2025年3月11日火曜日

鍬柄岳

群馬県富岡市にある鍬柄岳(くわがらだけ)です。やせ尾根や岩峰が多い西上州の山の入り口の山です。登山口の駐車スペースでこの岩峰が目に飛び込んできます。この山だけではすぐ終わってしまうので、まずは、ぐんま百名山の大桁山(おおげたやま)に登って南下することにしました。


富岡市道小倉線の駐車スペースには立派な馬頭観音。大桁山の東のコルの川後石峠に至る古道の馬頭観音です。その古道とは関係なく、大桁山の登山道は「関東ふれあいの道」です。環境省が計画し、各都道府県が整備、管理している「長距離自然歩道」のひとつです。だいたい10㎞のコース設定で、公共交通機関も絡めて案内されています。長距離自然歩道の中でも有名なのが東海自然歩道です。その東海自然歩道の始まりが1970年ということなのでかなり古い歩道たちです。

関東ふれあいの道の大桁山登山コースは千平駅~大桁山~虻田バス停で設定されています。関東ふれあいの道の総延長は1,800kmもあります。関東ふれあいの道は東京都の高尾山の麓が起点で埼玉、群馬、栃木、茨城、千葉、神奈川の順に1周です。全体で150ルート以上あります。各都県の整備だし、かなり温度差もあるでしょう。

ちょうど地形図に徒歩道があり、道形も残っていたので歩いてみました。しっかりした石積みが見えます。どうして長距離自然歩道は昔からの道を利用したルート設定にならなかったのでしょう?この道形は、駐車スペースの立派な馬頭観音に通じています。


川後石峠です。4方向から林道が合流しています。地形図の606m標高点が峠です。


関東ふれあいの道は大桁山の南山腹の林道を使っています。杉檜の植林地を歩くより、素直に大桁山から東に川後石峠に延びる尾根を歩くのが合理的に思えました。その尾根の様子です。


大桁山の東尾根の途中から見えた鍬柄岳です。2つの山の標高差がだいたい200mあるので見下ろせます。


大桁山の東の790m小ピークにあった山の神の石祠。


大桁山の東の尾根を進んで、再び南の尾根から続いてきた関東ふれあいの道に合流。階段が整備された登山道ということでしょう。


大桁山山頂。展望がイマイチなので、ゆるやかな尾根を北に進んで、妙義山の展望を楽しみました。ちょうど星穴岳のむすび穴がはっきり見えました。


大桁山から尾根続きなので、そのまま南下して登場した鍬柄岳の北面です。


鍬柄岳は、「石尊山」とも呼ばれています。石尊信仰の山頂の石祠は「石尊大権現」です。石尊信仰とは神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社のご神体である巨石を崇敬する信仰です。そのため登拝道として、山頂に至る岩場には鎖が設置されていました。


石尊信仰は山岳信仰と修験道的な信仰が融合した神仏習合の神で、農耕の神様として知られています。


鎖のアンカー


東西に長い鍬柄岳の山頂部です。


東の小ピークの石祠


鍬柄岳山頂と奥に大桁山です。


展望の良い鍬柄岳山頂から東を見ると、前日歩いた富岡アルプスの稜線が見下ろせました。真ん中の尾根です。


こんな感じに登ったり下ったりでした。安全を確保しての行動です。


山中多く見られたイノモトソウ 井の許草というシダです。昔はこの葉をアルコール漬けにして打撲傷の外用薬に用いられていたそうです。


登山口に戻りました。ひとつのピークに登るのに、ハーネス、ヘルメットを準備して、実際ロープを使うっていう行動はそれだけでおなか一杯になるくらい特別な山行になったのだと思います。お疲れ様でした。


2025年3月10日月曜日

富岡アルプスと富岡製糸場

群馬県富岡市の富岡アルプスと呼ばれている神成山(かんなりやま)です。神成山というピークはなく、9つのピークの総称です。最も高いピークは西端の吾妻山で、東端の宮崎公園がスタート、西の吾妻山までかわいい感じの縦走ルートです。写真は南側から見た富岡アルプスです。標高差は約100m、距離は全行程で約6㎞です。

群馬県高崎市から下仁田町の下仁田駅(終着駅)までの上信線という私鉄の神農原駅かのはらえき が起点のイラストマップ。

いまだ冬枯れの稜線は展望がよく、翌日登る大桁山おおげた、鍬柄くわがら岳がよく見えました。

オキナグサが見られることで有名な山ですが、今年は開花が遅れているようで、かろうじて一輪だけ咲いていました。


山行自体は短いので、世界遺産の富岡製糸場に行くというのも目的でした。富岡市富岡一丁目というこの壁の向こうがまさしく富岡製糸場の敷地です。


午後になり南岸低気圧と寒気で関東地方に雪が降った午後、富岡製糸場の正門をくぐったタイミングでとても寒くなりました。


詳細は割愛しますが、富岡製糸場の中心部は保存修理の真っ最中でした。

約40分のガイドツアーは一人200円。展示の案内を自分で読んで場内を歩くよりお勧めのガイドツアーです。とても分かりやすく明治の殖産興業としての富岡製糸場の成り立ちを説明してくれます。

お雇い外国人のフランス人のポール・ブリューナ を中心に作られていくわけですが、個人的な興味は渋沢栄一でした。

明治の後の自動織機を見ることが出来ます。この機会は今の日産自動車製ということでした。


レンガ造りの外観がイメージの富岡製糸場です。その成り立ちに渋沢栄一がかかわっていたということに興味がありました。富岡周辺の材料で焼かれたレンガは、渋沢栄一の地元の職人が技術指導したということでした。

