2016年11月20日日曜日

第13回全国自然環境会議

公益社団法人日本山岳ガイド協会のイベントのお手伝いに白馬村に行って来ました。

・ガイド協会全国代表者会議

・全国遭難対策研修会

・第12回全国自然環境会議

2日間にわたって行われたイベント。運営は白馬山案内人組合の方々。お疲れさまでした。



「高度な知識や技術を持ったガイドを公的な基準で認定し、登山者の安全を確保する狙いで、日本山岳ガイド協会が認定する登山ガイドを国家資格にする検討を始めたことを明らかにした。」(信濃毎日新聞より)
2020年までに、ガイド資格を国家資格にということが初めて報道されたわけです。記者会見用に初めて作ったバックパネル。


全国自然環境会議というのは、環境省から委嘱される自然公園指導員の大会。自然公園指導員って何か?環境省のHPから
~国立・国定公園利用者に対し公園利用の際の遵守事項、マナー、事故防止等の必要な助言及び指導を行うとともに、必要な情報の収集及び提供を行う~


現役ガイドが野生生物の食害(主に鹿)をテーマにパネルディスカッション。


主に高山帯での食害の話。熊ノ平や三伏峠周辺は昔と大きく変わってしまったという話。防ぐのには柵を設けるのが一番という報告。


尾瀬のガイド浅井君も、尾瀬の現状報告。


屋久島のガイド古賀さんも、屋久島の現状を報告。


降籏副会長の挨拶。


会場のウイング21は長野オリンピックの時にできた白馬村の施設。もう18年前になります。


気温は高かったのですが、さすが日本海側、雪国です。スカッと晴れることなく太陽が差したり、小雨が降ったり、虹も見えました。


山の上は白くなっていたのでしょうが見えませんでした。でもふもとの広葉樹の色合いが素晴らしかった。お疲れ様でした!


2016年11月18日金曜日

ミドリ池からシャクナゲ尾根

八ヶ岳に四季を通じて入山しやすい登山口のひとつ、稲子湯から主稜線に上がり周回した山行でした。稲子湯~ミドリ池~中山峠~ニュウ~シャクナゲ尾根というコース。アプローチのカラマツの植林地がとてもきれいでした。


この看板、長野県が登山届を出すようにアナウンスしているものですが、最近どこに行っても見かけます。山に登るなら登山届出しなさい!って、徹底している感がとてもいいと思います。


周回しながら地形図とにらめっこしていました。絶対に外さないという決心で周回しました。実は二年前の冬、今回とは逆のコースでシャクナゲ尾根から周回したとき、読図が出来ていなくてえらい目にあったのでした。おかしいだろ-!そんなはずはない!なんでそんなことになったんだ!の検証の今回。これは自分自身の感覚の問題なので、文章にしますがお分かりいただけないかもしれません。写真はこまどり沢のポイントの手前の堰堤かな?と思う石積です。


こまどり沢を過ぎると登場する森林軌道のレール。森林軌道の記事


シラビソ小屋横のミドリ池と稲子岳南壁。もう氷が張っています。


中山峠に向かう途中から見た稲子岳南壁。


中山峠に登る急登か見える稲子岳。


最後の急登をこなした中山峠。北八つのメインルートの十字路的な場所。


北に向かうと優しい縦走路になります。


木の間から見える中山。


分岐を東にとって、結構長い縦走路ですが、いよいよニュウ二近づいてきました。岩のピークがニュウです。ニュウに近づくと樹林帯の中であっても結構岩が歩きにくい登山道となります。


ニュウからの大展望!見えている池は白駒池です。


ニュウの三角点と北八つの山々。


この分岐は、ニュウからだいたい東に移動して出てくる四辻ともいえる分岐。何が四辻かと言えば、ニュウ-白駒池-白樺尾根-シャクナゲ尾根の四辻。


以下の写真2枚、地形図を見ることに慣れた方は凝視してみてください。すぐの写真の地形図、実際のものとは違っています。二枚目の地形図が実際のものです。古い地形図の記載が実際のものとは違っていて、2年前の冬は非常に難儀したのでした・・・そこの記事


こちらは実際に即した破線となっています。


まだ冬がやってきてないので、歩きやすいきれいな登山道でした。雪でどこを歩こうかと悩む必要がないという意味です。


シャクナゲ尾根のシャクナゲ。シャクナゲ尾根、夏でも初心者は選択しないほうが良いルートです。冬だといつもトレースがあるわけではないので、なお更初心者は入ってはいけないルートです。


こんな立派な標識もありますが、途中の判断が難しい尾根です。この周辺は、夏でも冬でもルートを外すととても歩きにくいです。それは読図の問題ではなく、岩がゴロゴロしていて、地形だけ見た歩くということが出来ないからです。おまけに既成の登山道もわかりにくいところがあるので、安易に入山すべきルートではありません。ご注意ください!


