2017年3月6日月曜日

猫坂地図読み

みみ石の読図山行、時間の関係で猫坂に変更しました。読図を実践する地形は等高線が曲がっていることが大切です。地図読みの練習という事なので、尾根や谷、それを表す等高線の曲がりが狭い範囲で現れると都度確認ができるので、比較的楽に認識することが出来ます。標高差があると体力の消耗があるので、等高線の曲がりの確認をする前に疲れてしまって中々等高線の変化を把握出来ないという事になったりするので、標高差がないエリアは程よい感じの山行となりました。前半はみたけ道の古道の猫坂の道形を確認しながら地形を読むという内容になり、猫坂からは地形だけを読みながらオリジナルのラインで登って下るというトライでした。


しっかり残った道形、金桜神社からのみたけ道の始まりです。奥秩父のエリアの昔の様子を考える上でとても参考になる資料「奥秩父 原全教(1900-1981)著」にこの場所はどう書かれているかというと、「沢を左に渡って間もなく瀧尾坂という小坂の上りになる。この右手下の澤には行者瀧というのがあって、その傍には籠堂もあるそうだ。」


「御嶽参拝を終えたならば金峰参詣の山道になるのである。黒平の部落まではまだよい路であるが、瀧尾坂、猫坂(ねっこさか)の二坂を越さなければならない。」
金峰山に至るみたけ道、里宮の金桜神社にお参りした後、いよいよ金峰山に向けて、まずは猫坂という峠を越えて黒平の集落に向かいます。猫坂の峠までに瀧尾坂と猫坂というきつい登りが二ヶ所あるという事です。その瀧尾坂というルート、沢沿いと左の小尾根を越えるルートと二つのルートがあります。小尾根のルートの峠上にある石祠です。


立派な石祠。正面の鶴の彫り物は見事です。


小さな峠を過ぎて、沢に戻ります。沢の名前は御嶽沢。道を維持するための石垣。


古道の道形と地形を、地形図で確認しながら進みます。金峰山講の人々、山仕事の人々、黒平集落の人々の生活道路だったわけなので、こんな掘られたような道形です。


猫坂という峠の石祠。


峠の北の馬頭観音。


峠の北からは、金峰山をはじめとした山々の素晴らしい展望。左の尖ったピークがみみ石


猫坂の峠周辺は、ヒノキの植林が枝打ちされてだいぶ明るくなっていました。北側から見た猫坂の峠、南を向いて撮った写真です。


金桜神社からのみたけ道の古道を辿って猫坂の峠まで来ました。なんとなく昔の道形を辿ったわけではなく、ポイントで地形と地形図を照らし合わせながら、地形図上で自分たちがどこにいるかと確認作業をしながら登った峠。目的地に着いたからそのまま来た道を帰るのでは面白くないので、古道を外れて地形を見ながらオリジナルのルート取りを考えて実践するという事をやってみました。後半戦です。写真の奥のピークは地形図に登場する1233.8mの三角点です。猫坂の峠の南東にある三角点は尾根が繋がっています。直線で約1㎞。標高差があまりない中で繋がった尾根が左右に曲がりながら続きます。


黒平に向かう林道をまたぎます。


注目された等高線。尾根地形を表す等高線の曲がりと、沢地形を表す等高線の曲がりが隣り合っているというなんとも珍しい場所。ピカチュウの鉛筆の先端で示している等高線。


到着した三角点1233.8m。この三角点、三角点名が「大森」、明治37年5月に設置された三角点でした。登山道のない山で判断の基準となる三角点なので外せない情報です。


三角点から西にみたけ道に戻るために辿った尾根。途中の林道に出るところが急傾斜で、安全のためにロープを使って懸垂下降をしました。限られた道具で、慣れない懸垂下降を安全にしていただくという事は、登山技術が凝縮しています。確実な方法でという意味で。


こんな傾斜の林道の法面で懸垂下降をしていただきました。


瀧尾坂の悪場、帰りは沢沿いの道を帰りました。この案内板、郷愁を感じて好きなのですが、あまりに大雑把で面白いです。金峰山までの道のりはとても遠いんです。


金桜神社に近い、車を停めた所まで帰ってきて山行終了。地形が複雑なところで、地形の変化と等高線の変化を照らし合わせた一日の終わりです。お疲れ様でした。


尾根を赤、沢を青、トレースしたルートを緑で色付けしてみました。傾斜があまりなく複雑な地形を歩くときは、予めこんな準備をしておくと地形が読みやすくなったりします。


2017年3月4日土曜日

安倍城址

 静岡市の北西、いちばん近い里山の安倍城址でガイドでした。静岡県教職員互助組合の皆様と南北朝時代の山城跡、安倍城址と言われる標高435.2mの山頂までご一緒しました。安倍川の河口に近い西にある山です。登山口の洞慶院というお寺は曹洞宗の古刹。


