2022年12月14日水曜日

山光荘

西伊豆の山に行った話です。静岡駅でお客様と合流すべく富士川を下りました。富士川の川霧が好天を約束してくれているようでした。

伊豆半島の真ん中の伊豆縦貫道が延伸して以前よりも行きやすくなった伊豆半島ですが、やはり西伊豆は遠いです。このタイミングで駿河湾フェリーが半額運行というのはニュースでした。県道223号の航路は冗談みたいな223(ふじさん)。

海なし県に住んでいるものとしては、山のアプローチで船に乗るなんてことは特別です。乗船する大型バスの豪華さにびっくりしていたら、JR四季島専用のバスだそうで、日程が空いているときはその豪華さを売りにツアーをやっているとのことでした。写真撮るの忘れました。


なんともブルースカイが素晴らしく、白くなった富士山も秀逸でした。


大瀬崎沖からは伊豆の太郎、達磨山がはっきり見えました。


係員の方のテキパキとした動きに下船です。ちょっと気持ち悪くなったのは船酔いでしょう。


堂ヶ島の三四郎島


三四郎島の象島と陸地がつながる現象「トンボロ」の説明。大潮の干潮の時に歩いて渡れるそうです。似たような地形は西伊豆の戸田や大瀬崎もと思いました。そちらはつながりっぱなしですが。トンボロはイタリア語。きっと砂洲の様な地形の場所なのでしょう。


波が荒く遊覧船は欠航。天窓洞という有名な洞窟に船で入ることを楽しみにしていましたが叶いませんでした。伊豆半島の成り立ちになるのですが、海底火山だった時代の軽石凝灰岩が波と風化で陥没したものです。


天窓洞 Tensoudou


西伊豆松崎町の山光荘。


松崎町は桜餅の葉っぱの産地で、全国シェアの7割の生産だそうです。僕が知っている桜餅の葉っぱはおまけで主役ではありませんが、桜葉産地では餅が二枚の桜葉に挟まれていて葉っぱが主役です。ここでは桜餅ではなく桜葉餅と言われてました。


松崎町はなまこ壁で有名です。おやつの後はなまこ壁の松崎町を散歩。
なまこ壁は平らな瓦の継ぎ目を漆喰でかまぼこ状に補強したものです。漆喰の断面がなまこみたいだからのネーミング。防火性、保温性、保湿性に優れ、明治時代から昭和初期まで各地で見られた外壁の工法です。松崎町には今も190棟余り残って、全国的には倉敷市や東広島市なんかに多く残っています。


那賀川のときわ橋の欄干と復元された時計塔。漆喰で描かれている桜。左官絵とか蔵飾りと言われる漆喰芸術は͡こて(鏝絵)と言われます。


明治時代の商家中瀬邸。呉服商だった大地主の邸宅は観光客に開放されています。


伊豆石だと思います。伊豆半島では硬質の安山岩と、軟質の凝灰岩の2種類が掘り出されていたそうで、松崎町の南西にも石切り場があったそうなので伊豆石です。安山岩のものは東伊豆産で江戸城、皇居の石垣です。こちらは柔らかい凝灰岩。


夕食の立派なお造り。


山光荘のお蔵。「伊豆の長八」と呼ばれた漆喰芸術こて絵の名工の入江長八(文化12年1815年~明治22年1889年享年75歳)。山光荘は長八の宿と言われています。このお蔵は明治11年1878年に建てられたものだそうです。入江長八63歳のこて絵


青龍


白虎


阿吽二頭目の白虎


北の窓、出て行く小鳥と


入ってくる小鳥。「寒牡丹」と言われている明治20年1887年、72歳の作品です。


長八の宿山光荘の朝食。玉子焼きはなんとおん年97歳の女将さん!
元々は造り酒屋だった建物を改造したという宿なんです。ご実家だったそうです。


慌ただしい朝、河津七滝のループ橋を山に向かいました。

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