2016年11月17日木曜日

大月川岩屑なだれ

大月川岩屑(がんせつ)なだれのことを自分でも忘れないように書いておこうと思います。

今から1100年以上前の887年8月22日(平安時代の仁和(にんな) 三年)大規模な山体崩壊(大規模な崩壊を起こす現象)が発生しました。山が崩れてしまったわけです。崩れた山は岩屑がんせつなだれ(地震、水蒸気爆発や火山帯の急激な変形などによって火山体の一部が崩壊し、渓流を高速で流れ下る現象)を起こし、千曲川まで流れて川をせき止め天然ダムを作ります。松原湖はその名残です。
R141号線から松原湖を通過し、稲子湯手前の新開という集落から見た北八ヶ岳の稜線。この写真で山体崩壊の範囲を確認できます。中央の白い山は天狗岳2646mで、その前面が大きく山体崩壊して凹地となったカルデラ地形です。右側が稲子岳(いなごだけ)2380m。稲子岳の右にある小さなとんがりがニュウ。その山々から流れ出しているのが大月川です。


中腹のミドリ池と東天狗岳
山が崩れた原因は幾つか説があるようです。仁和にんな三年(887年8月)に起きた仁和にんな地震(五畿七道地震という言われ方もある南海トラフ沿いの巨大地震)強く揺すられ、大規模な山体崩壊が発生したとか、天狗岳の水蒸気爆発による山体崩落だとかです。いずれにしてもこの時山が崩れて千曲川を塞いだという記録は多くの書物に登場するようです。
山体崩壊時に岩屑がんせつなだれが起き、崩壊した火山体がふもとに向かって一気になだれ落ちました。そのエネルギーは降雨に由来する土砂崩れの10倍とも言われています。時速100㎞以上のスピードなんてのもあるそうです。


ミドリ池から中山峠に向かいました。 


稲子岳の凹地おうち(くぼんでいる土地。周囲よりも低くなっている土地)、気になる登山者は多いと思います。僕もその一人で、以前迷い込んだことがありました。稲子岳の記事
仁和にんな三年(887年8月)の山体崩壊の時かどうかはわかっていないそうですが、山体崩壊の途中で止まった稲子岳ということです。稲子岳には風穴があるなど、基盤からはほぼ完全に分離していることが指摘されています。現在も残る稲子岳をのせた移動岩体は、今後の地震や豪雨、火山活動によって大きく崩落し、新たな岩屑がんせつなだれが発生させる可能性があるそうです。
下の地図の赤丸が凹地です。地図を見ながらイメージしてみてください。赤丸の左の方から山が動いて、赤丸のへこみが出来て止まっているということです。

こんなことを書いていると、ここもいつ崩れるかわかりませんね・・・


凹地の南からアプローチしました。雪のない時に来るのは初めてですが、意外にしっかりしたトレースがありました。


鹿除けネットは外されていました。雪がなくなったらまたネットは張られると思います。


凹地の南側から北を眺めています。凹地の底です。


よく見るとマーキングもされていましたが、基本地図読みしながら行く場所なので、読図が出来ない人は入らないほうが良いと思います。


中山峠の稜線から見下ろした凹地。


ニュウに向かう途中から見た凹地と東天狗岳、奥に硫黄岳。
山体崩壊で岩屑がんせつなだれを起こして大月川を流れ下った泥流は、千曲川と相木川をせき止めて天然ダムを形作りました。現在の「海尻」という地名は千曲川をせき止めた天然ダムの名残でしょう。大月川が千曲川に合流するところがまさしく海尻です。千曲川をさかのぼり、山梨側に近づくと「海ノ口」という地名もあります。天然ダムの始まりだったのでしょう。海ノ口から山梨方面は「市場坂いちばさか」という坂になり、傾斜がきつくなります。また、「小海」という地名は相木川の天然ダムです。千曲川のダムよりも小さかったのでそのまま小海です。R141号線沿いに「海」が使われる地名の由来です。


