やぶ山をこよなく愛する登山ガイド 三ちゃんの山日誌
山梨の地元ガイド三上浩文のブログです
2025年3月31日月曜日
御前山
2025年3月28日金曜日
ミツマタ
和紙の原材料として有名な、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)のミツマタです。富士川右岸の奥の東海自然歩道の稜線上にミツマタの大群落があると最近知りました。ネット上では上徳間黄金街道とも言われるようです。黄金はミツマタの黄色からです。ミツマタは春を告げる花でもあります。篠井山から南に延びる尾根の上です。尾根の東の鯨野という集落から、西の上徳間という集落に通じる峠です。鯨野にもたくさんのミツマタでした。
東海自然歩道は、峠から落ちてくる沢沿いの道から入った後、尾根にいったん上がりました。
50年以上経っている東海自然歩道です。それだけ時間が経てば道も崩れます。特に沢に近いところはなおのことです。今は最低限の整備がされているようでした。
もともと地域で使われていた道だったと思わせる石積み。
鉄骨ベースの橋は東海自然歩道として整備されたものでしょう。3本あった橋の全てが鉄骨ベースでした。
上徳間に抜ける峠なので上徳間峠と言われている峠が見えました。
林道を軽トラックで走る範囲の刈り取りの様でした。ボリュームがあるミツマタ群落。
シロダモ(クスノキ科)「白梻」という木だと思います。杉ヒノキの人工林の中にたくさんありました。和名の「梻」という漢字はシキミと読み、植物のシキミの様です。シロダモの白シロは葉っぱの裏が白いから。
だいたい目的は達したので、鯨野に向かって林道を下りました。その稜線の東にあるピークには森山という山名が地形図に載っていました。595m標高点で写真のとんがりです。
林道がクランクになっていたところで、ショートカットしようと林道から外れそのまま尾根を下ると馬頭観音が転がっていました。明治18年と彫られていました。
徳間峠というのは一本南の尾根にあります。今回僕がトレースしたのは上徳間峠でした。そこは約50年前に東海自然歩道として整備された道でしたが、この馬頭観音を見て下った林道の尾根の方が主に歩かれていたのではと思いました。1900年の古地図を確かめてみるとそのことが確認できました。古地図のシュクショの青い〇が上徳間峠で、赤い〇が馬頭観音の位置です。はっきり破線で道が書かれています。
タケノコの産地でもある南部地方です。里山の景色に普通にある竹林。
帰りに通った中部横断道の、富士川第一橋から見た富士川左岸の山の斜面に驚きました。今回目的にしたミツマタの群落が橋の上から見えたのです。
上徳間黄金街道は富士川右岸の奥なので、この左岸のミツマタ群落とは違う場所です。写真を拡大して、ミツマタと思われるところを白線で囲んでみました。山梨の南部は峡南地方と言われます。富士川の少し上流に西嶋地区が手すき和紙で有名なところです。僕が見たいくつかのミツマタ群落はその西嶋和紙の原材料の供給地だったのかもしれないと思いました。
2025年3月11日火曜日
鍬柄岳
関東ふれあいの道の大桁山登山コースは千平駅~大桁山~虻田バス停で設定されています。関東ふれあいの道の総延長は1,800kmもあります。関東ふれあいの道は東京都の高尾山の麓が起点で埼玉、群馬、栃木、茨城、千葉、神奈川の順に1周です。全体で150ルート以上あります。各都県の整備だし、かなり温度差もあるでしょう。
ちょうど地形図に徒歩道があり、道形も残っていたので歩いてみました。しっかりした石積みが見えます。どうして長距離自然歩道は昔からの道を利用したルート設定にならなかったのでしょう?この道形は、駐車スペースの立派な馬頭観音に通じています。
鎖のアンカー