2018年12月13日木曜日

両神山

秩父の両神山にも行きました。前日までの雨が上がって思いのほか青空が広がった遅めの朝。普通に日向大谷から入山。駐車場代が500円かかります。


両神山荘わきにサクラ。この時期に出会うと得した気分です。


あたたかい日で12月になったとは思えませんでした。軽アイゼンが必要かと考えたけど全く必要ありませんでした。Тシャツになったくらいでした。


七滝沢に入りました。ちょっと厳しそうな感じの登山道。初めてのトレース。


滝を眺めながらのルートではと思いきや、左岸についた昔の仕事道を行く登山道でした。


尾根に出る手前、沢が傾斜を増す辺りからが鎖場連続でした。この時期なので落ち葉と前日までの雨でぬれていて歩き難い、滑りやすい登山道でした。


鈴が坂を過ぎて尾根に上がると山頂方面が見えます。産体尾根の文字が見えます。


急な登りになり鎖が登場します。


以前はここが一番難しかったのですが。ステップが設置されていました。強度が心配なステップです。産体尾根の標識からここまでがとても危険です。


いったん傾斜がなくなると登場する2つの神社。両神神社も御嶽神社も狛犬はオオカミです。


御嶽神社の立派な彫り物。


秩父の武甲山。


両神山山頂はとても狭いです。


赤岩尾根が良く見えました。奥には八ヶ岳があるはずですが見えませんでした。


日向大谷コース途中にある無人の清滝小屋。


両神山は修験道の山でした。山中にたくさんの石仏があります。○○童子と書かれたものが一番多く登場します。調べてみたら山頂手前にある本社(御嶽神社と両神神社、山頂北の稜線上に龍頭神社)への丁目石という意味合いの様でした。亡くなった幼子の戒名かななんて思ったりもしましたが、全く違うようです。修験道で登場する不動明王の眷属(けんぞく、簡単に言えば家来)の三十六童子の名前が刻まれた丁目石としての石塔が正しいようです。三峰信仰、御嶽信仰、修験道とからまり合っていてなんとも難しい・・・


本当に陽が短く、あっという間に夜が迫ってきました。


2018年12月12日水曜日

野田山

歌川広重の浮世絵「五十三次名所図会 蒲原 wiki」です。富士川の東から描いています。大きく描かれているのが野田山です。


静岡県教職員互助組合様のガイド山行でした。だいたい40名くらいの参加者なので、4人のガイドでのガイディング。登山に不慣れな方も参加するので、ガイドレシオとしては8~10人です。ガイドレシオというのは、山行の内容に応じてひとりのガイドが担当するお客様の人数ということです。富士川の河口近くの野田山に登った山行でした。国道一号線を走っている写真です。正面の山は浜石岳。今年2月に行きました。野田山は右側にある532mの山です。


東海道本線富士川駅集合。東海道です。東海道五十三次です。東海道吉原宿と蒲原宿の間にある現在の富士川駅、東海道本線が開通した明治22年(1889年)には岩淵駅という名前でした。何で岩淵駅だったのかという話しがかなり面白いです。岩淵村は東海道の富士川渡し場がありました。幕府の方針で(橋を作らない)生業を決められてしまったというイメージです。この地名には馴染みがあって「岩淵の鳥居講」という記事を書いています。興味のある方はぜひクリックしてみてください!
富士川駅が岩淵駅だったというのは抜け駆けです。鉄道という文明開化の権化みたいなものが通るという時、交通の要衝を担っていた岩淵の人たちの感性は鋭かったんだと思います。積極的に駅の設置の誘致をしました。江戸時代の東海道の駅からすれば吉原宿の次の蒲原宿に駅ということになりますが、その宿の間にあった重要な任務を背負っていた(富士川の渡し)岩淵村の人たちは頑張りました。蒲原に先駆けて東海道の駅の誘致に成功したという岩淵駅が現在の富士川駅。蒲原駅は一年ちょっと後に出来ますが、紆余曲折があって新蒲原駅が東海道蒲原宿に近い駅ということです。


