助になると改めて実感しました。そう感じさせたのはスムーズな通過からでした。


高石峠から根小屋集落へ下りは注意が必要です。峠からは写真のようなはっきりした峠道が残っていました。そんな古道の登場に嬉しくなったのですが...


すぐに伐採、造林の古い作業道になり、広々した伐採後に出ます。あ~終わった、古い作業道をのんびり下れば集落に出る~とはなりませんでした。


9年前の下仁田町森林組合の作業だったのでしょう。作業道は「峠下線」となっていました。


そのサインの先で林道は広場になっています。地図の530m標高点の東です。どうもその先で林道は沢から離れて伸びていくようでした。林道わきにあった山の神の石祠が目印です。沢の右岸にありますがそこから沢床に入っていくイメージです。古い堰堤が3つくらい出てくるのは全て右岸からパスしました。


途中で古い林道が出てきますが、使えるものは使った上で、徒歩道は地図通りだと考えれば良いと思います。


ここまでくれば根小屋集落もすぐです。


下りながら馬頭観音があったりしました。根小屋集落に出るとあった道しるべ。
 右 中之嶽を経て妙義町」と彫られていました。高石峠の峠道は妙義に行く道だったのでしょう。そういう古道はたくさんありますが、高石峠の道の途中は伐採、造林で残念なことになっていました。


前の日に登った物語山と右下にメンべ岩が見えました。


上州姫街道 本宿(もとじゅく)中山道の脇往還の姫街道は碓氷峠に比べ平坦で険しいところが少なかったので、女性でも比較的楽に歩けたというところからきています。その宿場町の雰囲気を残す本宿を最後に歩きました。


2026年2月20日金曜日

日本坂

日本平はなんで日本?とか、日本坂ってなんで日本? 今月のはじめ、普通のガイド登山とはちょっと違う内容の山行をした2日間でした。観光地として有名な日本平に歩いて登って、静岡市内のホテルに泊まった翌朝、静岡県民以外は知らない天神屋さんでお昼を購入して始まった静岡市2日目の目的地は日本坂でした。


南安倍川橋から見た正面の満観峰。左に花沢山です。
「日本平はその昔、日本武尊が東征の際、草薙の原で野火の難にあい賊を平定した後、この山の頂上に登り四方を眺めたところからこの名で呼ばれるようになったといわれています。」
                              日本平・久能山観光協会


では日本坂は?「日本神話における景行天皇の時代に、焼津に上陸した日本武尊がこの峠道を越えて東征に向かったという伝承からと言われている。(310年の頃のおはなし)
東海道線用宗駅からスタート。ちなみに用宗(もちむね)はかつては「持舟(もちふね)」と呼ばれ、今川氏や武田氏、徳川家康ゆかりの「持舟城」があった場所です。東海道線の踏切の名前も用宗でした。


これは紅梅


小坂(おさか)集落に入ったところに登場する「御所の前」の石碑。碑文の文字起こし。

 【七(7)世紀中期頃、大和朝廷は、西は九州、東は陸奥の一部を統一支配し、遣隋使、遣唐使の派遣により大陸の先進文物制度を摂取し、中央集権国家の確立と、諸国に通ずる交通路の整備を図り、「大化」と初めて年号を制定した。世に言う大化改新(六四五645)である。
 大和の都から遠く陸奥国に通ずる最古の東海道は、大化二(2)年の駅伝制のにより、駅馬、伝馬の制度が設けられるようになった。万葉の道、駅馬の道とも言われ、野越え山越えの狭隘な道が延々と続いていた。最古の東路が高草山の何処を通っていたかについては、初倉駅小河駅日本坂手児の呼坂横田駅が考えられる。海抜三〇二302米の日本坂越えの道は急峻であり、花沢から大崩海岸の平坦な通路も利用したものと思われる。この坂越しの道と大崩街道の合流点が、倭建命の伝承の地、小坂小字御所の前であり、往時の交通の要衝の地であった。万葉人の苦難の旅路が今に偲ばれる貴重な史跡である。

 陸奥―陸奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県と秋田県の一部(鹿角郡)。等級区分で大国の一つ。

遣隋使、遣唐使―遣隋使(600-614年頃)と遣唐使(630-894年)は、日本が中国の先進的な制度・文化を吸収するために派遣した公式使節

大化改新—中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が蘇我氏を倒し(乙巳の変)、唐の制度を手本に天皇中心の中央集権国家を目指した古代の政治改革

