2025年11月24日月曜日

開聞岳

ガイド山行の予定が流れ、航空チケットの予約のキャンセル料を払うっていうのが何とも悔しく鹿児島に行ってきました。面白いのがこれまで何度か上空から見ていた山に登ったという今回ということです。開聞岳なんて上空からもはっきり見えるわけですから。写真は鹿児島入りした翌朝の市電の様子です。


さすが南国です。街路樹がワシントンヤシ。鹿児島市内のホテルから薩摩半島の突端を目指しました。


錦江湾をまっすぐ南下して薩摩半島の突端近くで目の前にご対面!という感じの開聞岳です。


登山口の案内図。等高線の表現がとてもシンプルです。国土地理院の地形図とも全く同じです。ある意味成層火山の完成形といってもいい地形は、富士山以上と思いました。薩摩富士といわれる開聞岳です。


屋久島から福岡空港向かう着陸態勢のフライトから見えた開聞岳。上空3,000mくらいからでしょう。数年前の写真です。


そして実際の登山道の様子です。


ツワブキがきれいでした。


螺旋状の登山道が南に開けた場所からは硫黄島の噴煙が右、中央左の雲上に屋久島の宮之浦岳。


成層火山というのは同じ火口から噴火して左右対称な形のいい山容になるというイメージです。開聞岳はだいたい八合目から上部とその下で噴火の時期が違っていて、山頂部は最後の噴火の溶岩ドームの安山岩ということだそうです。岩ゴロゴロの登山道。


時計回りの螺旋状に登る登山道が楽しめると思っていたけど、そんな感じではなく淡々と岩場をこなす感じでした。


トラロープやアルミハシゴが設置されたりもしました。


山頂直下までほぼ展望はありませんでした。七合目くらいからは岩だらけで足元注意でした。岩のあいだは貼り付くようにイワヒバがびっしりでした。


開聞岳山頂。360度の展望を期待しましたが残念。それでも北側に池田カルデラといわれる池田湖が見え、錦江湾奥の左に桜島、その右に高隈山、あいだの奥に霧島連山が見えました。


山頂から薩摩半島南端を枕崎方面の写真です。924m開聞岳山頂から見下ろして感じたのは、田んぼがない...でした。大規模な火山だらけなのでシラス(火山灰など)台地が広がっていて保水性が低いからなのでしょう。水はけの良さを利用してサツマイモやお茶の生産が盛んです。


登山口のかいもん山麓ふれあい公園駐車場。開聞岳登山者の駐車場です。


開聞岳から下りて向かったのはお昼ごはん。指宿市営唐船峡そうめん流し(とうせんきょう)


シラス台地は平なのですが、浸食が激しく水が流れるところは等高線何本分くらいの崖になります。台地から湧水までなんとエレベーターで下りました。


谷間に巨大な屋根をかけたスペースに並ぶ、回るそうめん流し器。壮観でした。カルデラ湖の池田湖の伏流水を利用しています。日本100名水だそうです。


ぐるぐる回るそうめん流し器に自分でそうめんを落としてすくって食べます。フレッシュな水を通すことによって、何とも美味しいそうめんでした。反時計回りに流れる流水は右利き用です。


開聞岳に登った後の午後はそうめん流しを食べてから、特攻隊の知覧を目指しました。平成の合併前の行政区分はわかりませんが、今は南九州市の知覧町です。知覧茶が有名なお茶の産地はずっとお茶畑が続いていました。鹿児島県は今や静岡を越してお茶の生産量日本一です。


知覧特攻平和会館に向かう道路沿いの灯篭。ずっと続いていたのが普通じゃないと思えた光景でした。


ゼロ戦


ひとりひとりの特攻兵エピソードが胸に響く展示でした。その細かなデータが組織的に行われた太平洋戦争末期の日本軍の行動を今の時代の僕らにも理解できるという皮肉に思えました。戦争はいけません。東シナ海に沈む夕日。


