富士川の川霧からスタートの日
早朝から国道20号を南下。川霧に出会うとだいたい天気はOK!身延町飯富で西に折れて早川に入ります。大島の集落で、左に折れれば雨畑、今回は右に折れて新倉を目指しましす。
正直かなり変わった山行ですが、やぶ山三ちゃんの本領発揮といったところです。諸事情で石原智幸さん、ニックネーム、ポぺニ先生にご一緒願いました。
下調べが出来ていないのですが、昭文社の地図で「峰山尾根」という記述になっていたので、そういうタイトルにしました。具体的に言うと、転付峠に突き上げる沢を内河内と言います。その南にある尾根です。その尾根を詰めると白根南嶺にある「上之切」という三角点に行きます。上之切は転付峠の南にある三角点です。まずはこの尾根から登りました。
黒桂河内に向かう、早川本流にかかる橋
まだきれいな紅葉が残っていた登り始めの尾根。かなり急ですが、弱点をついていました。
初めの目標とした三角点。点名「宮ノ窪」
「宮ノ窪」の周りの景色。傾斜もなく気持ちのいい所。
気持ちはいいのだけれど、しばらくは熊棚だらけ・・・こんなにすごいのはなかなかないと思います。
逆光で分りづらいのですが、熊棚のあるミズナラの幹に着いた熊さんの爪跡。
途中でこんな石が転がっていて、苔を削って復元してみました。
山の神に在られます!驚きですね。里山に人が入らなくなった証拠でしょう。こんなものが粗末にされている。まわりは熊棚だらけ・・・
ずっとあった熊棚
常に読図です。地形図と地形を照らし合わせて、現在位置を確認して進むべき方向の先読みをします。
木の間にちらっと見えた、別当代山。
標高1700Mあたりは、昔の仕事道の跡がくっきりしていました。伐採した後なのか?地面がえぐれています。そこに笹が生えた写真です。ここで山仕事を大勢の人たちがしていた時代は、どんなだったんでしょう?
尾根上の1823mの三角点のあたりです。ここは驚きました。地形図と実際の地形が全く違っていたのです。傾斜が緩やかな部分から、標高差で40m登って三角点、という風に表現されている地形図なのに、10m位登ってあとは5mの範囲でジグザグ・・・おまけに三角点標もありませんでした。下調べではあることになっていたのですが!
たいした距離も稼げず、秋の陽はつるべ落としで、標高1800m台で泊ることになってしまいました。2人分のスペース、ちょうどいいふかふかの平らな所があったのでツエルトを張りました。
とても陽気なポぺニ先生!山で生活する技術は一級品です。
ファイヤ-!
寒い夜を過ごして、夜明けとともに行動開始の朝、針葉樹の森は朝日に燃えていました。
大正時代から昭和30年代くらいに、伐採がおこなわれていた 証拠の切り株。
展望が開けました!主だった山の名前をあげると、北岳、塩見、転付峠となります。
ふり返ると富士山。まさしく秀麗ですね!
枯れていても存在感のある木
上之切の三角点。白根南嶺の主稜線に出て、程なくこの三角点を確認しました。
三角点はやぶ山の基準です。ここで高さと現在位置をしっかりコレクトします。
なかなかしんどい尾根でした。
でもこのあたりの尾根の中では簡単な方だと思いました。それでもやっぱ長い―!
引き続き後半戦を書きます。
0 件のコメント:
コメントを投稿