2024年1月18日木曜日

深草観音

2024年最初の山行は甲府の裏山でした。甲府市積翆寺から見た岩殿山。 

里山の登り口では珍しい光景に思えた田んぼ。最近ではどこに行っても圃場整備された田んぼばかり見かけられます。圃場整備というのは田んぼの区画を広くして形を整え、あちこちにあった田んぼをまとめる事業です。同じ規格の田んぼが段々にある景色とは違う、昔ながらの田んぼの様子は久しぶりに見ました。 

要害山麓の積翆寺は武田信玄誕生の寺といわれています。


お寺の裏の井戸が武田信玄の産湯だったという話です。

お寺の下の相川に架かる橋の名前は機山橋。機山は武田信玄の法名です。


瑞岩寺の解説碑。深草観音はこのお寺の奥之院にあたり、御本尊の十一面観音像は瑞岩寺にあるということでした。深草観音は奈良時代に行基が開いたという伝説があります。

もうウメが咲いていました。

谷合に入っても多くの石積みがあり、今植えられているヒノキや杉の木ではない、耕作がされていたことを思わせるものです。深草観音に近づくと石畳や、階段の痕跡が登場するので味わいある里山です。

2本の倒木の処理はたいへんでした。

この日のもう一つのテーマはシモバシラの氷の花でしたが、登山道の染み出しが全く氷っていませんでした。

岩堂峠。なかなか地味な甲府の裏山ではありますが、深草観音や岩殿山なんかの史跡に恵まれています。

今年のシモバシラの様子。とても氷の花とは言えないのが3つほど見られました。今年の年末年始の高温が原因でしょう。


ちなみに去年のシモバシラの様子です。立派な氷の花がたくさん咲いていました。「シモバシラ」というブログ記事を書いています。


深草観音に下ってお昼にしました。

奥之院の観音堂は岩壁に穴を空けた3畳ほどのスペースです。南に空いた窓のような空間に梯子がかけられています。ロープを付けて下っていただいたら、ロープスケールで17mの長さの梯子でした。


昭和3年に奉納されたハシゴでした。


梯子ではなく右のルンゼに掘られた階段から観音堂のあなぐらに下るステップ。

右のルンゼの様子。

要害山は山城です。

堀切や曲輪の遺構が示されていて、今回初めて見に行った不動曲輪でした。

不動明王像の持つ軍配には武田菱です。

下山して、正月三ヶ日はだいぶ過ぎていましたが武田神社前は渋滞してました。

早めに下ったので、甲府駅横の舞鶴城へ。江戸時代に築城された舞鶴上で一番高いのはこのオベリスクです。山梨県の森林面積の約半分を占める恩賜林の謝恩塔です。その後甲府駅南の信玄公像に回って山行の終わりとしました。


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