登り始めてすぐに登場した味わい深い鳥居。地形図の破線(徒歩線と)一致している登山道。安心です。いきなりの標高差が約600m。坦々と登って行けばすぐに終わる標高差。
尾根の上に登場した大木、ミズナラでした。根元に何やら石造物。
御嶽神社と彫られていました。何でもありという感じが庶民的で面白いです。
山の中にある岩は特別だと感じるのだと思います。さすが表参道、いろいろ登場します。彫られている文字は判読不可能でした。
これも読めませんでしたが、道しるべという意味だと思います。
主稜線に上がりました。
守屋神社奥宮。守屋山は諏訪の山なのか、箕輪の山なのか、はたまた高遠の山なのか?一般的に諏訪大社の御神体は守屋山という事になっているそうなのですが、どうも違うようです。去年御柱祭りがあったばかりなのに、守屋山東峰の石祠には御柱がありません。登り始めた里宮の守屋神社には、物部守屋神社と表記されていました。その話ははるか昔、飛鳥時代に都で蘇我氏との戦いに敗れた物部守也が辿りついたこの地という起源のようで、そのことと諏訪の成り立ちは別という事らしいです。
とてもマニアックになる話なので止めますが、東峰の石祠、鉄の囲いがしてあります。これは守屋山が雨乞の山であったそうで、日照りが続くとこの石祠を投げると神様がお怒りになって雨が降るという展開を勝手にしないように設置されたという理解です。
守屋山東峰。守屋山の売りは展望です。結構いろんな山が見えます。八ヶ岳が蓼科山から南の編笠山まですっきり見えています。前日が雨でした。気温が高くて山の上でもかなりの高さまで雨だろうという事が想像できた雨の日。八ヶ岳では標高約2200mくらいが雪と雨の境界線だったのがはっきり確認できました。写真ではわかりにくいのですが、横に線を引いたように境がわかります。
歴史のある山です。山頂部は長いんです。
避難小屋としての意味もあるラビットハウスという小屋。中はとても整備されていていざとなれば泊まれます。どうも守屋山の絶大なファンが箕輪地区の方々でここの管理をしているようです。
翁草が咲くそうですが、守屋山LOVEの方のフライングで園芸種らしいという話。
長い山頂部の最高点、守屋山西峰。
北アルプスの峰々と三角点柱石。ここは一等三角点でした。
周回ルートにしたかったので、松尾峠に下ることにしました。東からから西に移動です。
松尾峠の手前で昔の仕事道の道形発見。地形図で自分がいるところを確認しながら、下る方向に狂いがないことを確認しながらの下り。問題なく下れました。
昔の道形と林道。
松尾峠への林道は冬期封鎖のようです。4月からは通れるようです。
国道152号線を北に歩いて、守屋神社に向かう途中に出会った婆党間の群像。こういうのは歩いていないと気が付かないものでしょう。昔の峠道にあった馬頭観音の数々。道路の拡幅で一か所にまとめられてしまったという事だと思います。山に歴史あり、人に歴史ありの守屋山でした。
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