歌川広重の浮世絵「五十三次名所図会 蒲原 wiki」です。富士川の東から描いています。大きく描かれているのが野田山です。
静岡県教職員互助組合様のガイド山行でした。だいたい40名くらいの参加者なので、4人のガイドでのガイディング。登山に不慣れな方も参加するので、ガイドレシオとしては8~10人です。ガイドレシオというのは、山行の内容に応じてひとりのガイドが担当するお客様の人数ということです。富士川の河口近くの野田山に登った山行でした。国道一号線を走っている写真です。正面の山は浜石岳。今年2月に行きました。野田山は右側にある532mの山です。
東海道本線富士川駅集合。東海道です。東海道五十三次です。東海道吉原宿と蒲原宿の間にある現在の富士川駅、東海道本線が開通した明治22年(1889年)には岩淵駅という名前でした。何で岩淵駅だったのかという話しがかなり面白いです。岩淵村は東海道の富士川渡し場がありました。幕府の方針で(橋を作らない)生業を決められてしまったというイメージです。この地名には馴染みがあって「岩淵の鳥居講」という記事を書いています。興味のある方はぜひクリックしてみてください!
富士川駅が岩淵駅だったというのは抜け駆けです。鉄道という文明開化の権化みたいなものが通るという時、交通の要衝を担っていた岩淵の人たちの感性は鋭かったんだと思います。積極的に駅の設置の誘致をしました。江戸時代の東海道の駅からすれば吉原宿の次の蒲原宿に駅ということになりますが、その宿の間にあった重要な任務を背負っていた(富士川の渡し)岩淵村の人たちは頑張りました。蒲原に先駆けて東海道の駅の誘致に成功したという岩淵駅が現在の富士川駅。蒲原駅は一年ちょっと後に出来ますが、紆余曲折があって新蒲原駅が東海道蒲原宿に近い駅ということです。
富士川駅横の小さな公園は見所です。写真の石柱はこの場所にあったものではありません。富士川の上流の芝川あたりのものだと思います。芝川には富士山の溶岩流が流れて出来た柱状節理の玄武岩がたくさんあり、そのまんま柱として使える岩が取れます。ディスプレイされた柱状節理の岩の間の向こうに富士山が鎮座する景色です。
野田山というのは総称で、地形図には金丸山という表記。金丸山の西に弘法大師の伝説の大師堂があって、大師堂までの丁目石が建立されていました。
山梨では見ることが出来ないフユイチゴ。食べれます。
標高500mくらいにある野田山公園から見た富士山。夜景が素晴らしいということでテントを張る人がいました。車で登って来れます。
目的の地になっていた大師堂。弘法大師の大師です。昼食を取りました。
富士川の河口。富士川の上流に住んでいるわけですから感慨深い景色です。富士川舟運でつながっている土地です。ニュースで盛んに言われているのが桜エビの不漁。富士川河口近くの河川敷には干し桜エビを作る景色が風物詩ということですが、不漁なんで・・・
山から下りてきたら、ミカンを作っているおじさんがポンカンもってけ!と籠ごとくれました。ちょっとびっくり!8人の方と歩いていて、一人当たり10個もいただきました。
蒲原宿の裏山は御殿山として整備されています。写真はのろし台といわれる場所。
ツワブキがたくさん咲いてました。
蒲原宿に近い東海道本線新蒲駅前の桜エビのモニュメントと船。
無事山行が終わり、富士川を遡って韮崎に帰るときに見えた景色。とってもきれいに富士山から愛鷹山のスカイラインが見えました。
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