ニュウから見た景色。
大月川の岩屑がんせつなだれでせき止められた天然ダムは、さらなる災害をもたらします。仁和にんな三年(887年8月)の天然ダム形成から303日後の翌年の6月決壊し、千曲川の下流100㎞以上の地域にわたって大きな洪水被害をもたらしました。。100㎞ということは長野市くらいまで達したことになります。「仁和にんなの大洪水」です。千曲川沿いの平安時代の遺跡では広範囲に厚く堆積する砂層が認めらています。千曲川沿いの佐久平から善光寺平付近までで発掘された砂層は「仁和にんな洪水砂」と呼ばれているそうです。(洪水は何百年にわたり何度も起きていたそうです。)


大月川の岩屑がんせつなだれ、自然のパワーと人々の営みの歴史でした。

2016年11月13日日曜日

百体観音

黒斑山の山行の帰り、前から気になっていた「百体観音」の見学にお付き合いいただきました。

「百体観音」正確には「百体観音石造町石ひゃくたいかんのんせきぞうちょうせき」でしょうか。江戸時代の終わりから明治の初めにかけて建立された観音群のことです。
長野県東御市(とうみし)から地蔵峠を越えて、群馬県嬬恋の鹿沢(かざわ)温泉までの山道の脇に一番から百番までの観音様が、一町ごと(約109m)ごとに祀られています。鹿沢温泉に向かう湯治客の安全を祈念してという始まりです。新張(みはり)交差点横の第一番の観音様。


東御市(とうみし)は小諸市の西、どうも地元ではないので土地勘がイマイチではありますが、鹿沢温泉に向かう湯治客のための丁目石としての観音様なんてとっても惹かれる話です。


車で短時間に拝見させていただきました。湯道と言われる昔の道から、今の県道92号線に動かされている観音像群です。


本当はこの樹をぜひ見に行きましょうということで始まったドライブでした。「弘法大師のさかさ杖」というシナノキです。茂来山に登った時に出会ったコブ太郎という、森の巨木百選に選ばれた大木の存在がありました。黒斑山から下山して、時間が中途半端で、調べたら近くに百選の別な樹があるとわかったので会いに行こうとなったのでした。


「弘法大師のさかさ杖」のシナノキは、百体観音の第五十番の観音様の横にありました。こういうのって偶然でもあり必然でもあり・・・


シナノキにも会えたし、百体観音の50番まで追ってきたので、せいぜい全体で12㎞、最後の100番の観音様まで行こうとなりました。写真は第八十番、地蔵峠の観音様です。


湯 ノ丸山の登山口に近い第八十九番の観音様。



地蔵峠からは下りの道。群馬県に入ってます。群馬県嬬恋村です。


第九十六番の観音様。


第九十九番の観音様。一町(一丁)はだいたい100mなので、次の観音様はすぐに現れます。


「雪山賛歌」の碑。観音様から外れますが、途中にありました。「雪よ、岩よ、われらが宿り・・・」という有名な山の歌です。「1927年(昭和2年)1月、京都帝國大学山岳部の仲間たちと群馬県吾妻郡嬬恋村の鹿沢温泉に来ていた西堀榮三郎(のち第一次南極観測越冬隊隊長)が、冬場の雪で足留めを食らった際に、退屈を紛らわせるために仲間たちと「山岳部の歌を作ろう」を話し合い、詩を書いた。それがこの曲である。wiki」
足止めを食らったのが鹿沢温泉だったということです。図らずも日本の登山史に出てくるような話です。


第百番目の観音様。車で来たとは言え何となく達成感がありました。


木札です。‘碑伝(ひで)’とか‘護摩札’と呼ばれるものです。 碑伝というのは、修験道の行者(山伏・修験者)たちが、自らの修行の証しとして山中の行場に納める札で、木の薄板に墨で名前と年月日や願文などを書いたもの。百体観音を拝みながら、湯ノ丸山まで修業をした方が今月いらっしゃったようです。


東御市側もキャベツで有名な嬬恋村側もしっかりアナウンスしています。


地蔵峠の北側、群馬県嬬恋村は初雪だったようです。