2024年1月31日水曜日

雲竜渓谷

日光の雲竜渓谷は氷瀑ハイキングで有名な渓谷です。直前のネットニュースで暖冬の今年は例年の3分の1の氷瀑の規模と言っていて、冬の楽しみもこれからは変わるんじゃないか・・・と集合場所は夜明け前で、集合場所のJR日光駅は大正元年(1912年)落成のルネサンス様式のきれいな駅舎でした。

車で30分くらい移動して登山口です。日光東照宮の東に流れる稲荷川の上流部の雲竜渓谷です。稲荷川は華厳の滝の大谷川(だいやがわ)に流れ、大谷川は鬼怒川に流れ、鬼怒川は利根川に流れ太平洋です。

稲荷川の源流は女峰山です。朝焼けがきれいでした。歩き始めた稲荷川の左岸にはだいぶ疲れた遊歩道がありそれを登りましたが、砂防と観光が合体したところだと感じました。土砂流出の被害から日光と今市を守るための治水の歴史は明治時代からだそうです。

右岸の林道に移って古い標識がありました。雲竜渓谷と彫られていました。

林道が終わって稲荷川の本流に近づいてあったカメラ。日光砂防事務所のHPを見てみましたが、このカメラの映像は公開されていないということでした。

特徴のある格子の堰堤。

格子の堰堤を通過するとはじめの渡渉があります。雪がほとんどない中で、徒渉点の石は中途半端に氷が付いていて難しい徒渉でした。氷が発達していればアイゼンを装着して簡単に渡れます。

格子の堰堤の渡渉の後で巻き道に入ります。砂防堰堤があるので巻くのでしょうが、まるで沢登りの高巻きの様でした。もう一度徒渉をして林道に出て少し歩くと階段が設置されていました。階段を降りると雲竜渓谷に入ります。

雲竜渓谷の入り口。

基本気温が高めなので全ての氷瀑で水が流れていました。

斜面の染み出しが気温の低下で氷るわけですが、水量が絶妙なんだと思います。水量が多いとこんなにきれいにツララの集合体にはなりませんから。

シンボリックな雲竜瀑。下部の滝は水の流れがしっかり出ていました。この滝は枝沢の滝で、稲荷川本流は女峰山に向け七滝沢を分け、本流ともいえるアカナ沢に至ります。

雲竜渓谷は流れがどこを歩いても問題ない感じに氷っていましたが、ドッボンとならないよう注意は必要です。

氷瀑の下が危険なのは崩壊した痕跡でわかりました。落ちたツララがたくさんありました。

帰りの林道の途中の展望台から見た日向砂防ダム。昭和57年(42年前)完成の巨大な砂防ダムは、解説によると当時日本一のサイズだったということでした。稲荷川の大洪水から日光東照宮や下流域の人々の暮らしを守るための砂防ダムです。

暖冬とはいえそれなりに寒さはあるので、下山後はクラムチャウダーで温まっていただきました。


日光のメインストリートに戻って散策。ドラゴンの上の街路灯のマークは何を意味するのか?日光の特産は羊羹と湯葉とたまり漬けです。お土産にたまり漬けを買ってお店の人に聞いてわかったのが、通りに細かく町名が付いていて、ここは石屋町なのでそれを表していて、駅の方は松原町、東照宮側が御幸町と教えていただきました。街路灯の文字が変わります。山には関係ないけど何となくスッキリしました。お疲れ様でした!



2024年1月23日火曜日

アイゼンワーク

静岡山岳自然ガイド協会の研修のテーマは雪上歩行。アイゼンを装着して氷った沢を歩いてポイントを確認するという意味で八ヶ岳の河原木場沢に集合しました。八ヶ岳の裾野の農道は前夜の降雪でかなり難しい路面で、ノロノロでしか走れません。ベースの気温が高いこの冬ですが、間違いなく氷っているということで選んだ場所です。

桜平手前の広い駐車場です。風もなく遠く中央アルプスも良く見えていた朝です。

雪山に行って、雪が登場したら即アイゼンを装着するというのはなんともな~、なんです。アイゼンを付ける前に出来ることはあって、それがフラットフッティングです。全く氷ってしまって滑る状況じゃなければ、わざわざ重しのようなアイゼンを付けなくても歩けます。そんなことを確認しながら、そのことをどうアドバイスをするか?なんて意見交換しながら林道の傾斜を利用してみんなで歩きました。雪上歩行のフラットフッティングは夏山の歩きに通じます。

