2023年3月30日木曜日

身延山

なかなか行く機会のない身延山に初めて登りました。日蓮宗の総本山です。偶然なんですが、前日3月29日まで枝垂桜花盛りで交通規制がかかっていました。何も知らないで出掛けたら規制はなく、杉山地区から入りました。花桃がとてもきれいでした。

門前町の中心は駐車スペースがどうなっているかわからなかったので、身延山大学のグランド駐車場に車を停めました。そこから見た身延山の山頂です。ロープウエイの山頂駅が見えるのでよくわかりました。

散り始めたしだれ桜と久遠寺。

夏にアルプスにチャレンジしたいという方と一緒に登りました。ロープウエイを使わないとだいたい900mの標高差の身延山です。去年膝の手術をされたということで歩けるかどうか不安だというお話。標高差900mを6時間で登って下れば問題ないでしょうということで身延山でした。普通の登山道ではない幅広の道で、危険な要素がないから上って下ることに集中できると思ったのが今日の身延山の理由でした。僕は日蓮宗の信者ではないので登山者目線のブログです。

ロープウエイ手前が登山口。登山口の丁目石は六丁目。三門からのナンバーだと思います。確認はしていません。山頂にある奥之院思親閣は五十丁目ということでした。

途中で咲いていたシャクナゲ、今年の春はいつも以上に駆け足です。

白いヤマザクラの花の花を落としたのは鳥だと思いました、ヒヨドリかメジロか?桜吹雪の前の花自体が落ちていました。

コンクリートの道は大光坊まで。車両通行止めのサインです。ここから幅広の山道になります。表参道と言われている登山道です。

盛りを過ぎたミツマタの花。ミツマタは杉林の中にたくさんありました。

法明坊。日蓮上人の時代、鎌倉時代から貴重な水場だったようで、別名お水屋と書かれていました。

下を見ると身延山の門前町がよく見えました。


山頂の思親閣の参道手前にあった五十丁目の丁目石。わかりにくいところにあったので思親閣のお坊さんに聞いたくらいでした。親切に教えていただきました。

思親閣の参道

身延山山頂には三角点はありません。標高点1153mが山頂と思われたので行ってみるとただの杉林でなにもありませんでした。

落ちていた巣箱。地形図の地図記号で史跡名勝というのがあり、ここは野鳥のブッポウソウの生息地ということになっています。きっとブッポウソウの繁殖をサポートするために掛けられた巣箱だと思いました。落ちてしまった巣箱。鳥の巣箱ってその鳥のサイズによって大きさが違います。ブッポウソウはカッコウより小さくてムクドリより大きいというイメージでしょうか。僕も一度しか見たことがありません。

思親閣の北に展望台があって、そこに山梨百名山の標識がありました。

 
 感井坊は追分で、右に行けば赤沢宿から七面山に行く道と、久遠寺に下る道の分かれです。大きな土木作業の現場でした。治山です。


裏参道を下りながら案内されていた千本杉。大きなお寺や宿坊の建物がたくさんある身延山です。江戸時代から森林資源を守っていくという思いがあったという説明でした。


標高の高いところのしだれ桜は見事でした。


天空のお寺、松樹庵。


裏参道は七面山への登山口なんだと思わせる石碑。


久遠寺への登り返しの坂のしだれ桜。青空に映えるピンクでした。


久遠寺の地図

2023年3月25日土曜日

香坂峠

大正4年発行の陸地測量部の古い地図です。香坂峠と読めます。この峠は現在の地図では矢川峠と書かれている峠です。矢川というのは群馬下仁田側の地名の様です。香坂は佐久の東側にある地名。来月の山行のために雨の中、古地図ベースで歩いてきた今日です。香坂峠の稜線は中央分水嶺で、右の群馬側の流れは太平洋に、左の長野側は日本海に流れるということです。香坂峠の左の南下している道を歩いたわけです。

現在の地理院地図にルートを書いてみました。赤線の一番南(地図の基本は上が北で下が南です)、主稜線の右下に黒い線が続いています。幅員3m未満の道路という黒い線です。神津牧場に通じる道です。