—ショウ・みことのり。天皇のことば。「詔書」「詔勅」

狭隘―きょうあい・せまいこと。

倭建命―『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、
     『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記される。
     現在では、漢字表記の場合に一般には「日本武尊」の用字が通用される。


初倉—島田市大井川右岸 小河—焼津市国道150号 日本坂―日本坂峠
   手児の呼坂―安倍川橋右岸  横田―駿府城の東
「御所の前」に登場するこれらの地名を結ぶと古代官道・東海道の一部が見えてきます。


ちょっと困ったことに、とんでもない日に来てしまった...満観峰の先で500~600人のランナーとすれ違うことになりました...


峠に登る古道の石積みは、耕作放棄されたお茶畑です。


日本坂峠  南の花沢の里に峠道は下っていました。


前日歩いた日本平がはっきりと見えました。


峠からは稜線歩き。いくつかの小ピークを登って下って満観峰です。それにしてもこんな階段、ちょっとへこみます。


満観峰


すごく人気の山で広々しています。残念ながら富士山は雲の中。


イベント用のテントが張られた満観峰山頂、次々とやってくるトレイルランナー。エイドステーション(給水所)というのでしょうか、テントです。


ベンチのある「蔦の細道」も峠です。日本坂のあとの平安時代、古代東海道にあった小川駅が廃止されたことに伴い、それまで太平洋側にある日本坂を通過していた交通が宇津ノ谷の蔦の細道へと移りました。小川は小河で今の焼津駅の近くです。


国道1号宇津ノ谷峠トンネル関連の建物。この稜線の下にはトンネルが4本も通っています。東から平成のトンネル、昭和のトンネル、明治のトンネル、大正のトンネルです。


この日の目的は日本坂から蔦の細道を経て宇津ノ谷峠まで歩くというものでした。最も古い東海道の峠越えの日本坂から時代を下って、蔦の細道、宇津ノ谷峠を経て明治のトンネルを岡部宿から丸子(まりこ)宿に歩きました。しかしそれにしても稜線から明治のトンネルに行くまでの道は難しかった!車の通行は出来ない明治のトンネルです。


明治のトンネルから風情のある宇津ノ谷集落を経て国道1号に出てきました。丸子側です。右が昭和のトンネルの出口、左が平成のトンネルの入り口です。


静岡駅で無事解散し、車を走らせて山梨に戻ります。途中なんと静岡なのに吹雪になりました。雪が積もったのは驚きました。最近の気候の変化は激しいです。

 

2026年1月31日土曜日

青森の大雪

八甲田山で樹氷を見るという山行のために青森に行きました。青森県内は40年ぶりの記録的な大雪、なんともな~というドンピシャのタイミング。もちろん強い冬型が続かないと樹氷も発達しないわけですから難しいのですが。山梨から大宮に移動して新幹線はやぶさに乗りました。

普段、移動は車ベースなので鉄道を利用することはあまりありません。なので新幹線に乗るなんて僕にとっては特別です。最高時速320㎞/hで、青森まで3時間かからないのが驚きです。新幹線は早いので、見える山もかなり注意していないと同定できないくらいです。写真は男体山と日光白根山が見えています。

盛岡を過ぎて岩手山が見えてきました。山頂は見えませんが、噴火警戒レベル2は今年どうなるでしょう。仙台から岩手県に入り少しづつ雪が出てきましたが、それでも青空が見えていました。車内販売の「シンカンセンスゴイカタイアイス(スジャータ)」を食べたりしていました。

奥羽山脈の北端の山々にあけられた八甲田トンネルを抜けると一変の景色。鉛色の空からは雪が降り続けていました。新幹線新青森駅から町の中心の青森駅までは奥羽本線でひと駅です。基本的に新幹線新青森駅から青森駅への移動は奥羽本線の様でした。電車かバスかは決めていませんでした。

次の青森駅行きの便は何時だろう?なんてのんびり降りた新青森駅でしたが、どうも状況は簡単ではないと後でわかりました。時刻表は関係なくなってしまった普通列車。大雪のため弘前方面は運休になった奥羽本線、この日最後の青森駅行きの列車は雪を押し出しながらやってきました。新青森駅構内の青森駅に向かう人を全部のせて走り出した列車。この日最後の列車に乗れたのは何ともラッキーでした。

