2025年3月28日金曜日

ミツマタ

写真の山は、南部の福士から見た篠井山です。4月に山行の予定ですが、奥山温泉からの登山道は見えていません。ここのところ一気に春めいてきて、間に合うか⁉という気持ちで出かけた南部町でした。何かというとミツマタの花です。

和紙の原材料として有名な、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)のミツマタです。富士川右岸の奥の東海自然歩道の稜線上にミツマタの大群落があると最近知りました。ネット上では上徳間黄金街道とも言われるようです。黄金はミツマタの黄色からです。ミツマタは春を告げる花でもあります。篠井山から南に延びる尾根の上です。尾根の東の鯨野という集落から、西の上徳間という集落に通じる峠です。鯨野にもたくさんのミツマタでした。

東海自然歩道は、峠から落ちてくる沢沿いの道から入った後、尾根にいったん上がりました。

50年以上経っている東海自然歩道です。それだけ時間が経てば道も崩れます。特に沢に近いところはなおのことです。今は最低限の整備がされているようでした。

もともと地域で使われていた道だったと思わせる石積み。

鉄骨ベースの橋は東海自然歩道として整備されたものでしょう。3本あった橋の全てが鉄骨ベースでした。

上徳間に抜ける峠なので上徳間峠と言われている峠が見えました。


間に合ったミツマタの花。枝が必ず3つに分かれることからミツマタと言われるジンチョウゲ科の落葉低木です。ほのかに香ります。「三椏」「三股」「三又 」という漢字表現です。


稜線上のミツマタはなぜかすべて根元から切られていました。歩くしかない昔の峠道とは別に上徳間から鯨野まで通じている林道があり、その稜線上の林道わきに生えているミツマタです。ミツマタが和紙になるにはたくさんの工程があるようですが、まずは原材料の刈り取りからと言うことかも知れません。生木を刈り取って放置して軽くなってから回収なのかも?と思いました。本当のことはわかりませんが。

林道を軽トラックで走る範囲の刈り取りの様でした。ボリュームがあるミツマタ群落。

シロダモ(クスノキ科)「白梻」という木だと思います。杉ヒノキの人工林の中にたくさんありました。和名の「梻」という漢字はシキミと読み、植物のシキミの様です。シロダモの白シロは葉っぱの裏が白いから。

だいたい目的は達したので、鯨野に向かって林道を下りました。その稜線の東にあるピークには森山という山名が地形図に載っていました。595m標高点で写真のとんがりです。

林道がクランクになっていたところで、ショートカットしようと林道から外れそのまま尾根を下ると馬頭観音が転がっていました。明治18年と彫られていました。

徳間峠というのは一本南の尾根にあります。今回僕がトレースしたのは上徳間峠でした。そこは約50年前に東海自然歩道として整備された道でしたが、この馬頭観音を見て下った林道の尾根の方が主に歩かれていたのではと思いました。1900年の古地図を確かめてみるとそのことが確認できました。古地図のシュクショの青い〇が上徳間峠で、赤い〇が馬頭観音の位置です。はっきり破線で道が書かれています。


下山後、御堂の集落まで行ってみました。山梨県の南部は静岡に近く暖かいので静岡みたいな景色が広がっています。南部茶というブランドのお茶畑。

タケノコの産地でもある南部地方です。里山の景色に普通にある竹林。

帰りに通った中部横断道の、富士川第一橋から見た富士川左岸の山の斜面に驚きました。今回目的にしたミツマタの群落が橋の上から見えたのです。

上徳間黄金街道は富士川右岸の奥なので、この左岸のミツマタ群落とは違う場所です。写真を拡大して、ミツマタと思われるところを白線で囲んでみました。山梨の南部は峡南地方と言われます。富士川の少し上流に西嶋地区が手すき和紙で有名なところです。僕が見たいくつかのミツマタ群落はその西嶋和紙の原材料の供給地だったのかもしれないと思いました。


※後日、裾野麗峰山の会という労山系の登山グループの方から連絡をいただきました。上徳間黄金街道という林道のミツマタが切られているということを役場に確認なさったという連絡をいただきました。刈られたミツマタは和紙の原材料という狙いではなく、単に林道維持のために刈り払われたという答えだったようです。

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