2023年11月8日水曜日

鳥取

鳥取県、西から大きな街が米子、倉吉、鳥取となるのですが、いろいろ便利なのは圧倒的に米子で、鳥取はいまだ昭和感があふれていると思いました。米子駅の改札はSuicaで通過したのに、鳥取駅の改札は人が並んでいてビックリ。鳥取駅はいまだに切符で交通系の電子マネーは導入されていません。鳥取シリーズの最後です。観光地巡りみたいな記事です。

鳥取砂丘、ちょー有名な砂丘で観光地です。行って見なければわからいというのがまさしくでした。実際見て見ないとボリュームはわからないんです。


この階段を登った向こうが鳥取砂丘です。鳥取駅から車で15分くらいの観光地です。


ドラマチックな青空であってほしかったのですが、広々した空間はわかりました。右が馬の背といわれる砂の壁です。
 

馬の背の右から尾根状をパスして見た日本海の波。


カメラのアングルを工夫すればまるでエンドレスと感じる砂丘が撮れます。


鳥取砂丘の東端。奥に駟馳山(しちやま)標高314m。山陰海岸国立公園に属します。伯耆大山は大山隠岐国立公園です。駟馳山(しちやま)峠の東の峠には古代官道の山陰道が通っていたそうです。


山梨の公園の砂場の砂よりサラサラな砂丘の砂。裸足で歩く人も大勢いました。


砂丘の手前のらっきょう畑。


鳥取砂丘の内陸部で見たらっきょうの畑です。地面が砂で延々と広がっています。


満開になれば紫の絨毯のようになるでしょう。10月下旬の開花でらっきょうの収穫は来年の5~6月だそうです。


「城郭の博物館」とか「石垣の百貨店」とも言われる鳥取城に行ったのは日没直前。時間が無いのでとにかくこの半球型の石垣を見てみたかったのでした。


「天球丸」と言われていますが、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、鳥取城主の姉・天球院が住んだことに由来しているそうで、その下の石垣がはらんできたので、石垣が崩れないように補強したのが半円形の石垣なんだそうです。なので正しくは天球丸跡の巻石垣となります。


なんとか天球丸を見ることが出来て、安心して日没を迎えることが出来ました。


鳥取最終日は日本海を見ながら加藤文太郎の浜坂町を目指しました。山陰海岸国立公園は、西は鳥取市から東は京都府京丹後市に至る約75kmの海岸部が指定されています。変化に富む海岸が特徴です。鳥取砂丘は山陰海岸国立公園です。


すごく水平線を感じた日本海


鳥取県道256号陸上岩井線(くがみと読む陸上です)が、陸上(くがみ)岬に向かって登り基調の先にあった展望台からは東浜が良く見えました。


たくさんのサーファーが見えました。


鳥取と兵庫の県境の写真。目的地の浜坂町は平成の大合併で新温泉町になりました。古代官道の山陰道(さんいんどう)は五畿七道の行政区分の一つです。山陰道の国は西から書いて
・出雲いずも国(現在の島根県東部)
・伯耆ほうき国(現在の鳥取県西部)←大山
・因幡いなば国(現在の鳥取県東部)←氷ノ山
・但馬たじま国(現在の兵庫県北部)←浜坂町
・丹後たんご国(現在の京都府北部)
・丹波たんば国(現在の京都府中部、兵庫県北東部、大阪府北部)
いまでも存在する古い国名は、奈良時代の好字令という勅令に起因します。僕の住んでいる山梨県は甲斐の国です。713年(和銅6年、元明天皇)の「諸国郡郷名著好字令」(しょこくぐんごうめいちょこうじれい)を略した好字令という勅令です。


ジオパークとロングトレイルはあちこちで見られます。


そして訪れた浜坂の加藤文太郎記念図書館。加藤文太郎と新田次郎


鳥取だったら訪ねたいところをカバーして山梨に帰りました。黄色はセイタカアワダチソウですが、今年はこの花がいろんなところで目立つと感じています。


鳥取駅の砂丘蕎麦を食べました。魚のすりものが多いところです。ちくわはアゴ(トビウオ)です。鳥取名物とうふちくわも食べました。鳥取駅から乗り継いで山梨の韮崎まで8時間でした。

0 件のコメント:

コメントを投稿