2024年1月5日金曜日

御前山

明けましておめでとうございます。頑張ってブログ書きますので今年もよろしくお願いします。僕の山の活動と、僕なりの山の見方というブログです。今年もお付き合いください。

2024年初めの山は上野原周辺の御前山アラウンドです。桂川の両岸に点在する御前山という名前のピークは7~8個あるようですが、どれも山頂直下はとんでもない傾斜でなかなか侮れません。以前から気になっていた御前山です。そのいくつかを歩いてきました。御前山の尖がったピークは狼煙台とか砦とか山城というとらえ方の様です。戦国時代の話だと思います。スタートはJR中央線の上野原駅。

上野原駅から南下して桂川橋を渡りました。左岸から右岸にということです。桂川の下流、東を見てます。ほぼ川の流れが無くなったので相模湖のはじまりです。

2つのピークの右が御前山で、それぞれの御前山の頭に集落の名前がついています。これは鶴島御前山で、ピークの東の集落の名前です。ちなみに左のとんがりは琴平神社の奥宮があるピークです。


上野原駅から南下して桂川橋を渡った地域は島田という名前の大字でした。島田観光協会というのぼり旗が立っていたくらいです。地形図には登場しない地名ですが、当たり前のように島田地区でした。鶴島のムクノキの巨木。

大月の桃太郎伝説の案内板がありました。上野原から西に進んで、甲州街道の犬目宿で犬、鳥沢宿でキジ、猿橋宿でサルということでお供が揃い、岩殿山の鬼退治というお話です。

島田地区の南東の田代という集落にあった四等三角点の点名「田代」の三角点標。

山際の鹿柵はとても頑丈で、扉も何重にも設置されていました。

金比羅山と言われている里山の東端のピークの松葉山。

ヤセ尾根が続く稜線でした。南にはすぐメイプルポイントゴルフコースだという、いかにも里山というシュチュエ―ションです。

稜線上の最高点は剣ヶ峰と名付けられていました。素晴らしい展望でした。

稜線上からこの日の主役の鶴島御前山です。

琴平神社奥社は稜線の最後に登場。

急斜面です。岩場も登場しました。昭和の最後の頃に奥社に行く参道として整備されたという鎖場でした。

下った先の琴平神社です。

鹿避けフェンスのややこしいのをこなして、ムジナ沢という沢に下りました。

金比羅山よりずっとメジャーな鶴島御前山の登山口。急登が始まります。

登山口から約200mの標高差の上部の様子。縦横無尽という感じにトラロープが張られていました。

山頂手前の石祠。

展望の素晴らしかった鶴島御前山の山頂。

上野原の街と陣馬山方面。

鶴島御前山の石祠

西に進んで登場のカニのハサミ岩。とっても小さな岩の突起でした。

さらに続くヤセ尾根。

樹間の向こうに、2つ目の御前山の栃穴御前山が見えました。

山頂の手前は急登でトラロープがセットというのがパターンの御前山です。

急登をこなすと、気が抜けてしまうような平坦地の山頂が登場します。いくつものピークを踏むわけですが、こんなパターンが面白かったりしました。栃穴御前山の山頂です。


栃穴の数件の集落の先、昔の道を下って桂川にかかる吊橋を右岸から左岸に渡りました。

現在この橋の上流、約500mの車で渡る橋が出来る前に使われていた橋でしょう。

対岸に渡っても思い切り生活感のある道でした。半世紀以上前の道です。

正月らしいマンリョウがたくさんありました。

桂川を渡って国道20号線に出ました。江戸時代の甲州街道はここではなく、もう少し北にあったようです。野田尻宿から犬目宿は中央道の談合坂SAに近いです。桂川沿いではありません。

栃穴で吊橋を渡り、牧野(まぎの)集落を過ぎ東に進んで尾根に上がりました。20号線から八つ沢発電所(東電の水力発電所)に関係する道だと思います。

詳しいことはわかりませんが、この地形は枕状溶岩だと思います。太古の海中の噴火の痕跡です。海の中で起きる噴火活動の枕状溶岩。

尾根上の峠のようなところに来ました。地形に徒歩道が書かれていますが、あまり期待しないで進みました。この峠の西に送電線が書かれていて、その鉄塔の巡視路があるくらいなんじゃないかな?とい気持ちでした。

樹間から四方津御前山が見えました。案内がなかったからよくわからないけど、牧野城(まぎのじょう)という砦か狼煙台、または山城があったみたいです。人為的な堀切があったりしましたから。

山頂手前の岩場。四方津御前山の手前です。

上を行っても、手前の左を行ってもどちらでも可能な岩場は馬の背と呼ばれているようです。

NHKのアンテナの横にあった石祠

NHKのアンテナ

そこから先はとても良い道でした。

四方津御前山の山頂。この三角点名は「四方津村」です。

そのまま西に進んで、この日最後の御前山の西御前山の山頂手前の岩場。

西御前山のフラットな山頂と、奥の四方津御前山です。

コモアしおつの住宅。

コモア四方津というのは、バブル期に戸建てのニーズに応えるために造成された住宅地で、都心まで70分という条件で提供された宅地です。桂川の河岸段丘のさらに上の尾根上で、最寄りの中央線の四方津駅まで「コモア・ブリッジ」というガラスのドームに包まれた斜行エレベーターとエスカレーターで結ばれています。

四方津駅との標高差は約100m。エレベーターが動いていました。垂直じゃない動きのエレベーターなんてどこにもないです。

エレベーターのボタンが上か下なんですよ。

上手く撮れなかったけど、四方津駅から鶴島御前山と栃穴御前山が見えました。

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