2014年12月25日木曜日

天空集落 折門

四尾連湖から蛾ヶ岳に登った時、初めて廃村になった‘折門’集落を訪ねました。高地集落,山上集落,天空集落とか言われています。御坂山塊の西のはずれ三方分山から蛾ヶ岳にかけての常葉川、三沢川の源流近く、標高1000m前後にあったいくつかの集落です。

蛾ヶ岳からほぼ東、多少のアップダウンを繰り返しながら尾根の上を進んで太平山。直角に南に曲がって折門峠。いくつかの尾根上の小ピークを越えて下っていくと1031m標高点の手前の鞍部、「山神峠」という峠に出ます。木造の社が「皇太神社」(下部町誌より)




何の石碑なのかはわかりませんが、武田菱はわかります。


どんな峠道だったのでしょうか?折門の集落に下ります。 


天空集落の生活の道

集落に近づいたら現れた六地蔵。隣は墓地でした。


昭和45年(1970年)に集団離村した折門集落。廃屋が見えました。


穀物加工所でしょうか?

電気はどこから来ていたのか?なんともシンボリックな建物。


内部の様子。


1970年、僕は小学生でした。


臼の中はお米のようでした。もう45年以上経っているのに、つい昨日のような感じでした。


どんなシステムだったのでしょう。

まだまだ調べないとならないのですが、ここを見てしまったら途中でもお伝えしたくなったのでした。
一番多いときは100人以上が暮らしていた、折門の集落。


下折門に移動します。ずいぶん前に人の営みがなくなったにもかかわらず、しっかりしたとレースが残っていました。


下折門の集落


廃屋


下折門集落を出るところで、転がっていた石を起こしてみたらこんな石仏。


この天空集落の人々の暮らし、今の時代からすれば想像もできない感じなんだと思います。僕も想像の世界です。集落といっても、車では行けなかった集落です。車道はないんでした。歩いて行くしかなかった天空集落です。

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