2024年7月6日土曜日

玉川温泉

今年も秋田駒ケ岳の山行があり、締めは有名な桃洞沢に行こうと決めていました。去年の秋田駒ケ岳の後にも桃洞沢に行こうとしたのですが、雨で叶わなかったんです。沢登りなので雨では登れません。増水がどの程度かといったところの心配がありました。今年もあきらめたのですが、全く別な理由でした。ツキノワグマの出没という理由。桃洞沢を諦め、焼山登山に予定を変えましたがそれさえも止めました。写真は八幡平西の焼山です。手前の施設は玉川酸性水中和処理施設です。田沢湖上流の玉川は強酸性の水質で「玉川毒水」と言われて来た流れです。


 国道341号線の新玉川温泉分岐を過ぎると柳沢林道の入り口です。ここを起点に赤水峠を通り赤水沢を下り桃洞沢を目指す予定でした。戦前までは赤水沢から赤水峠を越え、玉川温泉の湯治に人々が通ったという古道です。この時はまだ秋田県内のクマ被害のことは意識にありませんでした。「クマによる人身事故防止のため入林禁止」という文言


新玉川温泉に快適に泊まった翌朝、国道341号線を走って気が付いたこと...道路脇の駐車スペースがことごとくトラロープで封鎖されていました。すべての駐車スペースに「クマによる人身事故防止のため入林禁止」の文言。


国道に何か落ちていました。


車を停め間近で見てみると生々しいクマの糞です。こんなのが3個も国道にあったので速攻で入山を諦めました。桃洞沢と焼山登山はキャンセルしたわけです。


ツキノワグマ、写真は以前野呂川の両俣小屋に向かう林道で出会ったツキノワグマは直線距離で約20mでした。


入山をあっさり諦め、玉川温泉の自然観察路を歩きました。玉川温泉を知ることに目的を変えたわけでした。


温泉がそのまま川になっていて、手を水面に入れてみると温かい川の流れでした。


いろんな温泉に行くことがあるわけですが、湯治とか岩盤浴とか聞きなれないフレーズが登場するわけです。玉川温泉です。暖かい地面に寝そべるのが岩盤浴なのかと思ってみましたが、どうもそうじゃないとわかったのは写真の地面は暖かいわけじゃなかったからでした。


公式に認められているわけではないようですが、地面から放射線が出ていて、それ狙いだというのは寝そべっている都内からの女性が説明してくれたからでした。彼女はガイガーカウンターを持っていてその数値をもとに寝そべる場所を決めていると話しました。以前ガンに侵されそのリハビリだと言っていました。民間療法のガンの放射線治療だとも言っていました。


たくさんあったコアカミゴケという地衣類。特別な場所に生息する地衣類でしょう。
玉川温泉の玉川はかなり難しい歴史を持っています。強酸性の温泉で玉川毒水と言われてきた川の流れは、田沢湖との関わりがあります。田んぼも作れないくらいの強酸性の水を田沢湖に入れ中和して下流域の稲作に利用しようとしました。ところが田沢湖に入った玉川の強酸性の水により魚も住めない死の湖になってしまった田沢湖という展開。それで今でも酸性を中和する施設があるわけです。死の湖と、昭和の初めに移植されて生き残った山梨西湖のクニマスという流れは玉川の強酸性の水のせいです。PH1.2という酸性の玉川です。


黄色いのは硫黄の結晶です。


自然観察路で見える噴気孔の様子を動画でとりました。すごい音なので音量には注意してください、約10秒です。





源泉の大噴(おおぶけ)。すごい勢いで噴出していました。温度が98℃だというのも驚きです。


こちらで寝そべっている人たちは放射線治療ではなく暖かい地面ねらいです。岩盤浴も種類があるんですね。


源泉の大噴(おおぶけ)からすぐに玉川温泉の施設に入ります。98℃を冷まして施設に温泉が入っていきます。


湯治目的の人は何泊もします。写真は玉川温泉の建物です。


中途半端な時間になってしまい、秋田から岩手に移動することにした途中、八幡平アスピーテラインから見えた畚岳が見え、とても立派な山容だと思いました。きれいな形の畚岳は秋田県側から見ることが出来ます。


八幡平アスピーテラインの最後で見る岩手山の山容です。6月に裏岩手の縦走をしたので感慨深い景色でした。

2024年7月3日水曜日

姫神山

二百名山の姫神山です。どんな山より均整の取れた、どっしり安定した姿が素晴らしい姫神山は盛岡周辺を移動していると目に飛び込んでくる印象です。なんだか上手く表現できないけど、ほんと気になっていた山でした。

秋田の山を諦め中途半端な時間に秋田から移動して決めた姫神山登山。姫神山の裾野を走っているときに見た、今では珍しいタバコの畑の写真。ちょうど花が咲いていました。タバコの葉の栽培は八ヶ岳の麓で昔は盛んに行われていたので懐かしい感覚でした。タバコの葉っぱは栽培されている時から専売公社に管理されていたと聞いたことがあります。もはや前時代の遺物みたいなタバコですが。

複数ある登山口の中で、地形図を見て決めた一本杉登山口。

途中で散乱していたアカゲラというキツツキの羽。猛禽にやられたのだと思います。ご愁傷様。

一本杉ルートの象徴の一本杉。



どのくらい前に整備された登山道なのかはわかりませんが、いただけない階段です。山の魅力が半減してしまう階段…


沢地形からひと登りで尾根に上がるところが五合目でした。地形図上の730m標高点がそれでした。


標高900mの尾根上にあった道しるべ。「指導票 下ル二ハ右」と書かれていました。登りながらの道しるべだったので、登る人には「上ルニハ左」と掘られていたかもしれません。判読出来ませんでした。大正の年号が書かれたいた道しるべです。