世界遺産の富岡製糸場なので細かいことはとても書けませんが、渋沢栄一のいとこの尾高惇忠(おだか あつただ)が初代場長です。渋沢栄一と尾高惇忠(おだか あつただ)は若いころ何度も行商で西上州から峠を越え信州佐久に行っています。その峠越えの稜線は中央分水嶺だというのも興味深いし、富岡製糸場横を流れるのが鏑川で、西上州から佐久に行く峠越えが源流のというのもあじがあります。写真は富岡製糸場から見た鏑川です。


明治のロマンを感じた後で泊まった宿は妙義グリーンホテル。きっと周辺を代表するホテルだったのでしょう。隣接のゴルフ場にリンクするサービスでした。


広い群馬県の西の名産は、こんにゃくと下仁田ネギなんでビミョーな夕食かも?と思っていたら、なんとしゃぶしゃぶ食べ放題!ドリンク飲み放題!時間制限90分でしたけどね。だいたいそんなに食べれませんが…

妙義グリーンホテルの朝。7階の部屋の窓から目の前に妙義山の雄姿でした。まさしく絶景でした!


2025年3月5日水曜日

天神尾根

地理院地図の二五万図の「甲府市北部」のエリアはガイド山行のネタ満載のエリアです。里山での人々の営みとみたけ道です。冬の甲府盆地は、雪国と違っていくらでも歩き回れる素晴らしいフィールドです。山梨百名山の帯那山の稜線から西に延びる天神尾根を登った山行でした。写真は昇仙峡の象徴の一つ長瀞橋横の天神森の駐車場。トイレもあり、十分な駐車スペースがあります。

天神森駐車場から県道7号を東に進み、県営林道塔岩線に入る手前、県道7号の下に流れる水路がとても気になりました。里山あるあるですが、古い道形や水の流れは営みそのものです。水田で稲を育てるのには水が必要です。その水の確保にとても苦労してきたのだと思います。それは軽く戦国時代まで遡るということも多いと思います。とりあえず歩いてみようとなった水路でした。

天神尾根をたどって塔岩集落に行こうって山行でしたが、そんな水路巡りなんて道草をしたからか、登る尾根を間違えて車道に出て(県道7号、昔の昇仙峡グリーンラインと呼ばれていた道)目的の尾根を目指しました。


ピンぼけですが、トンネルの銘板「のろし台隧道」。このトンネルの上の尾根が目指す尾根でした。だいたい考えてみればトンネルって尾根地形に開けられます。


里山なので、しっかり攻めればすぐに通過してしまいますが、じっくり観察しながら古い道形を観察して、どこから来てどこに向かうのか?と歩いてみたらはっきり分かった道形でした。里山を歩くってそんな感じです。


「のろし台隧道」の上の道形をたどって登場した馬頭観音像。文政元年の刻は江戸時代の後期です。以前歩いた時は現在の地形図の660m標高点に行ってしまいましたが、今回はあくまでも道形を優先。道形の一段上に建立された馬頭観音の意味を考えたりしました。


山中に残された架線のワイヤー


顕著な尾根を歩く里山、山奥の集落と里の集落の交易の道。僕ら登山者はその道を利用させていただいてるという視点。その尾根を地理院地図と明治の陸地測量部の二万図を照らし合わせて歩きました。


ダアス峠のユニークな表情の馬頭観音。


ダアス峠から北の竹日向集落に道形は続いていますが、それはまたの機会にということで尾根通しに現在の地形図ベースにやせ尾根の上を進みました。


ダアス峠と明神峠の間の尾根にある大展望のピークからの眺め。


天神峠手送電線鉄塔の巡視路でもある稜線に張られたトラロープ。


地形図に書かれた天神峠の東にある本当の天神峠から、沢地形を下った塔岩集落の耕作地跡


ここで何を栽培していたのか?塔岩集落北の沢の中の耕作地跡


家を建てるための平を作り出す石垣。


お地蔵さんや庚申塔がまとめられていました。林道で容易に下界と行き来できるようになった後でのことだと思います。


塔岩集落を守ってきたであろう氏神様の参道の石段は崩れています。


氏神様の石祠。神社庁のサイトではわからない神社名でしたが、個人のサイトで細草神明と書かれたものはありました。


帰りは県営林道塔岩線下りました。以前も見ているのでしょうが、治山事業という看板に「魚道」の文字が気になり覗いてみました。


大きな砂防ダムに作られた人口の魚道。魚が上る道が魚道です。それほど大きな川とも思えない塔岩川に作られた立派な魚道です。


その魚道のことも、氏神様の名前も、わからないことは多いわけですが、また来ることもあると思うので、いまを記録しておきます。陸地測量部の130年以上も前の地図も使い行う地図読み山行はかなり独特なものです。
★明治の地図には本当に人工物がありませし、その明治の地図に該当するのは「松嶋村」(松嶋村は山梨県中巨摩郡にあった村で現在の甲斐市南東部、中央本線竜王駅の北東一帯にあたる。)で、明治13年式 地形図図式と呼ばれているものです。縮尺2万分の1で明治13年から19年までに合計921枚が作成されました。全国をカバーはしていません。その921枚の内の1枚の「松嶋村」を使いました。