2020年4月30日木曜日

カイコバイモ!

4月の初めは取り憑かれた様にコバイモを追いかけたわけです。中道往還のコバイモがコシノコバイモでカイコバイモじゃない。じゃあ僕はカイコバイモには会ったことが無いという事になるんで、まずはカイコバイモにに会わなくっちゃということで、中道往還に似た地形図上の場所に行ってみたりしたわけです。でも願いはかなわなかった・・・ 写真は今年の中道往還のコシノコバイモです。


葉の色(茶色ぽっかたり緑っぽかったりは個体差だと思います。種別には干渉しないでしょう)や花の色はさほど問題にはならないと思います。花の形です、コシノコバイモの花の形はかなりボックス形です。


ここからカイコバイモの登場です!!やっと会えたのは富士川右岸の標高800mの登山道脇のやはり崩れやすい岩場の急傾斜の斜面でした。いろんな意味で場所は特定できないように書いてます。世の中いろんな人がいるんで。


わずか30~40mの標高差でしたが、下の方はもう花が終わって種になりかけてました。


 これはヒント、花は柄が伸びて空中にあるし、保護色のように周りの地面と見分けがつきにくいのでとてもわかりにくいです。花も下を向いているので目立ちません。でもこの葉っぱが幼葉で、1年目か2年目かはわからないけど花が咲く前の一ッ葉です。咲く花よりこの葉っぱが目立つので、これを目印に探すのはおススメです。目立つんです。


慎重にシャッターを押したつもりなのにピンボケばかりの写真、すんません。


コシノコバイモよりカイコバイモの花の方がスリムです。


こんなぽっちゃりした花も。


奥より手前の方がスリムなんですが、コシノコバイモのような肩張りはありません。


はじめの写真と比べてください、これがカイコバイモです。


まだかまだかと眼を皿のようにして探していて、ふとした瞬間にこの花に出会えた時は思わず雄たけびを上げてしまいました!


やっとカイコバイモに会えたことで、本当にまんぷくになった気分で下山しました。


会えて良かった良かったなんですが、こんなにあっちこっち探し回ってわずか3ヶ所しか確認できなかった自生地です。いったいどこでどんな風に生きているの?コバイモさん


ミツマタの黄色の花は最終時期でした。

芦川横沢

コバイモを探して御坂山地を歩いた山行、芦川の南の尾根にも行ってみました。旧三珠町の高萩にある横沢周辺徒歩道のピストン。ここでも古道ともいえる昔の仕事道に出会い、この険しい山の中での仕事に思いを馳せることになりました。登りはじめの県道の標高が400mくらい、コバイモのねらいは横沢を渡った先の標高700~900mの尾根の北側。


県道36号線。


入り口のお地蔵様。この道は主稜線の地蔵峠の南に「折門」という天空集落ともいえる集落に通じます。入り口のお地蔵様の存在は多くの人の往来がイメージできます。


傾斜のゆるいところは幅広の道形。


もうここを通る人はいないはずというのは、こちらの勝手な思い込みなのかもしれません。旧三珠町は市川大門町と六郷町と合併して今は市川三郷町です。


傾斜の強いところは細かくジグザグに傾斜をころし石積みで道形を作っていました。それも所々崩れていましたが。


歩かれなくなってだいぶ経っています。外傾したところはちょっといやらしい。


索道跡。同じものが入り口のお地蔵様の横にありました。生産物を運んだんでしょう。


708ⅿ標高点の西の峠を過ぎると耕作地が眼に飛び込んできました。地形図には田んぼの地図記号が書かれています。なんとこんな山の中でここは水田だったのです!


この険しい山の中の田んぼです。7~8枚分の田んぼが確認できました。使えなくなった橋ですが、もはや沢の水量が少ないので渡るのには苦労しませんでした。


ヒノキが植林されていますが元は田んぼです。


尾根の側面の道形は崩れてしまっていましたが、この葉っぱがいくつか登場。ミスミソウです。花はもう少し先でしょうか?


キランソウのあざやかな色が、色のまだない芽吹き前の林の中で目立っていました。


岩まじりの急なところは削ったんだと思います。機械もなく人手での土木作業です。大変な作業だったことが想像されますが、重要な道だったのだと思います。


標高900mくらいの沢をまたぐところで道は完全に崩れていました。ここでもコバイモには出会えませんでした。地蔵峠までは1時間はかからないでしょう。戻ることにしました。


水田まで戻り、横沢を渡ろうとしたら2匹のヤマメに会いました。地元の人が放流したものの生き残りでしょう。


横沢には顕著なゴルジュがあるし、地形図にもある30ⅿの不動滝があるから魚は遡上することは出来ません。写真が不動滝です。


水田跡のコルにはひっそりとカタクリが咲いていました。



2020年4月29日水曜日

関原峠

御坂山地北稜の次なるトライは関原峠。合併前は豊富村。今は中央市です。標高700~1000mの間にコバイモが自生しているかどうか、地形図だけ見て中道往還に地形に近いであろうというところに実際行って検証してみたわけでした。シルクの里から反時計回りで回ってみました。859m標高点に向かう登歩道を登り、関原峠から下るというルート。


中央市がアピールしているルート。関原峠への道は整備されています。こんな立派な案内標識があるくらいです。鳥獣害除けのフェンスを通ります。


林道の様子。何も考えてなくてそのまま林道を進んでしまいました。この手前で右の(西の)尾根に乗っかる予定だったので軌道修正。


二五万図のこの辺りの登歩道は、昔の山仕事の道と一致していて深くえぐれた道形が残っているというイメージでしたが、関原峠の西の尾根の徒歩道は全く違っていました。


ヤブはない気持ちのいい尾根だったりしましたが・・・


道形は突然なくなり、急傾斜の岩場が登場したりしました。


岩場に咲いていたナガバノスミレサイシン。


けもの道を利用したりして主稜線に出たところ、859ⅿ標高点です。とりあえずここでホッとします。そんな気分にさせるくらい使えない尾根の登歩道でした。登るにしても降るにしてもここはお勧め出来ません。


関原峠
西側から主稜線を東に進んで関原峠に来ました。中央市は関原峠から、たいら山932mにというコースを推奨して登山道整備をしていました。たいら山から山神社を経てという周回ルートのイメージでしょう。ただ、関原峠からたいら山のルートは要注意です。単純な尾根歩きではないので倒木一本で道間違いが起こりそうな典型的なヤバい里山です。関原峠までの道は問題ないでしょう。関原峠から西に進んで859m標高点で直角に南に曲がりますが、昔の仕事道を利用しているので859m標高点は通りません。気軽に歩けるルートとは思えませんでした。


関原峠に咲いていた淡い桜。


深くえぐれた昔の仕事道は二五万図と一致していました。途中の山の神の石祠。


屋根の鬼のような彫りは結構リアルで立派なものでした。


まとまって登場した馬頭観音の石碑。



さらに下ると立派な観音像の馬頭観音。

頭頂部をアップにするとよくわかる馬頭観音。お馬様への愛情を感じます。


こんな道です。これだけえぐれていて、いくつも登場する馬頭観音です。半世紀くらい前の山の人々の暮らしに思いを馳せます。


ヒトリシズカ


イカリソウ
御坂山地北稜のはずれの関原峠周辺でもコバイモには会えませんでした。ただ特に感じたことは主稜線で道間違いが起こらなければ良いなということでした。全くの初心者が関原峠からたいら山、山の神というルート取りした時が危険だと思いました。ご注意ください