ミヤマオダマキがたくさん咲いていました。


はじめて見たクモキリソウ 雲切草 何んとも地味な花ですが目の前に飛び込んできた感覚でした。


ヤマブキショウマは咲き始め。


山頂に近づくにつれ大岩の間を縫うような登山道でした。


もっとも形のいい岩手山が見られるということでしたが、残念ながら雲の中で、雨雲は岩手山のほうからやってきました。


南側に見えた風力発電の風車。


山頂にあった石祠。


姫神山山頂標識。展望の山頂でしたが雨雲が迫り雨も降りだしホウホウの体で下山しました。


八合目からはこんな大岩がゴロゴロしていました。この大岩を見て思い出したのが岩手で有名な石割桜でした。岩手県庁の敷地内にある岩の割れ目から生える桜の大木の根元の岩にそっくりだと思いました。


ずっと秋田駒ケ岳周辺を歩いていましたが、大雨とクマの被害から逃れたくて来た岩手を代表する山の一つ姫神山でした。


2024年6月27日木曜日

二軒小屋

畑薙ダム奥の沼平のゲートです。午前5時、大井川東俣林道の通行許可をもらっていて、決められたルーチンをこなしてゲートを通過。目的は大井川東俣の枝沢をトレースすることでした。なかなか自由に行けない大井川源流部の二軒小屋周辺の今を記録しておきます。


畑薙ダム手前の臨時駐車場に車を停めて、東海フォレストの宿泊者のための(赤石小屋や千枚小屋などの東海フォレストが運営している山小屋に宿泊予定の前提)送迎バスに乗って椹島に移動がこのエリアの登山のスタイルです。今回は許可を取って自家用車で入りました。


登山とは関係ない国家プロジェクトのリニア中央新幹線工事です。畑薙ダムから椹島、二軒小屋に行く唯一の東俣林道は道路整備がどんどん進んでいます。ダートだった静岡市営林道はコンクリートの林道に変化しています。すべてカバーされていませんが、85%はコンクリートの林道です。ダートだった時代は車の天井に頭をぶつける感覚でした。圧倒的に走りやすくなった東俣林道です。


前日までの降雨でかなり増水していた大井川源流は、二軒小屋の田代ダムの本流の流れから頭を抱えたくなるくらいの増水でした。


大井川西俣と東俣の合流地点。明らかに西俣のほうが水量が多いと思いました。


大井川西俣、東俣の林道分岐。東俣に入ります。


どのくらい前かはわかりませんが、昭和の時代には車も通ることが出来た東俣林道ですが、まったくの廃道で沢の部分は土砂の堆積でした。


シャガ沢という沢を狙っての入山でした。


立木でロープを使って対岸に渡ろうとしました。東俣林道は東俣の右岸、シャガ沢は左岸なので本流を渡渉しなければなりません。ここのところの雨で増水している東俣。一番のハードルは本流の渡渉だろうと想像していたらその通りになった展開。ロープをつけて5m進んだら股間がずぶぬれになり渡渉はあきらめました。


バイカウツギ


コアジサイ


沢を敗退して二軒小屋に戻りました。写真はみんなが知っている二軒小屋の写真だと思います。料理がおいしくてホスピタリティにあふれていた二軒小屋でしたが...


工事関係者の基地になってしまった二軒小屋は、登山者にトイレも提供していない今です。許可をいただいて車で来た僕らです。東海フォレストは椹島から二軒小屋の送迎もしていないので登山者にははるか遠い二軒小屋の今です。


ブログ記事の谷渡沢の山行で気になった実生の葉っぱ。サワグルミだとわかりました。クルミなのでクルミの殻があるかと思ってみていましたがサワグルミはペらぺらの種なのでクルミの殻がないんだ。


まぼろしという冠詞の「伊奈街道」は、伊那谷の大鹿と富士川の切石とをつなぐために明治5~6年に計画され、明治19年頃に完成した道路で、写真はその痕跡の石積みです。大井川の渡渉がかなわないので伝付峠に目的を変えました。


かなり急な古の峠道です。


この時に大いに盛り上がったのは明治期の探検登山の話し。
1906年(明治39年)【8月から9月、荻野音松が長期山行、8月22日に川浦を出て京ノ沢から奥千丈、金峰山に登り、甲府に下って早川へ。下湯島から新沢峠を越えて大井川に下り、小西俣を経て三伏峠に登り大河原へ抜ける。この時、「悪沢岳」の存在が世に出る。】      南アルプス市山岳館


何かというと、この話は有名な探検登山の時代の話しです。今のようなまともな地形図もない時代、山名も定かではない時代に山梨の早川から長野の大鹿村に抜けた山行記録を書いた荻野音松。山中で雇った早川の猟師から聞いた悪沢という地名。悪沢岳は東岳ではありません、はっきり悪沢岳なんだというエピソードです。


歴史を醸す伝付峠


山梨側に5分ほど下ったところの水場は健在でした。


伝付峠から二軒小屋に戻りました。工事関係者の宿舎が立ち並ぶ二軒小屋です。開発と山奥の建物はつながっていて、井川ダムを作るときに物資を運ぶために作られた大井川鉄道、赤石ダムの工事関係者の宿舎だった椹島の建物、二軒小屋は登山者を排除している今ですが、工事が終われば登山者用に転用される建物になるように思います。


とにかく井川は奥深いところです。前日問題なく山梨から井川に入れたのに、帰りは井川ダム手前で通行止め。土砂崩れが理由のようですが、千頭経由の国道362号はまさしく酷道なので大っ嫌いな道なのですが通れるだけましなのが井川のアプローチなんです。