2025年5月5日月曜日

中西山

やはり今年は雪が多かったようで、そのことに翻弄された山行でした。登山口の奥裾花自然園の開園がここのところ4月20日あたりだったのですが、今年は4月29日だったのです。除雪がされないと車では入れません。予定をずらして出かけたこの日は、あいにくの雨予報。
裾花ダムにかかる奥裾花大橋。

落差100メートルほどの褶曲した泥岩・砂岩の断崖が続く奥裾花渓谷です。裾花川が侵食した地形です。


木曽殿アブキの案内板

なんと道路から見えた木曽殿アブキです。 ~ 間口約60メートル、奥行き約20メートルの岩穴~。善光寺地震で崩落する以前は数倍の規模があったとされています。木曽義仲がここで野営をしたという伝承からこの名前です。アブキというのは方言だと思いますが、岩窟のことです。黄色の丸です。この場所の手前に壊れた吊り橋があり、昭和の時代は登山者や沢やさんが木曽殿アブキに泊まったなんて記録を見たことがあります。

 

奥裾花自然園の駐車場。裾花という名前は山裾に花が多いところから来ているということでした。


奥裾花自然園の入り口。オオヤマザクラが満開でした。


木曾殿アブキの手前で裾花川の支流、濁川に入った先の奥裾花自然園です。


ブナの原生林の残雪を歩きました。はっきりした等高線の変化がないところなのでかなり難しい読図になりました。


稜線に上がるところの雪庇の張り出しを心配していましたが、壁の弱点があって助かりました。スノーバーまで準備していたくらいです。急な斜面だったので一応ロープを出しました。


稜線に上がりました。堂津山につながる稜線です。その先は天狗原山、さらにその先には雨飾山につながっている稜線です。


安定した雪原という感じの稜線です。


去年の5月5日の中西山の山頂の写真です。五月晴れでした。


今年の中西山の様子です。刺したピッケルの下に山頂標識があると思います。いかに雪が多いかがわかる比較です。


ちょうどお昼にしようと思ったら雨が強まりました。


無事急傾斜を下りて、いちばん大きな今池湿原の端っこです。ちらほらミズバショウが見えます。


詳しいことはわかりませんが、ブナの原生林でミズバショウの群生が発見されたのは昭和39年のことだそうです。当時の調査では81万本もの大群生が確認されました。その大群生も咲き始めの今年でした。


オオヤマザクラの咲く駐車場に戻ってきました。ショウジョウバカマやキクザキイチゲがちょっとだけ咲いていた駐車場でした。


虫倉山

今月の初めに長野県鬼無里村の山に行きました。長野県は広いです。今は長野市の鬼無里村も広いです。調べてみると長野県は10の広域に分かれています。上田、佐久、諏訪、上伊那、南信州(飯田など)、木曽、松本、北アルプス(白馬、小谷など)、北信、そして長野です。鬼無里村の裾花川の源流にある奥裾花自然園の山をねらった、今回の山行の1日目は虫倉山に登りました。奥に見える右が虫倉山の山頂です。

最も優しいと思われる不動滝ルート。

虫倉山(むしくらやま)は長野県長野市の西側、中条地区にある信州百名山の一つです。

地元、中条中学校の取り組み。旧中条村です。沢の流れをじっくり観察してみたら立派なハコネサンショウウオがいました。

犀川の支流、土尻川の支流、寒沢の源流につけられた登山道を登り切って稜線に出ると東屋。

素晴らしい北アルプス北部の展望が広がりました。

北東の方角には北信の飯綱山、左奥に黒姫山。

虫倉山1378m山頂。


チドリノキの花。カエデの仲間です。羽のような種の形が鳥のチドリの足跡に似ているというところからの命名。

寒沢沿いの登山道で見ることが出来たチドリノキの群生。急坂の登山道でとても楽しませてくれたチドリノキでした。


緑のミズバショウのような、シダ類のハナヤスリ。真ん中に突き出た胞子を道具のヤスリに見立てた名前。

ピンぼけだけど、クルマバソウは「車葉草」の意。

虫倉山を下山後、日本の原風景のような里をドライブしながら鬼無里村に入りました。泊まったのは鬼無里の湯。


2025年5月4日日曜日

茅ヶ岳の三角点

地元の茅ヶ岳に登った先月下旬、山頂の三角点のオヤッ?と思ったことがありました。平日にもかかわらず県内外からの車が停まった駐車場。

久しぶりに来たら、こんな立派なお家が出来ていました。

アカネスミレ 染料のアカネ(赤根、茜)からの名前らしいですが、アカネよりずっと青いと思います。

エイザンスミレ(叡山菫)、名前は比叡山に咲くスミレの意味です。

モミジイチゴの名は葉っぱの形から。

ミツバツツジは盛りでした。

防火帯の尾根ルートを登って、明野町の千本桜ルートと合流。山頂まで一息です。


雲が多めの日でしたが、山頂の奥に八ヶ岳が見えました。


二等三角点「茅ヶ岳」、茅ヶ岳って二百名山の一つなんですね。

ブログ記事を書こうと思ったのは、写真手前に移っている+が彫られた四角い岩盤です。普段僕らが目にする三角点は柱石で、三角点は柱石と盤石がセットです。

国土地理院の説明『盤石の役割は何ですか?⇒柱石が傾いたり、無くなったりした場合に三角点を復旧するために、盤石を埋設しています。盤石が正常であれば、再測量(観測)を行わずして三角点を復旧できます』

つまり、普段目にしているのは柱石で、写真は柱石の下にあるはずの盤石です。なんでこんなところに転がっているんだ?と疑問に思ったわけです。ちなみに三角点に示されている標高は柱石トップのフラットな面というのが基本です。

