2016年11月17日木曜日

大月川岩屑なだれ

大月川岩屑(がんせつ)なだれのことを自分でも忘れないように書いておこうと思います。

今から1100年以上前の887年8月22日(平安時代の仁和(にんな) 三年)大規模な山体崩壊(大規模な崩壊を起こす現象)が発生しました。山が崩れてしまったわけです。崩れた山は岩屑がんせつなだれ(地震、水蒸気爆発や火山帯の急激な変形などによって火山体の一部が崩壊し、渓流を高速で流れ下る現象)を起こし、千曲川まで流れて川をせき止め天然ダムを作ります。松原湖はその名残です。
R141号線から松原湖を通過し、稲子湯手前の新開という集落から見た北八ヶ岳の稜線。この写真で山体崩壊の範囲を確認できます。中央の白い山は天狗岳2646mで、その前面が大きく山体崩壊して凹地となったカルデラ地形です。右側が稲子岳(いなごだけ)2380m。稲子岳の右にある小さなとんがりがニュウ。その山々から流れ出しているのが大月川です。


中腹のミドリ池と東天狗岳
山が崩れた原因は幾つか説があるようです。仁和にんな三年(887年8月)に起きた仁和にんな地震(五畿七道地震という言われ方もある南海トラフ沿いの巨大地震)強く揺すられ、大規模な山体崩壊が発生したとか、天狗岳の水蒸気爆発による山体崩落だとかです。いずれにしてもこの時山が崩れて千曲川を塞いだという記録は多くの書物に登場するようです。
山体崩壊時に岩屑がんせつなだれが起き、崩壊した火山体がふもとに向かって一気になだれ落ちました。そのエネルギーは降雨に由来する土砂崩れの10倍とも言われています。時速100㎞以上のスピードなんてのもあるそうです。


ミドリ池から中山峠に向かいました。 


稲子岳の凹地おうち(くぼんでいる土地。周囲よりも低くなっている土地)、気になる登山者は多いと思います。僕もその一人で、以前迷い込んだことがありました。稲子岳の記事
仁和にんな三年(887年8月)の山体崩壊の時かどうかはわかっていないそうですが、山体崩壊の途中で止まった稲子岳ということです。稲子岳には風穴があるなど、基盤からはほぼ完全に分離していることが指摘されています。現在も残る稲子岳をのせた移動岩体は、今後の地震や豪雨、火山活動によって大きく崩落し、新たな岩屑がんせつなだれが発生させる可能性があるそうです。
下の地図の赤丸が凹地です。地図を見ながらイメージしてみてください。赤丸の左の方から山が動いて、赤丸のへこみが出来て止まっているということです。

こんなことを書いていると、ここもいつ崩れるかわかりませんね・・・


凹地の南からアプローチしました。雪のない時に来るのは初めてですが、意外にしっかりしたトレースがありました。


鹿除けネットは外されていました。雪がなくなったらまたネットは張られると思います。


凹地の南側から北を眺めています。凹地の底です。


よく見るとマーキングもされていましたが、基本地図読みしながら行く場所なので、読図が出来ない人は入らないほうが良いと思います。


中山峠の稜線から見下ろした凹地。


ニュウに向かう途中から見た凹地と東天狗岳、奥に硫黄岳。
山体崩壊で岩屑がんせつなだれを起こして大月川を流れ下った泥流は、千曲川と相木川をせき止めて天然ダムを形作りました。現在の「海尻」という地名は千曲川をせき止めた天然ダムの名残でしょう。大月川が千曲川に合流するところがまさしく海尻です。千曲川をさかのぼり、山梨側に近づくと「海ノ口」という地名もあります。天然ダムの始まりだったのでしょう。海ノ口から山梨方面は「市場坂いちばさか」という坂になり、傾斜がきつくなります。また、「小海」という地名は相木川の天然ダムです。千曲川のダムよりも小さかったのでそのまま小海です。R141号線沿いに「」が使われる地名の由来です。


ニュウから見た景色。
大月川の岩屑がんせつなだれでせき止められた天然ダムは、さらなる災害をもたらします。仁和にんな三年(887年8月)の天然ダム形成から303日後の翌年の6月決壊し、千曲川の下流100㎞以上の地域にわたって大きな洪水被害をもたらしました。。100㎞ということは長野市くらいまで達したことになります。「仁和にんなの大洪水」です。千曲川沿いの平安時代の遺跡では広範囲に厚く堆積する砂層が認めらています。千曲川沿いの佐久平から善光寺平付近までで発掘された砂層は「仁和にんな洪水砂」と呼ばれているそうです。(洪水は何百年にわたり何度も起きていたそうです。)


大月川の岩屑がんせつなだれ、自然のパワーと人々の営みの歴史でした。

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