香坂から車を走らせ妙義荒船スーパー林道の分岐へ。通行止めは名ばかりに感じました。

こんなところを歩くのは新緑前に限ります。見通しが良くないとハードルが上がってしまうからです。

香坂川源流部の地形図に書かれている林道はすっかり自然に戻っていました。なんの痕跡もなかったけど橋が架かっていたところだと思います。重量制限のサインです。

古い道形を探しながら歩きました。

獣が歩いてわかりやすくなったトレースのようなもの

何となくのへこみが古い道形です。

妙義荒船スーパー林道に分断されていた道形。

分断された先の道形。写真ではよくわかりませんが、古い道形は古の人々の往来がイメージできるくらいわかります。


中央分水嶺の主稜線に出ました。香坂峠という案内があるなだらかな峠です。目の前の道を進むと神津牧場に行きます。去年11月に歩いた道。

香坂峠の古道の痕跡は非常に薄いものでした。帰りはスーパー林道を歩きました。

上信越道八風山トンネルの通気口。この場所がとても有名だったということは帰ってから知りました。きっと来月ブログ記事に書くと思います。

今日の主役、大正4年の陸地測量部の地図を載せときます。

2023年3月15日水曜日

地図読み講習内容変更

2023年3月26日(日)募集の地図読み講習の内容変更のお知らせです。

参加予定の方のお話を聞いて、基本的なことを実践するためフィールド変更なりました。

通常は1時間の机上講習ですが、そこを2時間取ってじっくりとやります。等高線の曲がりが示すもの、コンパスの基本的な使い、整置の仕方、二五万図磁北線の書き方、地形図のたたみ方、web版地理院地図の使い方、などです。その場合のニ五万図は「茅ヶ岳」です。

どうぞご参加ください!

・日時集合 :2023年3月26日(日)8:50韮崎市民交流センターニコリ

・持物  :2万5千地形図 『韮崎』 ベースプレートコンパス、昼食、行動食、水筒

・参加費 :  ¥10,000(ガイド料)

2023年3月10日金曜日

三浦・岩礁の道

鎌倉アルプスから三浦半島先端の三崎の宿に泊まった翌朝、三崎漁協の食堂で朝食を取りました。朝6時から営業している食堂です。

このボリュームで720円(税込価格)。マグロのすき身(中落ちじゃなかった)も本物だったし、煮物はマグロの卵!

この時期の三浦半島は元気がもらえるので大好きです。三浦大根が干されていました。

Google mapにも登場する剱崎の民間駐車場。猫10数匹と暮らす不思議なおじさんの駐車場代は700円。畑の中を縫うような車道には駐車スペースは殆どありません。農作業の邪魔にならないようにと停めました。

大根畑の向こうに剱崎灯台。アンテナと被ってしまった...

海岸線に降り立ちました。風の強い日で終始15m/s以上あったと思います。ここから約10km、三崎港を目指す三浦・岩礁の道です。

剱崎は三浦半島の最東端に位置しています。南東に位置する房総半島館山の洲崎を結ぶラインが太平洋と東京湾の境界です。

関東ふれあいの道という名でずいぶん前に整備されたのが三浦・岩礁の道です。三浦半島の先端部の海沿いに歩きます。絶景ポイントが多く、岩場あり、丘陵地帯ありと変化に富んだ海沿いのロングハイクです。

内陸を歩くこともあります。三浦野菜の畑の中にあった馬頭観音。

三浦の春キャベツの畑。

ときどきバランスを崩してしまうような強風でした。砂よりも粉々の貝殻の方が多かった海岸線。

こんなセクションもあってなかなかのアドベンチャーです。

鬼の洗濯板という表現がピッタリと思うのですが。

海のない山梨に住んでいる僕が、気象情報の波浪警報の意味が実感できるってなかなかめずらしいと思いました。波に近いところでは海水を浴びました。満潮のタイミングということでもあったらしいです。

盗人狩という名前の断崖絶壁。昔、盗賊が追われてこの海岸端まで来て下を見ると、恐ろしい断崖(高さ30m)と怒濤のさか巻きに、ぞくぞくと身震いをして足がすくんで動けなくなりたやすく捕まったという故事からの名前。

海蝕洞窟という穴が奥に見えます。長い時間をかけて波に削られ形づくられた自然の洞窟。海蝕洞窟遺跡からは主に弥生時代から古墳時代の遺物~特に釣針やアワビ貝殻製の道具、サメの歯の加工品といった海に関わる資料が多く出土するそうです。

海底が隆起したミルフィーユ状の地層。

登山ではありませんがハイキングでもありません、海岸線の岩場歩きとでも言いましょうか。案内も乏しいところもあるので、ガイドさんと一緒じゃなければ歩けなかったというご感想もさもありなんという内容のルートです。

宮川湾のヨットハーバー。ここで海岸線から離れます。30分くらいで三崎港です。

剱崎~江奈湾~毘沙門湾~宮川湾~三崎港と歩いて車の回収。三浦野菜の畑で出会った大根満載の軽トラ。