富士川駅横の小さな公園は見所です。写真の石柱はこの場所にあったものではありません。富士川の上流の芝川あたりのものだと思います。芝川には富士山の溶岩流が流れて出来た柱状節理の玄武岩がたくさんあり、そのまんま柱として使える岩が取れます。ディスプレイされた柱状節理の岩の間の向こうに富士山が鎮座する景色です。


野田山というのは総称で、地形図には金丸山という表記。金丸山の西に弘法大師の伝説の大師堂があって、大師堂までの丁目石が建立されていました。


山梨では見ることが出来ないフユイチゴ。食べれます。


標高500mくらいにある野田山公園から見た富士山。夜景が素晴らしいということでテントを張る人がいました。車で登って来れます。


目的の地になっていた大師堂。弘法大師の大師です。昼食を取りました。


富士川の河口。富士川の上流に住んでいるわけですから感慨深い景色です。富士川舟運でつながっている土地です。ニュースで盛んに言われているのが桜エビの不漁。富士川河口近くの河川敷には干し桜エビを作る景色が風物詩ということですが、不漁なんで・・・


山から下りてきたら、ミカンを作っているおじさんがポンカンもってけ!と籠ごとくれました。ちょっとびっくり!8人の方と歩いていて、一人当たり10個もいただきました。


蒲原宿の裏山は御殿山として整備されています。写真はのろし台といわれる場所。


ツワブキがたくさん咲いてました。


蒲原宿に近い東海道本線新蒲駅前の桜エビのモニュメントと船。


無事山行が終わり、富士川を遡って韮崎に帰るときに見えた景色。とってもきれいに富士山から愛鷹山のスカイラインが見えました。


2018年11月28日水曜日

盛岡

安比高原全国ふれあい集会が終わり、ホテルに缶詰だったんで盛岡は何もわからないままだなぁ~、と友人宅にお世話になった翌朝。盛岡郊外の松園地区、北上川の四十四田ダム(しじゅうしだだむ)と岩手山。


TVのローカルニュースの天気予報の地図を見て、やっぱ地元は違うわとなったのは海岸線の表現、三陸沖のリアス式海岸がここまで細かく表現されるんだなと新鮮でした。


盛岡から山梨に帰る前、せっかくなので半日盛岡を見てみようと思いました。バス路線が発達している盛岡市、地域住民のためのバス網は住民以外にはなかなかハードルが高いです。だいたいどこでもバス網を理解するのは難しい。それでも盛岡の中心部に行くのでそこは簡単でした。バスを降りたところの近くだった有名なパン屋さん。「福田パン」


昭和23年の創業から盛岡市民のソウルフードとして親しまれてきたという「福田パン」ちょっと大きめのコッペパンにはさむものを選んで注文。おしながきに様々書かれています。バター、あんこ、ジャムだけではなく野菜やカレーやたくさんの種類があって、組み合わせは無限大に思えます。


注文すると目の前でサンドを作ってくれるわけです。選択肢がたくさんあるというのも困ったもんで、相当ドギマギしてしまいましたがちょうど空いているときで助かりました。とても懐かしい感じのコッペパンサンド。


宮沢賢治像のある通りは材木町の「いーはとーぶアベニュー」。「注文の多い料理店」の出版元の光原社や、「同人誌アザリア」を刊行した下宿屋の跡地など、宮沢賢治が過ごしたゆかりの地が材木町の様でした。(後で知りました。)


北上川です。旭橋の上から岩手山が良く見えました。


北上川舟運という説明が書かれていました。江戸から明治にかけての物流の話です。「この石積護岸は小繰舟が行き来した。北上川舟運の最上流の港として江戸時代から明治にかけて、それぞれのお店の負担により作られました。舟の荷積み、荷降ろし用の石段も取り付けられています。頻繁だった洪水防止も兼ねたものでした。城下町盛岡の風情を今にとどめています。」


