2024年4月19日金曜日

一本岩

ガイド山行の流れって様々ですが、今回の一本岩への山行は何より自分自身が思いっきり行きたかったものでした。なのでご参加いただいた方々に思いっきり感謝!なのでした。高崎からの上信電鉄の終着駅の下仁田駅からスタート。


本宿の街並み。中山道の裏街道「姫街道」の大きな宿場です。この宿から鏑川(かぶらがわ)沿いに姫街道を進みます。2つのキーワードの説明が必要です。「姫街道」というのは東信の佐久方面から西上州に峠越えをするものです。いちばんオフィシャルなルートは何といっても碓氷峠です。それははるか飛鳥時代の官道、東山道が通っていた時からの話です。ただ碓氷峠は難所の峠だしもろもろ費用負担もあり、鏑川(かぶらがわ)沿いのルートが緩やかに進むのでお姫様でも楽に通行できるということでの姫街道です。オフィシャルな碓氷峠より経費が安いという裏街道でもあったそうです。鏑川(かぶらがわ)の鏑(かぶら)というのは祭式で使われた弓矢の矢の先端に付ける飾りということらしいです。弓矢に関係している鏑(かぶら)ということです。


鏑川(かぶらがわ)上流の矢川川中流に聳え立つ一本岩です。姫街道の初鳥屋から最奥の高立集落から古い林道を進むとこつ然と登場する一本岩。この岩は妙義山の星穴岳の伝説とかかわっています。
【大男の百合若大臣が旧松井田町小山沢(横川)から力比べをしようと妙義山に向かって矢を放ったところ、山腹を貫いた。この穴を「射抜き穴」(星穴岳)と呼んでいる。また、貫かれた岩が妙義山の西方約10キロの下仁田町高立集落に突き刺さったとされ、これが「一本岩」だとされている。一本岩を源流とした川は、「矢川川」と呼ばれている。】
百合若大臣というのは蒙古来襲、元寇の時に活躍したといわれる弓の名人だといわれています。星穴岳の穴を空けた矢が一本岩だという話です。


横川から見た星穴岳の写真です。左の穴が射抜き穴で、右がむすび穴といわれる百合若大臣の家来が投げたおむすびで空いた穴と言われています。この2つ穴が夜空の星のように見え、この山を「星穴岳」と呼ぶようになったということでした。


この古道に注目した人物に登場していただきます「尾崎喜八」です。大正から昭和の初めに登山界に登場する詩人です。美ヶ原の美しの塔の詩が尾崎喜八です。一本岩の上流には西洋型の最初の牧場といわれる神津牧場があり、その牧歌的な空間を愛した尾崎喜八は、1893年(明治26年)4月1日横川 – 軽井沢間が開通した信越線の軽井沢からその日のうちに神津牧場に行けると力説しています。都内ー軽井沢ー高立ー一本岩ー神津牧場です。それは【「山の絵本」神津牧場の組曲(昭和7年作)】の中に書かれています。
古い標識がありましたが、決してハイキングコースではない矢川峠への道だということは強調します。このブログ記事の後半に登場します。写真の道型は神津牧場への古道の入り口です。


一本岩の根元をぐるっと回っていた古道から見上げた一本岩です。約180度のぐるっとです。


古道の途中で見かけた大好きな花、ハナネコノメ


尾崎喜八は一本岩を過ぎると急登だと書いていますが、実際はゆるい古道でした。地理院地図に今でも書かれている徒歩道と実際の古道は一致しています。


コロナ後に試行錯誤したひとり対応の幕営はいまでも活躍してます。テント泊志向ではない参加者が、まだ春早い時期にシュラフカバーも持参して今回の山行に対応していただいたのは素晴らしいと思いました。


僕も頑張りました!しっかり仕込みをした鶏の水炊きの夕食。


翌朝、神津牧場に向かう古道です。写真のど真ん中が古道で、こういった今は歩かれていないけど、何となく人の痕跡が感じられるものを道型と表現しています。


こんなサインはおそらく50年前くらいまで積極的に使われていた古道だろうと思いました。


古い牧草地まで登ってきて見下ろしました。日暮山(にっくれやま)です。わかりにくいけど一本岩も写っています。


ヤドリギせまられている木。3月の寒気でヤドリギの花もまだ咲いていませんでした。


現在の神津牧場のエリアに入ってきました。


神津牧場の営業時間は何と午前8時!山行途中にもかかわらず絶対に食べたいということでみんなで神津牧場のソフトクリームでした。ジャージー牛のソフトクリームです。


神津牧場から佐久方面に進む道は香坂峠の古道です。しっかりした登山道になっています。中腹には古道を感じさせる観音像があります。


こんな立派な馬頭観音もあります。江戸時代の末期の建立です。新一万円札の渋沢栄一も見ているはずの馬頭観音です。


中央分水嶺の香坂峠。去年は佐久側から消えかかった古道をトレースした香坂峠です。


八風山手前の矢川峠です。鏑川支流の矢川川の源流なので矢川峠でしょう。地名ってそんなつながりが正統派だと思います。鏑川も弓に関係し、矢川川はストレートに弓矢。そして百合若王子の星穴岳の話に全部通じています。


