2021年3月30日火曜日

御牧ヶ原台地

ちょっと前ですが、小諸市郊外で地図読み講習をしました。印象に残った場所を書き留めます。御牧ヶ原台地(みまきがはらだいち)は千曲川南の緩やかな起伏の台地で、平安時代から鎌倉時代まで400年にわたり朝廷の馬を生産した最大の御料牧場「望月の牧」があった場所だと言われています。良馬の産地だった御牧ケ原というわけです。
思わず地形図を載せてみたのは、たくさんのため池が書かれているのがとても珍しかったからです。千曲川という大きな川とその支流に囲まれ独立した台地である御牧ケ原は、山からの水が引けず干ばつで苦労した土地です。300とも400とも言われる灌漑用のため池。


千曲川は長野から新潟に入って信濃川となる日本一長い大河。その千曲川の向こうには浅間山や高峰高原、湯ノ丸高原の山々。台地のきわは千曲川に面して、100mから150mの断崖になっています。
 

氷という名前の集落には地滑り地形を利用した風穴があり、江戸時代には夏の氷の貯蔵に使われ、明治以降は養蚕の蚕の産卵時期の調整に使われていたそうです。

氷集落入り口の馬頭観音


氷集落の北、四等三角点の点名はそのまんま「氷」でした。


御牧ケ原台地から千曲川に下りて見える布引電気鉄道の橋脚跡。大正時代の終わりから昭和のはじめまで運行していた電気鉄道。千曲川の水を利用して発電したエネルギーを使っていたわけです。汽車の時代に画期的な電気鉄道だったわけですが、世界恐慌のあらしが吹き荒れていたということで短命でした。


千曲川岸から布引観音参道の地形図上の問題点を確認しながら、断崖につけられた参道を登りました。布引観音釈尊寺の観音堂。「牛に引かれて善光寺参り」で有名なお寺です。伝説によると、昔この地に住む強欲で信心の薄い老婆が千曲川で布をさらしていたところ、どこからか牛が現れ、その布を角にひっかけて走り出した。老婆がそれを追い、やっと追いついたところが善光寺だった。その後、御仏の光を仰ぎ見て牛が観音様の化身であったと老婆は知って改心するという物語が「牛に引かれて善光寺参り」というフレーズになって現在でも生きている。


カタクリの葉が枯葉の間からのぞいていました。今はもう花が終わった頃でしょう。


車がなかった頃の道だと思います。千曲川岸と御牧ケ原台地をつないでいた道。


袴腰と呼ばれる三角点ピークは、戦国時代の狼煙台だった山城跡。四等三角点の点名は崖下の集落名と同じ「西浦」


御牧ケ原台地のきわを読図しながら進んで出会った桑の木。山梨あたりとは違う作り。


御牧ケ原台地のため池。左は千曲川に落ちる崖の始まりで、右はため池の横にいきなり水田が続くわけです。田んぼの水はすべてこのため池に頼っているんです。


ため池下の水田。この光景が信じられないくらいの驚きの光景でした。上流からの水の流れがなく、すべてため池からの水に頼るって、そんなんでお米ができるって驚きです。


地図読みも終盤の三等三角点点名「大久保」


現在の道路建設で移転された観音様や石仏の解説。


鴇久保ときくぼという集落のはずれの常夜燈のハート。昭和のはじめくらいまでニッポニアニッポン、トキが住んでいたということを証明する地名なんて素敵です。








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