しっかり氷っていてくれた河原木場沢でした。


雪上ギア(スノーシュー、ピッケル、アイゼンなど)なしにフラットフッティングを意識して歩いた後は、アイゼンを装着してのフラットフッティングです。アイゼン歩行はフラットフッティングかフロントポイントしかありません。フラットフッティングでどこまで歩けるかということで、トレースのない不整地で適度に氷が出てくる50度前後の斜面を上り下り斜めに上下しました。

この角度になるともはや雪上歩行ではないですよね。フロントポイントなんですが、出っ歯の爪の次の爪が大事で、2本目の爪がしっかり氷をとらえていると安定します。ついつい出っ歯の爪2本を立ててしまって立てないってことが多いです。

河原木場沢醤油樽の滝まで散歩しました。多くのアイスクライマーが登っていました。

最後は10メートルくらいのアイスで現在のアイスクライミングを体験。


この日のいちばんは、約40年前に書かれたシュイナードの「アイスクライミング」の内容を思い出したということでした。ちょうどアイゼンの前爪が登場し、アックスのピックの形状がアイス用に変化して落ち着いてひと段落したという時代背景の中で登場した本でした。その中でもフラットフッティング(フランス式と表現して細かく解説しています)、フロントポインティングが書かれています。本の中のフランス式のフラットフッティングをマスターしているわけではないのですけど、傾斜が増して靴先が真下を向いて安定するということを実感できた日でした。約40年前に読んだだけでは理解できなかった内容が理解できたと思えたんです。

沢の中にいて最低気温は-10度、それでもやっぱりあった甲斐と夕暮れに思った八ヶ岳の景色でした。

2024年1月18日木曜日

深草観音

2024年最初の山行は甲府の裏山でした。甲府市積翆寺から見た岩殿山。 

里山の登り口では珍しい光景に思えた田んぼ。最近ではどこに行っても圃場整備された田んぼばかり見かけられます。圃場整備というのは田んぼの区画を広くして形を整え、あちこちにあった田んぼをまとめる事業です。同じ規格の田んぼが段々にある景色とは違う、昔ながらの田んぼの様子は久しぶりに見ました。 

要害山麓の積翆寺は武田信玄誕生の寺といわれています。


お寺の裏の井戸が武田信玄の産湯だったという話です。

お寺の下の相川に架かる橋の名前は機山橋。機山は武田信玄の法名です。


瑞岩寺の解説碑。深草観音はこのお寺の奥之院にあたり、御本尊の十一面観音像は瑞岩寺にあるということでした。深草観音は奈良時代に行基が開いたという伝説があります。

もうウメが咲いていました。

谷合に入っても多くの石積みがあり、今植えられているヒノキや杉の木ではない、耕作がされていたことを思わせるものです。深草観音に近づくと石畳や、階段の痕跡が登場するので味わいある里山です。

2本の倒木の処理はたいへんでした。

この日のもう一つのテーマはシモバシラの氷の花でしたが、登山道の染み出しが全く氷っていませんでした。

岩堂峠。なかなか地味な甲府の裏山ではありますが、深草観音や岩殿山なんかの史跡に恵まれています。

今年のシモバシラの様子。とても氷の花とは言えないのが3つほど見られました。今年の年末年始の高温が原因でしょう。


ちなみに去年のシモバシラの様子です。立派な氷の花がたくさん咲いていました。「シモバシラ」というブログ記事を書いています。


深草観音に下ってお昼にしました。

奥之院の観音堂は岩壁に穴を空けた3畳ほどのスペースです。南に空いた窓のような空間に梯子がかけられています。ロープを付けて下っていただいたら、ロープスケールで17mの長さの梯子でした。


昭和3年に奉納されたハシゴでした。


梯子ではなく右のルンゼに掘られた階段から観音堂のあなぐらに下るステップ。

右のルンゼの様子。

要害山は山城です。

堀切や曲輪の遺構が示されていて、今回初めて見に行った不動曲輪でした。

不動明王像の持つ軍配には武田菱です。

下山して、正月三ヶ日はだいぶ過ぎていましたが武田神社前は渋滞してました。

早めに下ったので、甲府駅横の舞鶴城へ。江戸時代に築城された舞鶴上で一番高いのはこのオベリスクです。山梨県の森林面積の約半分を占める恩賜林の謝恩塔です。その後甲府駅南の信玄公像に回って山行の終わりとしました。