ハシリドコロ(走野老)、根も葉も花も強毒だと厚生労働省が警告しています。

コガネネコノメ(黄金猫の目)四角い花が並びます。

クロモジの花、黒文字です。古くから高級楊枝や香木などに使われてきました。

深田記念公園の石碑。山頂下で、1971年(昭和46年)3月21日に百名山の著者の深田久弥が登山中に脳卒中で死去しました。

2025年4月27日日曜日

一本岩フィールダー

雑誌フィールダーの取材依頼で西上州の一本岩に行ってきました。なんだかんだで10年以上お付き合いいただいています。依頼のテーマは「古道と地図読み」、最近の僕の活動自体がそのままなので、比較的直近でインパクトのある場所ということで高立の一本岩を案内したわけでした。大好きな場所です。
信州佐久と西上州の関係から把握してほしかったので、下仁田の姫街道の西牧関所跡を訪ねました。東山道のオフィシャルな峠は碓氷峠ですが、佐久と西上州の間には多くの峠があります。脇街道ともいえる姫街道、下仁田でこの西牧関所とは別に、現在の群馬県南牧村の砥沢にあった南牧関所に分かれる説明からでした。砥沢はとても重要な場所です。


利根川の支流の烏川のさらに支流、鏑川上流の高立集落。鏑川支流の矢川合流の初鳥屋から北に行くと七曲りの急坂を越え軽井沢です。


鏑川支流の矢川の廃林道を進むとこつ然と現れる一本岩です。この場所の景色を初めて見る人にはすごいインパクトだと思います。


妙義山の星穴岳です。
【百合若大臣ゆりわかだいじん    幸若舞(こうわかまい・能や歌舞伎の原型といわれる14世紀から17世紀半ばにかけて流行した)のひとつ。剛勇の百合若大臣は、蒙古を攻め降ろした帰途、無人の玄海島に置き去られるが、国より鷹の使を得、帰国して悪臣を滅ぼすという異色ある作品。後に近松門左衛門の「百合若大臣野守鏡」などを生む。】広辞苑
星穴岳の穴はこの百合若大臣が力比べで弓を射抜いて空いた穴と言われていて、その弓が約10㎞先に刺さったというのが一本岩と言われています。山行が終わった後で横川まで移動して撮った星穴岳の写真です。

一本岩の麓の道形を進むと、日本で初めての洋式牧場と言われる神津牧場の敷地に入ります。そのコースの記述が山の詩人、尾崎喜八の「山の絵本」神津牧場の組曲(昭和7年作)に読むことが出来ます。


【高立目がけて七曲リの急坂を一気に降った。そして香坂峠からの路に合して幽邃な谷をさかのぼり、一本岩のスタックの根がたを廻って、いよいよ牧場への急な坂道にかかった。息は切れたが希望は眼前にぶら下がっていた。年来の楽しい空想が現実となるのである。その現実が、見よ、其処に、「神津牧場」と墨書した白い標柱となって立っている。私はつかつかと牧場の柵の中へはいって行った。・・・】
その尾崎喜八の抜粋です。写真は神津牧場の様子です。


午前8時から営業している神津牧場です。ちょっと寄ってジャージー牛のソフトクリームを!と牧場に行ってみるとなんと定休日。親しい方はご存じでしょうが、僕は凄い定休日男なんです・・・


香坂峠の道に入るとたくさんのジャージー牛に会いましたが、人懐っこいやつが愛嬌でした。


神津牧場から香坂峠への古道は現在でも生きています。その中間にある道祖神などの石造物。


その江戸時代の馬頭観音や道祖神とは離れた尾根側にある馬頭観音の写真です。これは香坂峠への古道から左に分かれる、志賀越と言われる古道の分岐です。出だしのところの道形は残っていましたが、なかなかか細い怪しいものでした。順調に時間をこなしていたので行ってみようとなりました。


この時に活躍したのは大正時代の古い地図でした。古い地図を読みながら志賀越を進みましたが道形はありませんでした。浅間山が見事だった稜線。


古い大正時代の地図、ゆるい尾根筋に歩道は書かれていたので、細かなところの同定は出来なくても絶対確認できると思った志賀越の存在は、以前主稜線を歩いた時に稜線上に馬頭観音を見つけていたからでした。その馬頭観音が見つかれば繋がると思いました。写真はそのゆるい尾根の様子です。


主稜線の馬頭観音、明治の廃仏毀釈で頭がありません。でもこの馬頭観音の存在が志賀越であると確信を持てます。志賀越の志賀は佐久側の宿で、そこの出身の人が志賀高原の開発を始めたといわれていて、志賀高原の志賀は佐久の志賀なんです。


主稜線は中央分水嶺です。すなわち東側は太平洋に流れ、西側は信濃川に合流して日本海に流れるということですが、ここで一本岩と妙義の星穴岳が1枚の写真に納まりました。手前の黄色が一本岩で、奥の黄色が星穴岳です。


矢川峠。百合若大臣が射抜いた星穴岳の穴~その矢が刺さった一本岩~そこを流れる鏑川~その鏑川の支流の矢川~源流の矢川峠ということなので見事に繋がっています!


矢川峠から高立集落への道がズタズタです。古い道形も部分的に残ってはいますが、基本軟弱な崩落地形で簡単な道ではありません。


ところどころ昔の道形は確認できます。


難所を無事通過して、この馬頭観音に出会える喜び!そんな風に思える表情の馬頭観世音。


主稜線の矢川峠から下ってきて、西側から見た一本岩です。一本岩に始まり一歩岩で終わる周回ルートはお勧めです。6月発行のフィールダーが楽しみです。