2023年4月2日日曜日

一本岩


荒船山の北側のエリアがとても気になっています。山梨から佐久・小諸方面に車で移動するとだんだん浅間山が近づいてきます。南北に移動ですが、東にあたる右側の峰々、荒船山や兜岩などははっきりした特徴があるのでわかりやすいのですが、物見山や八風山はわかりにくいんです。広々としたなだらかな稜線ですから。
中央分水嶺から佐久側に延びる尾根と谷はどれも同じようにゆるやかに伸びています。ところが上州側は尾根と谷が複雑に入り組んでいて、どれも急傾斜で簡単には取付けないのは佐久側とは対照的です。佐久と上州を結ぶ峠が中央分水嶺の上にどんどん登場するのも面白いところです。写真は上州側、下仁田西野牧の初鳥屋(はつとりや)から見えた尖った日暮山(にぐらやま)と1045m標高点です。


鏑川最奥の集落、高立(たかだて)の集落に差し掛かったところ目に飛び込んできた一本岩。写真が良くなかったので加工しました。


高立集落の先に車を進めましたが、とてもじゃない落石でした。


地形図にも記載のある「一本岩」


『大男の百合若大臣が旧松井田町小山沢から力比べをしようと妙義山に向かって矢を放ったところ、山腹を貫いた。この穴を「射抜き穴」と呼んでいる。また、貫かれた岩が妙義山の西方約10キロの下仁田町高立集落に突き刺さったとされ、これが「一本岩」だとされている。一本岩を源流とした川は、「矢川川」と呼ばれている。』  下仁田ジオパーク協議会

この伝説は妙義山の星穴岳の2つの穴のことで、上信越道からも2つの穴は見えます。その高速道路の角度からの星穴岳は、射抜き穴と結び穴の両方の穴の上に尖がったピナクルに見えるので、まるで鬼のお面の様な山です。
一本岩手前の大岩の上には石祠があり、がっしりと鎖が設置されていました。
 

この一本岩、世界的クライマー山野井泰史さんが2007年に登っているそうです。


ダンコウバイ、めずらしくきれいに撮れました。


地形図の徒歩道通り一本岩の横にしっかり道形が残っていました。


等高線が間延びし、しかも細かい尾根と沢が現れ地図読みだけで登るには難しい地形でしたが、濃淡はあっても古い道形が確認できたので楽でした。


神津牧場の敷地と思われる有刺鉄線の柵が登場すると道形は曖昧になりました。写真の奥に妙義山が見えています。山頂が右に傾いているのが金剛山だと思うので、その手前に星穴岳はあります。


樹木の枝や幹に寄生して成長する常緑の多年生植物のヤドリギだらけの木。


ちょうど花の時期なんでしょう、落ちていた小枝で初めて見たヤドリギの花です。


神津牧場もすっかり春でした。コブシです。


フサザクラも咲いていました。


噴火警戒レベルがⅡに上がってしまった浅間山は噴煙が見えました。


牧草のみどりも春を感じさせるものです。


何となくの窪んでいるのが道形です。僕が高立から一本岩を通り神津牧場に行きたいと思ったのは、詩人で登山家の尾崎喜八(1892-1974)の[山の絵本]神津牧場の組曲(昭和7年作)の文章に触れてです。神津牧場への最短ルートということで、軽井沢から和美峠に行き、峠から高立に下るとその日のうちに神津牧場に着くと語気を強めた文章でした。抜粋します。

『それから高立目がけて七曲リの急坂を一気に降った。そして香坂峠からの路に合して幽邃な谷をさかのぼり、一本岩のスタックの根がたを廻って、いよいよ牧場への急な坂道にかかった。息は切れたが希望は眼前にぶら下がっていた。年来の楽しい空想が現実となるのである。その現実が、見よ、其処に、「神津牧場」と墨書した白い標柱となって立っている。
 私はつかつかと牧場の柵の中へはいって行った。・・・』


湿ったところに咲いていたハナネコノメソウ。大好きな花です。


炭焼き窯の跡。


林道に戻って、逆光だもんな・・・と撮った一本岩の写真。意外にいいねって思ったんですけどね。

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