静岡でも有名な梅園があります。およそ800年前の鎌倉時代に道元禅師が起こした曹洞宗。その開祖道元禅師が梅の花を愛でたという事にちなみ梅の木を植えるようになったという事だそうです。


梅園を歩くとほのかに梅の香りが漂っていました。まさしく春の香りでした。


「おかんじゃけ」お寺の軒先にぶら下がっているのが、この地域独特のおもちゃ(昔の話です。)。真竹の若竹の片方だけを叩き潰して、繊維だけを糸状にしてさらし、色付けしたものです。女の子は櫛ですき、いろんな髪型を模し、男の子は采配や相撲の軍配に使っていたそうです。


杉などの植林地にアラカシやシラカシの樹々。整備された登山道ではあったものの根っこが露出して歩きにくい登山道。


スダジイの大木。シイノキとも呼ばれるブナの仲間の木。山梨にはありません。でも三角なドングリはいけます。数あるドングリの中でピカイチにおいしいドングリなんです。以前クヌギやシイなんかのドングリをフライパンで炒って食べてみたことがありました。自然の中には山梨には生えていないスダジイですが、県立美術館に2本植えられています。ダントツにおいしいドングリがスダジイです。他は全くいただけませんが、マテバシイという細長いドングリもちょっとおいしいです。


安倍城址山頂。


駿河湾、日本平、伊豆の山々が見渡せました。


山頂石碑


山頂の名前、ここは古い山城だったので「安倍城址」と一般的には呼ばれていますが、三等三角点の店名は「羽鳥」でした。これはふもとの集落の名前です。ちなみに、三角点標石の三角点と彫られた面は、普通南に向いていますが、ここのは北を向いていました。明治17年に設置されているので比較的古い三角点です。


途中富士山がバッチシ見えました。


急な下り。里山が侮れないという事を思い知らされた激下りでした。足元がおぼつかない方はロープで確保しました。それでもこの急斜面では、ミカン畑や銀杏畑(イチョウ)、バショウなんかが植えられていて、こんな条件の厳しいところでも耕作されていたという、先人の営みがわかりました。


放棄されたミカン畑。参加者に方々は静岡県民の皆さんです。皆さん耕作放棄されたミカン畑のミカンは採ったりしませんでした。それが静岡の常識なのかな?僕は落ちていたミカンを食べてみました。完熟でおいしかったです。このミカンをせっせと食べているのは猿のようでした。たべ散らかされた皮がいかにも獣という感じでした。


お疲れ様でした!帰りの新東名から見た富士山、山梨からの富士山とは違う形でしたが奇麗でした。


2017年3月2日木曜日

天狗岳

またまた天狗岳です。稲子湯からのアプローチ。小海町新開からの眺め。


稲子湯の上の駐車場。ここまでしっかり除雪されています。左の林道は地面が露出しています。確実に春がやってきています。


と言いながらも、登山道に入って横断する林道はテカテカ!この時期ならではでしょう。暖かい日があって、解けて凍って、少しずつ春になるという事。


リスがいます。写真のほぼ真ん中です。お食事タイムなのか、シラビソ小屋の前は大繁盛でした。


カラ類ではない野鳥も登場。遠かったので鮮明ではありませんが、ウソという噓みたいな名前の野鳥です。結構会いますよ、山の中でフィー、フイーという鳴き声はウソです。写っているのはウソのオスで、頬が赤いのでよくわかります。


稲子岳とミドリ池。


中山峠に向かう途中のダケカンバの若木の森。この感じ大好きです。


登山道わきの雪の様子。溶けては凍りという事を繰り返す自然の様、そのまんまです。


手前の斜面が登る斜面の傾斜を表しています。ここでは45度くらいでしょうか?中山峠に近づくと50度から55度くらいの斜面の傾斜になります。


その急傾斜をこなすと中山峠。この標識がジャ~んって感じで安心します。


見てくださいこの青い空と雪の山。


遠く北アルプスが丸見えでした!


東天狗に登る斜面の雪庇。こんなもんじゃないでしょう、今から数Mは発達すると思います。なので、どこを歩くかという事は注意してください。雪庇が崩れる際を登って、落ちたという話もあります。


雪面の様子。何も考えなくてもアイゼンをつけていれば山頂に導かれるトレース。


西天狗。


東天狗から先に進む稜線。短いですがかなりやばい稜線です。


万が一のために雪面でのアンカー構築というのもやってみました。スリングとピッケル使用。ロープを使うために支点を作るという事です。


帰りも、このダケカンバの若木の森にホッとしました。