2020年4月28日火曜日

鶯宿峠

中道往還のコバイモはカイコバイモではなくコシノコバイモだ、その違いを確かめたく動いた春でした。カイコバイモは思親山が有名で、超暖冬だったので早めに思親山に出かけてみたりしましたが完全にフライングでまだ咲いてはいませんでした。中道往還の標高が700mくらいで、思親山が1000mくらいなのでその間の高さ700~1000mに自生しているだろうと考えました。だったら似たような地形のところで自生しているかどうか実際に見てみようとなり、まずは鴬宿峠の北側をトレースして検証してみました。とりあえず地形図だけを見て赤い線を反時計回りに歩いてみました。


合併前の町村名だと境川です。その境川を辿りながら藤垈の公園の更に上流に行きました。大窪集落に車を停めて歩き始めた林道です。


すぐに現れた林道分岐。そこに教育委員会の案内板、ハコネサンショウウオの生息地を謳っていました。


地形図の徒歩道を忠実に登っていくと登場した石積み。どんな山の生活だったのでしょう。山での生活が続けられなくなって、畑に杉ヒノキを植林してというのは里山あるあるなんです。ここでの生活を離れ草刈りをしなくてもいいようにの植林です。何十年かしたら木材としてお金に換えることも出来る植林です。


境川上流部の砂防ダム。登歩道は地形図と一致していました。


出来たばかりの砂防ダム。2年前です。


沢の左岸を注意深く観察して、昔の仕事道を確認して歩きます。


かなり荒れていますが道形がはっきりわかると思います。ここまではっきりした道形は人間だけでは無理で馬が使われていたのだと思います。物資や木材を運ぶのに馬を使うとすごいボリューウムです。使われなくなってだいぶ過ぎても道形が残るのです。


カタクリの葉がチラホラ。これはカイコバイモにも通じるサインみたいなもんです。カタクリが咲く前にコバイモは咲きます。直前です。注意深く周囲を見回しました。


咲きはじめたカタクリの花。


地形図通りに沢地形に道形が残っていました。高度を稼ぐセクションで険しい道が残っていました。


写真で伝わるかどうかはわかりませんがはっきりした道でした。


これもわかるかどうかわかりませんが、抉れるほどの道形です。ジグザグに高度を稼いでいました。


尾根に上がって登場した山の神の石祠は崩れてバラバラになっていました。一人だったので重すぎて直すことも出来ないくらいの重量の石祠でした。


主稜線に近づいたらこんな道になりました。ギブシの花がいっぱい。


鴬宿峠。鶯宿(おうしゅく)は芦川側の地名。素敵な響きの集落名だと思います。ウグイスのやどなんてどんなストーリーがあるんでしょう?


2年前の台風で倒れてしまった「なんじゃもんじゃの木」と言われていたリョウメンヒノキの切株。鴬宿峠の名物だったなんじゃもんじゃの木は、あの植物学者 牧野富太郎が同定したものでした。


帰りはすぐ隣の尾根を使いましたが、なかなか手ごわく慎重に行動させられた尾根でした。少しでも安全に下るという意味です。ミツバツツジが咲きはじめ。


大窪集落の馬頭観音。結局コバイモのコの字もなかった山でした。


どういう流れかはわかりませんが、スモモのソルダムの栽培が多い大窪集落でした。白いのはスモモのソルダムの花です。


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