地理院地図の二五万図の「甲府市北部」のエリアはガイド山行のネタ満載のエリアです。里山での人々の営みとみたけ道です。冬の甲府盆地は、雪国と違っていくらでも歩き回れる素晴らしいフィールドです。山梨百名山の帯那山の稜線から西に延びる天神尾根を登った山行でした。写真は昇仙峡の象徴の一つ長瀞橋横の天神森の駐車場。トイレもあり、十分な駐車スペースがあります。
天神森駐車場から県道7号を東に進み、県営林道塔岩線に入る手前、県道7号の下に流れる水路がとても気になりました。里山あるあるですが、古い道形や水の流れは営みそのものです。水田で稲を育てるのには水が必要です。その水の確保にとても苦労してきたのだと思います。それは軽く戦国時代まで遡るということも多いと思います。とりあえず歩いてみようとなった水路でした。

天神尾根をたどって塔岩集落に行こうって山行でしたが、そんな水路巡りなんて道草をしたからか、登る尾根を間違えて車道に出て(県道7号、昔の昇仙峡グリーンラインと呼ばれていた道)目的の尾根を目指しました。
ピンぼけですが、トンネルの銘板「のろし台隧道」。このトンネルの上の尾根が目指す尾根でした。だいたい考えてみればトンネルって尾根地形に開けられます。
里山なので、しっかり攻めればすぐに通過してしまいますが、じっくり観察しながら古い道形を観察して、どこから来てどこに向かうのか?と歩いてみたらはっきり分かった道形でした。里山を歩くってそんな感じです。
「のろし台隧道」の上の道形をたどって登場した馬頭観音像。文政元年の刻は江戸時代の後期です。以前歩いた時は現在の地形図の660m標高点に行ってしまいましたが、今回はあくまでも道形を優先。道形の一段上に建立された馬頭観音の意味を考えたりしました。
山中に残された架線のワイヤー
顕著な尾根を歩く里山、山奥の集落と里の集落の交易の道。僕ら登山者はその道を利用させていただいてるという視点。その尾根を地理院地図と明治の陸地測量部の二万図を照らし合わせて歩きました。
ダアス峠のユニークな表情の馬頭観音。
ダアス峠から北の竹日向集落に道形は続いていますが、それはまたの機会にということで尾根通しに現在の地形図ベースにやせ尾根の上を進みました。
ダアス峠と明神峠の間の尾根にある大展望のピークからの眺め。
天神峠手送電線鉄塔の巡視路でもある稜線に張られたトラロープ。
地形図に書かれた天神峠の東にある本当の天神峠から、沢地形を下った塔岩集落の耕作地跡
ここで何を栽培していたのか?塔岩集落北の沢の中の耕作地跡
家を建てるための平を作り出す石垣。
お地蔵さんや庚申塔がまとめられていました。林道で容易に下界と行き来できるようになった後でのことだと思います。
塔岩集落を守ってきたであろう氏神様の参道の石段は崩れています。
氏神様の石祠。神社庁のサイトではわからない神社名でしたが、個人のサイトで細草神明と書かれたものはありました。
帰りは県営林道塔岩線下りました。以前も見ているのでしょうが、治山事業という看板に「魚道」の文字が気になり覗いてみました。
大きな砂防ダムに作られた人口の魚道。魚が上る道が魚道です。それほど大きな川とも思えない塔岩川に作られた立派な魚道です。
その魚道のことも、氏神様の名前も、わからないことは多いわけですが、また来ることもあると思うので、いまを記録しておきます。陸地測量部の130年以上も前の地図も使い行う地図読み山行はかなり独特なものです。
★明治の地図には本当に人工物がありませし、その明治の地図に該当するのは「松嶋村」(松嶋村は山梨県中巨摩郡にあった村で現在の甲斐市南東部、中央本線竜王駅の北東一帯にあたる。)で、明治13年式 地形図図式と呼ばれているものです。縮尺2万分の1で明治13年から19年までに合計921枚が作成されました。全国をカバーはしていません。その921枚の内の1枚の「松嶋村」を使いました。