2020年9月11日金曜日

東一ノ越

今回の剱岳の行程はちょっと珍しいものでした。1日目は扇沢から室堂にアルペンルートを使って剣山荘まで。2日目は剱岳に登った後、雷鳥沢にテント泊。最終日は浄土山に登って一ノ越から東一ノ越経由で黒四ダムまで下るというもの。
雷鳥沢の夜は強風に悩まされました。強弱はあったもののほぼ吹きまくった風。ガイライン2本が切れました。大日岳がきれいな朝。写真に強風は写りません。


雷鳥平の真ん中の幕営地。


地獄谷東を通る登山道の吹き流し。吹き流しの角度がずっと90度以上だったので風速は10m以上はあったということになります。


みくりが池の向こうの富山平野から富山湾も見えていました。

みどりが池はみくりが池の上流。写真の奥に一ノ越が見えています。浄土山は強風を考えやめときました。


ということで、時間もあるので普段なかなか見ることない室堂を周ることにしました。日本最古の山小屋といわれる重要文化財の室堂です。僕らが普段使っている室堂という地名のルーツです。「室」は宿泊所、「堂」は宗教施設、「室堂」で両方の役割を合わせ持つ山小屋ということになります。


ふたつの室堂は16年前、平成4年から三年かけて解体再建されたものです。奥が北室で1726年(享保11年)建立、手前が南室で1771年(明和8年)建立です。北室が無料で開放されていて、昔の立山信仰登山の様々な資料が展示されていました。残念ながら撮影禁止でした。


続いて立山開山伝説の玉殿岩屋です。


室堂から登山道を約10分ほど下った崖にある玉殿の岩屋です。佐伯有頼(さえきありより・飛鳥時代から奈良時代にかけての人物と言われています。)が熊を追い詰め阿弥陀様と出会ったとされる洞窟です。 岩屋には祠や地蔵が祀られ立山開山の伝説を伝えていました。


火山活動で出来た板状節理が見事でした。


玉殿岩屋への道、最近は整備されていないようなので行かれる方は注意してください。


一ノ越への途中でライチョウに出会えました。


振り返って見た室堂平。天気が良いように見えますが強風が吹いています。


一ノ越。越という漢字が乗越に通じるので、コルだという意味です。峠、鞍部、窓、ほぼ同じ意味です。ピークとピークの間の一番低いところという意味です。立山雄山と龍王岳と浄土山の間のピークとを結ぶ尾根の一番低いところが一ノ越です。


御山谷(おやまだに)。奥の雲の中は裏銀座の山々です。


真ん中にトレースが見えます。立山雄山の南の斜面に付けられたトラバース道。剱岳に登った後、アルペンルートで下るだけってもったいないっていつも思っていました。御山谷のトラバース道、8月に行った裏銀座の山々からよく見えていて、いつか歩いてみたいなって秘かに思っていました。こんなに早く実現して、ここを歩きながら嬉しくって仕方なかったんでした。


右の立派なピークが龍王岳。東尾根が有名でいつか行ってみたいですね。


一ノ越の東のコルだから東一ノ越というコルです。石積みを見ると何らかの建物があったように思えます。僕にはわかりません。黒部という地の奥深さを感じました。この石積みにです。


右から龍王岳、真ん中が鬼岳、左が獅子岳。東一ノ越からこの三人娘のようなピークが見えてなんてすばらしい景観なんだ!って感動しました。


東一ノ越から東を見下ろすと黒四ダムが見えました。この谷はタンボ沢と地形図にあります。きっとタンボは田圃でしょう。急峻な黒部の地の中で傾斜がない谷だとイメージできます。


だいぶ前に整備されていたのはわかりましたが、歩きにくいハードな道でした。


この登山道もいつかは歩いてみたいって熱望していたルートでした。ありがとうございました。大観峰に向かうロープウェイのボックスを見上げた時、心の奥底で嬉しくなったことは言葉にしていません。今までロープウェイからタンボ谷を見ていて、その先に東一ノ越が見えてマジ歩いてみたいと思っていたんでした。


ロッジくろよん。雪深いところに建つ建物です。


かんぱ谷橋という名前の吊り橋。


上流から見た黒四ダム。


黒四ダム横の慰霊の彫刻。2泊3日の山行の最後はここだって決めていました。黒四ダム建設工事では171名もの方が犠牲になりました。その方々の名前を刻んだプレートとレリーフが右岸に掲げられています。


扇沢に向かうトンネルの中の温度計は18℃でした。

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