神津牧場から八風山にかけて東側は崩れ地形で今はどうかわかりませんが、ずいぶん前からその変化を観測する試みが行われていたような痕跡がたくさんありました。


わかりにくいのですが、下りながら横の地形を見るとまるで波打っているように見えました。本当に波のような地形がしばらく続きました。


矢川川上流部に向かって波打つ地形は下りて行ってました。とても危険な感じの沢地形を見下ろしています。難しい判断でしたが、地形図の徒歩道を尾根に目指しました。


途中で見かけたクマの痕跡です。ブナだと思いますが、むちゃくちゃクマの爪痕がついていました。


地形図の徒歩道は一致していて、尾根の南側ベースに確認できました。ただトラバースの道は沢地形で寸断されていてとても歩ける代物じゃなかったので、尾根をトレースしながら下る変更をしました。下の写真はその尾根から昔の道があったであろう所を見下ろしています。とても歩けません。


尾根上にトレースはありましたが、急なところはかなり不安定でロープを出しました。ロープを出すと時間はかかりますが安全に通過するためには必要なロープワークです。


危険なところでロープを出して通過して、昔の道に再び合流したらご褒美のように馬頭観音が。感動したご褒美でした。


そこからは特に問題なくスムースに下れました。


尾根のトラバースの道を無事に下った後に眼に飛び込んできた一本岩です。


キブシの花


幕営地に戻ってテントの撤収。前夜に活躍した鍋をザックに付けた図です。


矢川川に下り最後の一本岩です。


「高立目がけて七曲リの急坂を一気に降った。そして香坂峠からの路に合して幽邃な谷をさかのぼり、一本岩のスタックの根がたを廻って、いよいよ牧場への急な坂道にかかった。」【「山の絵本」神津牧場の組曲(昭和7年作)】尾崎喜八です。軽井沢から七曲りの急坂を下った一本岩を通過して神津牧場に向かっています。僕らは高立の集落から彼の言う七曲り、群馬県道・長野県道43号下仁田軽井沢線に車を走らせ軽井沢駅に行きました。山行は軽井沢で終わったわけです。お疲れさまでした!



2024年4月16日火曜日

角田山の春

越後平野の西、弥彦山塊の角田山登山は自分にとって風物詩みたいなものです。野積海岸の宿、まつやさんにお世話になることもセットです。上越新幹線燕三条駅がスタート。良寛の里ともいえる駅前の良寛さまの像。


多宝山と弥彦山と国上山。弥彦神社の大鳥居をくぐりました。角田山方面に向かう途中、越後平野から日本海に向かう放水路群の流れを見ることが出来ました。弥彦山塊からの水の流れは東に向かうはずなのに、放水路の水は西に流れ弥彦山塊に開けられたトンネルから日本海に流れます。洪水で田んぼが冠水してしまうことを防ぐ治水です。

春の花の時期は東から西へ一方通行になる五ヶ峠。何とか駐車場に車を停めることが出来、樋曽山へ向かいました。展望はないもののたくさんの花々に出会える樋曽山です。中でもカタクリのシロバナが目的です。

立派なコシノカンアオイ 越の寒葵

はじめて作ってみたアップルパイ。皆さんに食べていただきましたが、お味はどうだったんでしょうか?結構ワイルドな感じだったと思います。


コシノコバイモ 越の小貝母

キクザキイチゲ 菊咲一華

シュンラン 春蘭

ウスバサイシン 薄葉細辛

キバナノアマナ 黄花の甘菜

オオミスミソウ 大三角草

カタクリ 片栗のシロバナ。この日は5株見かけました。おそるべし樋曽山です。


茅葺き屋根の古民家の宿まつやさんにお世話になりました。

今回も春の味、わかめのしゃぶしゃぶを堪能しました。

アオサとモッツァレラチーズの茶碗蒸しは絶品でした。

締めの鯛茶漬けは安定の味でした。

野積浜で朝の散歩

まつやさんの朝食。アルミホイルに包まれているのはサービスのおむすび。


2日目は角田浜から灯台コースで角田山を目指します。まさしく海抜0mからのスタートです。

角田岬の灯台を見下ろします。昭和34年に出来た灯台ですが、ずっと昔から北前船の目印になっていたであろう角田山です。

灯台コースはちょっとした岩場が登場しアップダウンが続きます。難しい岩場ではありませんが登りで使いたい尾根です。



やせ尾根の後に登場するカタクリ群落。

灯台コースの岩場の後は、斜面という斜面がカタクリのじゅうたんのような感じが例年ですが、今年は3月の寒気の襲来が一週間くらい開花を遅らせていると思いました。山頂手前名こんな蕾ばかりでしたから。


角田山山頂


マルバマンサク 丸葉満作

山頂東の観音堂前広場は越後平野の大展望です。トイレもあります。

下山は灯台コースの隣の桜尾根。角田山の公式なルートは8本くらいあるのでしょうか?ほぼ独立峰に近いので細かな尾根にトレースがあり、それは公式ルートの倍以上でしょう。桜尾根は公式ルートではありませんが、オオミスミソウが素晴らしいのでトレースはとてもはっきりしています。灯台コースのような岩場もないので安全です。


オオミスミソウは同じ種とは思えないほど、花の色・形はさまざまです。桜尾根では様々なオオミスミソウを見ることが出来ます。


オオミスミソウの名前の由来は、葉の先端が尖っていてみっつ角があるためミスミソウとなり、日本海側のものは大きいのでオオミスミソウとなったということだと思います。

印象に残ったオオミスミソウの写真をはります。








角田山を下り、時間があったので大河津分水路の資料館に寄りました。越後平野が大穀倉地帯に変わるきっかけになった信濃川の大河津分水路の存在を知ることはとても重要だと思ったからでした。大河津分水路 7年前に書いた記事です。

大河津分水路のジオラマ

スタート時点と同じ上越新幹線燕三条駅でお客さまと別れた後、北陸道を走っていて出合った自衛隊の隊列。元旦の能登の災害の復旧です。すごいところに住んでいる日本国民です。