夕日に輝く開聞岳には間に合わなかったけど、海から見た開聞岳。


登山口近くの民宿に泊まりました。知覧まで行ってまた開聞岳の麓に戻ったわけです。


鹿児島の家庭料理の夕食。温暖な気候の鹿児島は食材にあふれていると思いましたが、印象的だったのが国産の7割を生産しているというオクラの美味しさでした。

 

2025年11月2日日曜日

雨飾山

小谷村からの雨飾山に行ったのは、どうしてもブナ林の紅葉が見たかったからでした。もう遅いかもと思ったけれど間に合いました。早朝の白馬連山の雪を見て少々焦りました。雪対応は全く考えていなかったからです。まぁ行ってみて考えようと小谷村へドライブ。


小谷村の雨飾高原キャンプ場の第一駐車場。第二駐車場の方が広くてそんなに遠いわけじゃありません。この広葉樹の紅葉を見たかったのでした。


トイレの横が登山口。


霜が降りて少しスリッピーな木道。


ブナの大木の黄色。単調な登りの登山道の横にはブナの大木がたくさんあるので、ヤシャビシャクを探しながら登っていました。ヤシャビシャクは夜叉柄杓で、ブナの古木に寄生しているわけではなく単に着生と言って間借りしているだけの低木です。


だいたいブナの大木の高いところに生えているのでわかりづらいヤシャビシャクです。比較的大きなヤシャビシャクの写真です。杓子に例えられるまあるい実がたくさん見えました。


そんな感じに登っていたらあっという間にブナ平を過ぎました。


ブナ平の先で登場した新雪。


荒菅沢にいったん下って見上げる布団菱の岩壁。


正面に堂津山、その左奥に乙妻山と高妻山、一番左が登山道のない地蔵山、堂津山の右奥が西岳、右端に中西山と東山。


プチ岩場とハシゴの稜線で高度を上げます。


笹平の奥に雨飾山山頂。


新雪を見ることがあってもまだ冬じゃないので、陽の当たるところは泥んこ。


そして影ったところはつるつる。すごく人気の山なのでいろんなレベルの登山者がいるわけですが、こんなところを四つん這いで叫びながら登っている人がいたりするわけです。フラットに歩くことが出来れば問題ないんですけどね~


山頂についてまず目に飛び込んでくるのが白馬連山です。


雨飾山1963.2m山頂


すこぶるいい天気で、山座同定大会みたいな日でした。白馬岳の右に雪倉岳がどっしり。写真の左の山が朝日岳で、右に8月に行った栂海新道の稜線がつながっていて、犬ヶ岳や白鳥山がはっきりわかりました。


こちらは糸魚川の街と日本海と頚城三山。頚城三山は左から頚城駒ケ岳、鬼ヶ面山、鋸岳です。


笹平の女神の横顔。笹原の真ん中に西洋風の女性の鼻に見立てそう思わせるって話です。笹原に切り開かれた登山道、女神は左を向いています。


ピストンなので登ったルートを下りました。小谷村に下ります。


朝は空きスペースもないくらいの駐車場でしたが、戦いすんでという感じにのんびりしていました。小屋横の水道で泥んこの靴を洗えます。

 

2025年11月1日土曜日

妙義山

妙義山ってわかっているようで全くわかっていないな~、そんなことを考えていたらいてもたってもいられなくなり行ってみました。道の駅みょうぎ近くの駐車場からスタート。妙義神社の一の鳥居です。

妙義神社総門。妙義神社は妙義山信仰の中心です。また、妙義修験と呼ばれる山岳信仰の場でもあります。

古い火山の妙義山、凝灰岩や安山岩が侵食で礫がボコボコした特徴のある表面です。その岩の石段がとても珍しいと思いました。ボコボコ礫が残ったままの石段です。

日光東照宮の彫刻師が彫り上げたと言われている見事な彫刻に飾られた本殿。ここが中間道といわれる登山道の始まりです。

中間道は「関東ふれあいの道」です。環境省が計画し、各都道府県が整備、管理している「長距離自然歩道」のひとつです。だいたい10㎞のコース設定で、公共交通機関も絡めて案内されていて、中間道は「さくらの里と石門のみち」とされていました。

