2023年10月31日火曜日

氷ノ山と加藤文太郎

日本百名山の伯耆大山周辺で仕事があり山陰地方に数日滞在していました。せっかく遠くまで出掛けたので、いろいろ訪ねてみたいということで登った氷ノ山。それと10代の頃に憧れた単独行の加藤文太郎の生誕地を訪ねたというブログです。
人の繋がりは大事です。知り合いのガイドの卵といえるⅯ君の車で氷ノ山を目指しました。日本海側の天候は難しいイメージです。朝まで続いた雨があがった朝です。


氷ノ山、登ったあとの感想は兵庫県の山だと思いました。はるか遠くに住んでいる僕にとっては山陰のエリアはほぼ理解できていないので、鳥取県と島根県の位置関係があやふやなんて感じなんです。氷ノ山のロードサインに安心したりして…


鳥取県側の氷ノ越という峠を目指すコース。地図には氷ノ山越と書かれていますが正しくは氷ノ越といわれているようです。わかさ氷ノ山キャンプ場トップが登山口。


鳥取の若桜(わかさと読みます)からの氷ノ越への道は、いかにもの峠道でとても好感が持てました。古の峠道は大好きです。そこにこの道がお伊勢参りの道だったというサイン登場です。石畳が登場したのはビックリでした。


沢沿いの登山道からひと登りした地形図。思わず行ってみようとなりました。下に示した赤い破線、北西に進んで水色マークまでです。こういった地形は水色マークで水が取れるという話で検証に行ったわけでした。水が流れているかどうかの検証。
 

水色のマークの現場の写真。バッチリ水が流れていました。


氷ノ越のお地蔵様は天保14年(1843年)建立です。


山頂に向かう稜線に上がって、一瞬の晴れ間に登場したこしき岩(甑岩)。


こしきは甑と書き、意味は米を蒸すための器具で酒造りの道具から来ているのでしょう。そんな器具に似ている稜線上の突起です。


氷ノ山山頂。立派な避難小屋が建っていました。山頂には一等三角点。


千年キャラという看板の先に会ったキャラボク。大山の標高の高いところにはダイセンキャラボクという特別天然記念物の純林があるようですが、その流れかもと思いました。秋に赤い実が付くイチイの木の変種です。


ふりかえったら素敵な青空。


氷ノ山から南下するなだらかな稜線。楽しい稜線歩きになるだろうと思っていた地形図の読みでしたが、残念ながら雨が降り出しました。


三ノ丸という名前の由来はわかりません。稜線上の小ピークです。まるでお城のような感じですが。


かわいい三ノ丸避難小屋。


避難小屋の中です。雨宿りにちょうどいい感じでした。


幻想的なブナ林


若桜わかさのスキー場に下る登山道はかなりハードです。整備はされている感じですがとにかく急です。


氷ノ越ルートから三ノ丸ルートに回り、わかさ(若桜)スキー場を下って、自然観察路みたいな名前のルートを下って停めた車に戻りました。杉の植林地を歩きましたが、積雪で根元が曲がった杉の木がとても印象的でした。


氷ノ山を周回し、山から下りて山陰の海岸線を移動。美しい海岸線が続きます。兵庫県浜坂町を目指しました。現、新温泉町の浜坂町です。


加藤 文太郎(かとう ぶんたろう、1905年(明治38年)3月11日 - 1936年(昭和11年)1月5日)。大正から昭和にかけて活躍した登山家。その加藤文太郎の生地の浜坂町です。


浜坂の町を散策。


造り酒屋だった以命亭。周りの石垣がまるでお城の様でした。


図書館の2階に加藤文太郎の遺品の山道具などが展示されていました。


α米なんてなかった時代、ご飯は飯盒です。


この靴は冬に使っていたのだと思います。靴の先の構造からそう思いました。それにしてもサイズが28.5㎝はかなり大足です。


アイゼンとわかん


展示スペース


加藤文太郎記念図書館の全様です。加藤文太郎の記録の様に山を歩けたらという憧れの存在でした。加藤文太郎の生誕地の浜坂に行けたこと、僕の中ではすごく特別なことでした。


兵庫県の浜坂から鳥取に帰った最後は砂丘そばをいただきました。トッピングはアゴのちくわ。アゴはトビウオです。歯ごたえのある美味しいちくわでした。鳥取はちくわの種類もたくさんあり海の幸豊富な素晴らしい土地でした。


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