2023年11月2日木曜日

加藤文太郎と新田次郎

加藤文太郎のふるさと、兵庫県浜坂町へは宿泊した鳥取市からは車で一時間はかかりません。平成の大合併で行政区分は変わります。浜坂町は兵庫県の北西端に位置し、2005年10月1日に温泉町と合併して新温泉町としての今があります。今回の目的の伯耆大山は大山隠岐国立公園で、鳥取から加藤文太郎の浜坂にかけては山陰海岸国立公園です。国立公園に指定されるような美しい海岸線を鳥取から浜坂まで走りました。


新温泉町立加藤文太郎記念図書館(しんおんせんちょうりつかとうぶんたろうきねんとしょかん)は、兵庫県美方郡新温泉町浜坂にある図書館。1994年(平成6年)10月開館です。


図書館の2階は特別山岳コーナーのようです。その主だった展示は加藤文太郎の遺品なのですが、僕が特別すごいなと思ったのは、加藤文太郎のことを書いた「孤高の人」の作者、新田次郎の文章でした。山岳コーナーでまず眼に入った新田次郎の文章。


「不撓不屈の岳人加藤文太郎の追憶」1985年より
‘’一度 だけ会った人"      新田次郎
 加藤文太郎さんとは冬富士で一度だけ会いました。 三十五年も前のことでほんの二こと三こと言葉をかわしただけでしたが、そのときの印象はきわめてはっきりと残っています。 当時私は中央気象台に勤務していて、富士山観測所に勤務のため登山する途中で彼と会ったのでした。私たちは五合五句に泊って、二日がかりで登ったのでしたが、彼は一日で登りました。 突風が吹きまくる富士山の氷壁をまるで平地でも歩くような速さで彼は歩いて行きました。 私たちは、天狗のような奴だなと云いながら見送ったものでした。】



【私が小説 孤高の人"を書いた動機はいろいろありましたが、もし、このとき彼と会っていなかったら、おそらく筆は取らなかったのではないかと思います。ちょっと顔を合わせただけでしたが、なにか心の中に残ったものがあったのです。小説の中で歩く加藤さんの姿は、そのときの彼の姿であり、小説の中でときどき使った、不可解な微笑も、 五合五勺の避難小屋で彼が浮べていた顔つきでした。そのとき彼は、アルコールランプに火をつけて、コツフエルで湯を沸かしていました。湯が沸くとその中に、ポケットか らひとつまみの甘納豆を出して投げこみ、スプーンですくっておいしそうに食べていました。「まだ日が高いのにここに泊るのですか」 彼はこんな意味のことを云いました。その時はもう三時近くになっていました。冬の午後三時は行動停止の限界でした。 「もう間もなく暗くなります」私は時計を見ながら加藤さんに、云いました。すると彼は、そのときにやっと、まことに不可解な微笑を浮べて「そうですか、私は頂上まで行って見たいと思います。 頂上には観測所があるのですね」と聞きますから 「観測所があって所員が五人います。泊めて貰ったらいいでしょう」と云って上げました。彼は、甘納豆を食べ終るとすぐ出発しました。 】

【そのときの不可解な微笑について、花子夫人に聞きますと、照れかくしの微笑であって、誰でも馴れるまではちょっとへんに思ったらしいということでした。小説の中では、この不可解な微笑がたいへん役に立ちました。加藤文太郎さんを小説に書くに当って困るようなことはほとんどありませんでした。遠山豊三郎さん(小説では外山三郎)と花子さんに訊いただけで充分でしたし、資料は遠山さんと花子さんがすべて提供して下さいました。私が書いた長編小説としては、幸福に恵まれた小説でした。しかし苦労した点が全然ないのではなかったのです。花子夫人に最初会ったときに、加藤文太郎という実名小説にして下さいと、一本釘を打ちこまれたことでした。この釘は最後まで、私の筆をおさえつけました。実名小説となると、たとえ小説であるからと云って、へんなことは書けなくなります。御遺族や御親戚がおられるからです。しかし、もともと、加藤さんという人は、誰に聞いても、いい人だったから、実名小説でなくとも、やはり、孤高の人生の中に出て来る加藤さんのような人を書くことになったと思います。

”孤高の人”が出版されてから、全国の人からたくさん手紙を頂きました。どの人の手紙にも一様に、加藤文太郎さんの故郷の浜坂へ行って見たいと書いてありました。 私の筆で描いた浜坂よりは、実際の浜坂はずっと美しいところですからぜひ行って見て下さいと私は返事を出しました。ほんとうに浜坂は人情がこまやかであり、景色が美しいところです。孤高の人” 加藤文太郎さんの故郷にほんとうにふさわしいところだと思っています。

(作家「孤高の人」著者 新田次郎の文章)】


1994年(平成6年)10月開館の加藤文太郎記念図書館の建物は山を意識しているデザインらしいです。入館して2階で出会った新田次郎の文章に感慨深いものがありました。若いころの絶対的な憧れでしたから。

0 件のコメント:

コメントを投稿