到着した青森駅のホーム。

青森駅の駅前広場。雪の壁でほぼ周りの状況がわからないなか感覚で歩き始めました。目指したのは予約したホテルです。

ホテルの窓から見た青森市内のようす。たった5㎞の新幹線新青森駅から青森駅の移動がままならない、実際に雪の壁の市内を歩いての実感、翌日予約していた有名な酸ヶ湯温泉とやり取りした情報などから、頑張っている新幹線で青森に来ても山行を楽しむことは出来ないと判断して山行はキャンセルしました。酸ヶ湯が来ないほうが良いというくらいでしたから!

翌朝移動がままならない青森市内、いくつか連絡して確保したレンタカーを使っていろいろ見て回ることにしました。歩いてレンタカー会社に向かいました。

ホイールローダー3台体制で除雪していたガソリンスタンド。宿に泊まっていた深夜も除雪作業が続いていることが分かった騒音でした。


青森市内の路地の様子。皆さん仕事をどうしているのか? 除雪、除雪、除雪です。

皮肉にも大雪注意報が出ていたにもかかわらずの青空。

国道7号線の様子。両側の雪の壁がせまっているので片側二車線が微妙でした。

市内から八甲田山は一瞬見えました。黒いボッチが八甲田ロープウェイ山頂駅です 。

津軽山地の南端の梵珠山も計画していました。国道7号から沢内沢に入り進んでみました。

梵珠山登山のスタート地点、青森県立自然ふれあいセンターに行こうと走りましたが…の結果です。「雪崩発生のため臨時休業」。青森県立自然ふれあいセンターまで2.5㎞くらいの地点でした。


仕方ないので国道7号線に戻って見えた梵珠山。


除雪、除雪、除雪です。一瞬見えた青空ですが、30分後には雪が舞うような、全く先が見えない天気。


青森市内に戻りレンタカーを返して宿に向かいました。結局2泊3日の青森でした。除雪された道、除雪が入っていない道、車道の雪の壁横のトレース、アーケードの下でも様々な雪の状態を経験したわけですが、もしこんな時にアドバイスするとしたらなんて考えるわけでした。様々な雪面が街中でも登場します。これを山の中に置き換えても良いわけです。道具に頼らず、小股で歩いたりフラットに足を置いたり、雪国の人たちはそれを日常で実践していると思ったりでした。青森市内でチェーンアイゼン着けている人はいませんから。

大雪の中のごみステーション。

3日目の朝に行った市場。あさ7時くらいからですが、これは冬で、しかも大雪でということかも知れません。市場自体は5時から空いています。

大きなタラをさばいていました。

山国に住んでいるので、開きじゃないホッケそのものを見る機会は貴重かも?とにかく安いと感じました。

トゲクリガニ。どんな味なのかちょっと気になりました。動いていたので生きていました。

帰りです。3日目の早朝は青森駅でどう新青森駅に移動できるだろう?これシリアスな問題でした。ネットで新幹線の予約は出来るけど、新幹線は動いているけど新幹線の新青森駅にどうやって移動する?という大問題でした。基本、奥羽本線で青森駅から新幹線新青森駅に移動という設定で、バスは極端に少ない移動手段。その奥羽本線が止まっている朝。

1日目の新青森駅から青森駅に移動する奥羽本線の状況がこの朝のバスに乗り移った感じでした。とにかくバス停に並びましたが、バスはいつ来るかわからないわけです。じゃあタクシーはどうか?1時間半くらい青森駅にいたけど、その間見たタクシーはたった2台…やっと来たバスでしたが、バス待ちの先頭の人は2時間以上待ったと言います。国籍もいろいろな乗客同士で乗れた達成感を共有しました。


無事到着した新青森駅。新幹線の発車まで30分前でした。

新幹線の駅とクロスしている奥羽本線のレールに積もった雪。

やはり動いていない奥羽本線。

新幹線の凍結予防の散水。

はやぶさがやって来た時の安堵感。ちょっとオーバーですけど、このはやぶさに乗るまでは青森脱出作戦みたいな感覚がちょっとありました。いずれにしても新幹線ってすごいです。

3時間かからないで着いた大宮の景色。雪が無いってなんて平和なんでしょうか!