石割桜。大きな花崗岩の割れ目から延びる太い幹、花は4月中旬だそうです。


盛岡って言えばといくつか思いついた見所の一つでした。石割桜。


烏帽子岩から入った盛岡城跡公園。


お城の見事な石垣と遠くに岩手県庁。


散りはじめたカエデがの葉がとてもきれいでした。


不来方城(こずかたじょう)とも言われる盛岡城です。


「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」
石川啄木の歌碑が城内にあります。旧制盛岡中学の学生だった啄木が、授業をさぼって盛岡城で過ごした時の歌です。


発掘調査が行われていました。


時間が惜しくて博物館(もりおか歴史文化館)は割愛しました。


北上山地からの流れの中津川。サケの遡上を見ることが出来るそうです。盛岡城は中津川が北上川に合流するところにあります。


空襲の戦火を免れた盛岡の街には古い建物がたくさんあります。東京駅と同じ設計者の重要文化財の盛岡銀行赤レンガ館


明治44年(1911年)に建てられたそうです。内部も見学できます。


明治43年(1910年)に建てられた旧第九十銀行の建物も重要文化財です。


宮沢賢治が使ったといわれる共同井戸。駐車場の真ん中にありました。


すぐ横に賢治の井戸清水として整備された水場


紺屋町の町屋の建物。江戸から明治にかけて建造された黒壁の商家です。


ござ九・森九商店という荒物屋さん。営業中でした。


竹細工のカゴやザルがたくさん並んでました。タワシの種類がすごいです。


目的のお店にやっと来ました!足早に観光したのはこのためです。少しでもお腹を減らしてチャレンジしたかったからです。「わんこそば」です。


店内に入ってポスターの吉永小百合と目が合った気がしました。「大人になったらしたいこと」ですって!


ふつうの蕎麦屋のメニューもあるので、まずわんこそばにするかどうか聞かれました。わんこそばはこちらへと二階に通されました。それぞれのテーブルという区切りではなく、十畳ほどの部屋に長テーブルが2列、エプロンが渡されていよいよという感じ。


薬味が運ばれてきて、カラのお椀に蓋をしたら終わりなんだと説明されたわけです。


給仕の女性が大きめのお盆に、そばの入った15杯のお椀を持ってきます。それをリズミカルにお椀に運んでくれます。はい、どんどんとかじゃんじゃんとか掛け声をかけられながら盛られます。お椀いっぱいのそばつゆが絡んだそばは一口で入る量。始まると休まない、休めないというのが基本ルール。お盆のお椀がなくなると給仕さんは補充に行きます。ちょっとロスタイムって感じにほっとできる時間です。


どんどん、じゃんじゃん、まだまだと、リズミカルに掛けられる言葉に踊らされるようにそばを口に運びます。そばの量はばらつきがあって、少ないとほっとしますし、多いと必死です。薬味をじっくり味わう余裕はなかったなぁ~


お椀15杯で普通の一人前のそばの量ということでした。料金は3000円くらいです。考えようによってはそれで食べ放題ということですが、なんとも給仕の女性の、どんどん、じゃんじゃんという言葉にペースはマックスでした。105杯までいってジ・エンド。


半日の盛岡観光が終わって盛岡駅。なんとここにも石川啄木が!盛岡にまつわる歴史上の人物はたくさんいます。大正時代の首相の原敬、前の5千円札の新渡戸稲造、米内光政という軍人も総理大臣・・・でも石川啄木と宮沢賢治がこの町に愛されている人物だと感じます。


盛岡駅で新幹線を待っていると入ってきた秋田新幹線’こまち’ はやぶさを待っていたのですがこまちと連結するんです。


車両の種類なんてわからないけど、こまちとはやぶさが繫がって320kmであっという間に仙台、大宮と走ります。