安比高原全国ふれあい集会が終わり、ホテルに缶詰だったんで盛岡は何もわからないままだなぁ~、と友人宅にお世話になった翌朝。盛岡郊外の松園地区、北上川の四十四田ダム(しじゅうしだだむ)と岩手山。
TVのローカルニュースの天気予報の地図を見て、やっぱ地元は違うわとなったのは海岸線の表現、三陸沖のリアス式海岸がここまで細かく表現されるんだなと新鮮でした。
盛岡から山梨に帰る前、せっかくなので半日盛岡を見てみようと思いました。バス路線が発達している盛岡市、地域住民のためのバス網は住民以外にはなかなかハードルが高いです。だいたいどこでもバス網を理解するのは難しい。それでも盛岡の中心部に行くのでそこは簡単でした。バスを降りたところの近くだった有名なパン屋さん。「福田パン」
昭和23年の創業から盛岡市民のソウルフードとして親しまれてきたという「福田パン」ちょっと大きめのコッペパンにはさむものを選んで注文。おしながきに様々書かれています。バター、あんこ、ジャムだけではなく野菜やカレーやたくさんの種類があって、組み合わせは無限大に思えます。
注文すると目の前でサンドを作ってくれるわけです。選択肢がたくさんあるというのも困ったもんで、相当ドギマギしてしまいましたがちょうど空いているときで助かりました。とても懐かしい感じのコッペパンサンド。
宮沢賢治像のある通りは材木町の「いーはとーぶアベニュー」。「注文の多い料理店」の出版元の光原社や、「同人誌アザリア」を刊行した下宿屋の跡地など、宮沢賢治が過ごしたゆかりの地が材木町の様でした。(後で知りました。)
北上川です。旭橋の上から岩手山が良く見えました。
北上川舟運という説明が書かれていました。江戸から明治にかけての物流の話です。「この石積護岸は小繰舟が行き来した。北上川舟運の最上流の港として江戸時代から明治にかけて、それぞれのお店の負担により作られました。舟の荷積み、荷降ろし用の石段も取り付けられています。頻繁だった洪水防止も兼ねたものでした。城下町盛岡の風情を今にとどめています。」
石割桜。大きな花崗岩の割れ目から延びる太い幹、花は4月中旬だそうです。
盛岡って言えばといくつか思いついた見所の一つでした。石割桜。
お城の見事な石垣と遠くに岩手県庁。
散りはじめたカエデがの葉がとてもきれいでした。
不来方城(こずかたじょう)とも言われる盛岡城です。
「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」
石川啄木の歌碑が城内にあります。旧制盛岡中学の学生だった啄木が、授業をさぼって盛岡城で過ごした時の歌です。
発掘調査が行われていました。
時間が惜しくて博物館(もりおか歴史文化館)は割愛しました。
北上山地からの流れの中津川。サケの遡上を見ることが出来るそうです。盛岡城は中津川が北上川に合流するところにあります。
空襲の戦火を免れた盛岡の街には古い建物がたくさんあります。東京駅と同じ設計者の重要文化財の盛岡銀行赤レンガ館
明治44年(1911年)に建てられたそうです。内部も見学できます。
明治43年(1910年)に建てられた旧第九十銀行の建物も重要文化財です。
宮沢賢治が使ったといわれる共同井戸。駐車場の真ん中にありました。
すぐ横に賢治の井戸清水として整備された水場
ござ九・森九商店という荒物屋さん。営業中でした。
竹細工のカゴやザルがたくさん並んでました。タワシの種類がすごいです。
目的のお店にやっと来ました!足早に観光したのはこのためです。少しでもお腹を減らしてチャレンジしたかったからです。「わんこそば」です。
店内に入ってポスターの吉永小百合と目が合った気がしました。「大人になったらしたいこと」ですって!
ふつうの蕎麦屋のメニューもあるので、まずわんこそばにするかどうか聞かれました。わんこそばはこちらへと二階に通されました。それぞれのテーブルという区切りではなく、十畳ほどの部屋に長テーブルが2列、エプロンが渡されていよいよという感じ。
薬味が運ばれてきて、カラのお椀に蓋をしたら終わりなんだと説明されたわけです。
給仕の女性が大きめのお盆に、そばの入った15杯のお椀を持ってきます。それをリズミカルにお椀に運んでくれます。はい、どんどんとかじゃんじゃんとか掛け声をかけられながら盛られます。お椀いっぱいのそばつゆが絡んだそばは一口で入る量。始まると休まない、休めないというのが基本ルール。お盆のお椀がなくなると給仕さんは補充に行きます。ちょっとロスタイムって感じにほっとできる時間です。
どんどん、じゃんじゃん、まだまだと、リズミカルに掛けられる言葉に踊らされるようにそばを口に運びます。そばの量はばらつきがあって、少ないとほっとしますし、多いと必死です。薬味をじっくり味わう余裕はなかったなぁ~
お椀15杯で普通の一人前のそばの量ということでした。料金は3000円くらいです。考えようによってはそれで食べ放題ということですが、なんとも給仕の女性の、どんどん、じゃんじゃんという言葉にペースはマックスでした。105杯までいってジ・エンド。
半日の盛岡観光が終わって盛岡駅。なんとここにも石川啄木が!盛岡にまつわる歴史上の人物はたくさんいます。大正時代の首相の原敬、前の5千円札の新渡戸稲造、米内光政という軍人も総理大臣・・・でも石川啄木と宮沢賢治がこの町に愛されている人物だと感じます。
車両の種類なんてわからないけど、こまちとはやぶさが繫がって320kmであっという間に仙台、大宮と走ります。
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