難易度が高い主稜線岩稜と、車道の県道の中間に続く中間道は妙義神社と中之岳神社を繋ぐ道。わりと新しめの標識はにこちゃんマークで三段階の難易度を示していました。

妙義山というピークはありません。碓井川支流中木川をはさんで北側が裏妙義と呼ばれ、今回行ったのは表妙義と呼ばれるエリア。白雲山・金洞山・金鶏山と分かれていて、写真は白雲山エリアで一番高い相馬岳1103.9m(右のピーク)です。

両側が切れたヤセ尾根の長い手すりのついた階段。

岩壁の基部がえぐれた登山道。ちょうどこの辺りの上の稜線にあるのが「鷹戻し」という有名な鎖場です。ひさしの登山道の先に中間道の最高地点があり(約910m)、感覚的にはコルなのですが、尾根は東側に延び、一本杉(七曲峠)、筆頭岩、金鶏山と繋がっています。最高地点からは中之岳神社への下りとなります。

石門巡りコースの始まりは天狗のひょうてい。

足場も刻んであるしステンレスの鎖も設置されています。

右のまあるいのが鏡岩。丸い手鏡の形を連想してのネーミングでしょう。後で知るのですが、なんとあのウォルター・ウェストン初登だそうです。

胎内くぐり

石門巡りの初めは第四石門。巨大な穴の向こうに大砲岩が見えています。

マップもありましたが、実際の地形が表現されていないので分かりづらいです。

第三石門はわかりませんでした。第二石門は鎖を登って穴の向こうを下ります。

第二石門。つるべさがりを登り、たてばりを下り、カニの横ばいをトラバース。

第一石門

石門巡りの入り口は群馬県道196号線。

筆頭岩。これもウォルター・ウェストン初登だそうです。

杉の木は写っていませんが、一本杉(七曲峠)と呼ばれている峠です。

車を停めた道の駅みょうぎに戻らなければならないので県道196号を歩くつもりだったのですが、なんと古い道が残っていました。妙義神社と中之岳神社を結ぶ古道です。

大人場おにんばは広い平。

富岡市妙義ビジターセンター。元々は美術館だったようですが、1925年(大正14年)日本の名勝地に指定された100年後、2023年8月11日(なんと山の日!)のビジターセンターになったとのことでした。


ビジターセンターの展示に、なんて無知だった自分と少し恥ずかしくなりました。写真は槍ヶ岳槍沢の坊主の岩小屋(播隆窟)の前で、右からウォルター・ウェストン、根本清蔵、上條嘉門次です。有名な写真ですよね!

こちらも有名な写真で、上高地の河童橋です。ウォルター・ウェストン夫妻と嘉門次、笠を被って座っているのが根本清蔵です。根本清蔵は農業の傍ら妙義山の案内をしていて、ウェストンがやって来た時、筆頭岩と鏡岩を登ったということでした。筆頭岩ではウェストンの教えで初めてザイル(ロープ)を使ったということで、ここ妙義山は『日本の近代登山発祥の地』と言われます。ウエストンは根本清蔵の登攀能力や段取りの良さにとても信頼し、一緒に様々な山に登ったということでした。だいたい嘉門次60代、ウェストン50代、根本清蔵30代という年齢だったようです。ウォルター・ウェストンのザイルパートナーは根本清蔵だったようです。明治から大正にかけ交通網が発達していって、彼らの行動範囲も広がったのでしょう。


白雲山と金洞山、ウェストンと根本清蔵の展示のある富岡市妙義ビジターセンターは無料です。