それほど気にかけていたわけではありませんが、草津温泉に泊まった翌日、どうしようと考えていたら「米子大瀑布」はどうだろう、ちょっとしたドライブでしたが、志賀高原も草津白根山も四阿山も大きな山塊と捉えれば、米子大瀑布もその中に入るでしょう。ここからは根子岳への登山道もあります。紅葉がピークであること、週末はマイカー規制があることなどの情報でしたが、紅葉の始まりから約一か月間、協力金という名目で1,000円徴収されるということは知らないまま向かった駐車場でした。
米子大瀑布(よなこだいばくふ)は長野県須坂市にあり、日本の滝百選や国指定名勝に選ばれている絶景スポットです。米子川沿いの整備された歩道を歩きます。
途中にあった石碑
山岳修験道の霊場として知られています。童子と読めます。ヤマップの情報「不動明王の使者である36人の童子たちが、参道の起点から奥之院に向かって1番から36番まで順番に配置されています。平面的な岩石(自然石)に、不動明王の姿、番号、そしてそれぞれの童子の名前が陰刻(彫り込み)されているのが大きな特徴です。」
整備された道です。米子不動尊奥之院への参道ということになります。
米子不動尊奥之院です。
「不動滝(白龍の瀧)」落差約89mだそうです。
本当に紅葉真っ盛りできれいでした。
「権現滝(黒龍の瀧)」落差約82mだそうです。
沢を渡り広々した鉱山跡。
「この地で硫黄の採掘が始められたのは、江戸時代前期からとも言われますが、詳しいことはわかっていません。
享保年間(1716-1735)、米子村(現須坂市米子町) の竹前権兵衛・小八郎兄弟は、幕府に良質な硫黄を売り、その資金を用いて新潟県新発田市市紫雲寺地区 (旧紫雲寺潟)の一大干拓事業を行い、同所に米子新田を開きました。
明治になり、須坂硫黄会社、信濃硫黄株式会社などが採掘を行い、昭和9年には中外鉱業株式会社に引き継がれ、昭和35年の閉山まで、硫黄を中心に蝋石、ダイアスポアーなどを産出しました。
米子鉱山から須坂駅まで全長14kmを超える索道 (リフト)が架けられ、硫黄が搬出されました。硫黄の需要が増大した第2次世界大戦当時には、この地に生活する鉱山従業員とその家族は1500人を数え、 診療所を共同浴場、学校などが整備された山の集落へは、この索道を使って須坂から多くの物資が運ばれていました。 」
広々した硫黄鉱山跡地は、米子大瀑布を見る絶好の展望台です。トイレもあります。
とうじの写真が飾られていました。
曇りがちの空で、美しい紅葉の様子の写真が撮れませんでしたが、帰路に太陽が出てきました。
その様子の動画です。


































































