このブログにも何度も登場する金峰山みたけ道です。どう書いたらいいかと逡巡しているうちに時間が経ってしまった山行を書きます。
ちょっと前まで(おそらく半世紀という時間軸)甲府の昇仙峡の奥から登られていた金峰山です。それが金峰山のメインルート。その古のルートを効率よく登ろうという山行。ちなみに百名山の深田久弥は関東大震災の翌年に甲府駅から歩いて、黒平に一泊して信州川上村の川端下に下ったと百名山に書いています。大正時代の終わりの話しです。甲府から車道を歩く訳にも行かないので、黒平集落の北の龍ノ平という平坦地をスタート。そこの石祠。
龍ノ平という平坦地はGoogleマップにも登場していて、甲府市森林浴広場と表現されています。登り始めに林道が交錯するのでわかりにくい感じですが、地形図を見れば理解が出来る地形です。林道がに惑わされないで地形を見ればそんなに難しくはないです。道形がしっかり残ってるからです。
みたけ道の道形は尾根の西側についてます。
三等三角点「物見」。みたけ道からちょっと外れ登ってみた三角点ピーク。この辺りは昔、物見山と呼ばれていたという話しは参加者の下調べから。
三角点から三つ目のなだらかなピークの北のコルで林道に出ます。その地点までは尾根の西側のトラバースなんだけど、笹が刈り払われていてとても歩きやすかったです。
林道の先の防火帯。金峰山の五丈岩が見えない曇り空。広い尾根地形が最も狭くなった標高1690mあたりで右の沢に降りますが、草が生え見落とすかもしれないマーキングでした。
造林記念碑の石碑を通過すると別な林道に出ます。すぐに水晶峠への登山道に入ります。ここからは甲府市水道局が水源林管理ということで、手入れされた登山道というイメージでした。だけどここのところは刈り払いもされてないようでした。
途中でザックを下ろすことも憚られたキシャヤスデ。害はないようですがとにかく気持ち悪かった!
神子ノ沢の支流。
神子ノ沢支流から尾根を越え(その尾根の上のコル状が峠だと思うんですが…)、御室沢側に少し下ったたるみに登場する水晶峠標識。
登山道の崩れたところをほじって出てきた六角形。これも盗掘でしょうか?
ふたつの河原に挟まれた中尾根の末端。登山道のある中尾根の付け根にある御室小屋跡。
個室対応のテント泊。結露予防のタープもきれいに張れました。
角度を変えて。軽量自立式ツエルトともいえるヘリテイジクロスオーバーの弱点をカバーするグランドシートに加え、寒さ対策の銀マットも準備していきましたが、曇りがちの夜は放射冷却がなく快適に眠れたそうです。
テントを張ったら水の確保。小屋跡左奥のケイオウ谷です。今回じっくり観察しましたが、この水は枯れることはないと確信しました。その時によって伏流になる地点が上下しますが、奥の小滝を見て十分な水量があると思いました。
一応整理されていた小屋の廃材。
テントを張って水も確保して火が熾きたら乾杯!
ほぼ好評の坦々鍋。
食後のひと時。
翌朝いきなり鶏冠(とさか)の鎖場から始まる中尾根。
それぞれの岩峰は手前から鶏冠、片手回し、五丈岩です。
片手回しの巨岩の付け根まで来ました。空手チョップの手が大きな台座に乗っかているような奇岩です。
その空手チョップの付け根部分まで登るにはロープがあった方が安心です。
空手チョップの岩の付け根はまるで手首です。奥に五丈岩が見えてます。
付け根の下は広いスラブになっていて、正面に富士山。
なんと今回こんなものを発見!文字の数字は判読できませんが丁目石です。
籠堂があったという五丈岩南の石積み。
一応三角点のある山頂には行きました。
時折冷たい風が吹く中五丈岩にも登りました。念のためロープで確保です。
五丈岩上の甲斐派美と呼ばれる穴と中尾根。
五丈岩の上から見下ろした広場。
修験者の勤行(ごんぎょう・おつとめ)に出くわしました。表現が正しいかどうかはわかりませんが。
ストックに鈴をつけて歩かれていました。
みたけ道は水晶産地でもありました。足のそろったパーティーでしたので早々と下山。県外からの参加者の方もいらしたので、そのまま甲府の「山梨ジュエリーミュージーアム」でみたけ道周辺産の立派な水晶を見学して山行の終わりとしました。
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