2019年10月29日火曜日

光岳周回

なんか出そうなくらいの写真でごめんなさい。暗くなって到着して、翌朝暗いうちに出発したのでこんな写真しかありません。遠山郷の池口集落の林道の終点にある池口避難小屋です。湿気が多くカマドウマの住処になってはいましたが使える避難小屋でした。1泊2日で光岳を登るという山行です。日本百名山光岳というオーダーでした。最短で確実に光岳に登って帰るっていうのは遠山川の易老渡からのピストンという事になるんですが、ちょっと工夫すれば山の楽しみが倍になる感じの山行の実践が出来たことは、オーダーいただいた方の協力に感謝でした。易老渡をあさイチでスタートするためには遠山郷に前日の夜に入る必要があります。易老渡のピストン以外の選択は光岳から池口岳まで行って終了という展開、下山口に車をデポしてスタートということです。


池口避難小屋に泊まった翌日は、暗いうちから芝沢ゲートに移動して登りはじめました。写真は芝沢ゲート先の崩落した林道の写真です。林道の迂回ルートから撮った写真。


易老渡です。遠山川のルートの説明をします。光岳の最短ルートは遠山郷からです。遠山川の林道は北又渡の発電所までは車で行けます。発電所から芝沢ゲートまでは車で5分、仮に北又渡までしか行けなかったとしても芝沢ゲートまで歩いて20分くらいなので、なんだかんだ言っても易老渡まで1時間半見とけば先の計算が出来ます。光岳までの最短ルートが遠山郷です。


易老渡からひと登りの面平。ホッコリ出来るところです。単調に思える易老渡からの尾根道でも地形図を照らせば変化はわかります。それを確認しながら登るってのも登山技術です。


易老渡からの登りは樹林帯だけど、一瞬遠くが見えたりします。光岳が見えました。


いっつも思う易老岳はこんな悲しい山頂。相手にされてない感じがかわいそうな山頂です。展望確保のためなのか樹が伐採されたままで放置されていて山頂を探してしまいます。


三吉ガレ。西側が開けます。


複雑な地形でスッキリしていない三吉平は三吉ガレの次に登場します。東の尾根の紅葉が良かった!


三吉平から静高平への登りは冷静になってほしいところ。冷静?地形図を見れば展開が理解できるので、何がどうしてどうなるって理解して登っていただきたいところです。沢地形と標高差を理解した上で登ってください。おススメの読図です。


夏の間はすこぶる頼りになる静高平の水場。全く枯れてました。残念!!


静高平を過ぎれば別天地。


しっかり登ってこれたのでイザルガ岳までピストン。


じっくり見入ってしまうダケカンバの枝ぶり。よほど険しい環境を物語る凄まじい屈曲の枝ぶり。


イザルガ岳の大展望。それを感じることが出来た天気!


センジヶ原の奥に光岳小屋の屋根が光って見えます。


光岳小屋到着。もう小屋じまいしていて冬季開放されていました。今年はいつもより早く9月の中旬には閉まった小屋。小屋番さんが変わるということですがまだ決まっていない様です。来年はどうなるんでしょう?


翌日が悪天だということで頑張って山頂をピストン。


もちろんテカリ石にも行きました。光岳の名前の由来の光石てかりいし。


さ~て、静高平で水を確保できなくて残念だったということなんですが、山頂から小屋に戻って水場に向かいます。かなりの覚悟が必要です。光岳小屋の水場は小屋の東の信濃俣の源流、往復で20分というコースタイムですが、びっくりするくらいの傾斜です。


写真はやさしい感じですがとんでもない!怒涛の下りと登り返しが待ってます。


小屋じまいの後でもしっかりあふれ出ている水場ですが、往復が半端ないアルバイトです。覚悟して水取してください。水は確実です。


光岳から池口岳までも長い道のり。早朝からの行動です。光岳からの加加森山。


加加森山山頂の三角点。


整備はされている登山道。


加加森山南の気持ちのいい稜線。


倒木帯手前の写真。


鹿の平の草原と池口岳。


池口岳手前の紅葉。


池口岳ジャンクション。ここにザックをデポして池口岳北峰をピストンしました。


池口岳登山口への長い稜線が見えました。まだまだずっと長い尾根を辿ります。


テントを張れる場所は複数あります。


ザラナギといわれる崩れ。


尾根上にあった宮標石。


黒薙の崩れ。


黒薙の西の美しい尾根。


長い尾根を池口集落上の登山口を目指します。


山の神


池口集落上の池口岳登山口。


2019年10月28日月曜日

東沢

東沢といえば奥秩父の初級の沢として有名です。西沢と東沢の二俣手前、田部重治の文学碑から書きはじめようとしてはたと気づきました。この田部重治(たなべじゅうじ 1884年明治17年~1972年昭和47年)の古典的名著「日本アルプスと秩父巡礼」を僕は読んでいない・・・
登山靴のイメージの田部重治碑にはレリーフがはめ込まれてました。


田部重治(たなべじゅうじ 富山出身 英文学者・登山家 1884年明治17年~1972年昭和47年)の日本アルプスと秩父巡禮は1919年大正8年に出版されました。前半は北アルプスの山行、後半は東沢を中心に笛吹川源流地帯が主役の、礼賛ともいえる自然美を表現しています。パートナーともいえる木暮理太郎との山行は、当時としては先端を行くものでした。まだ探検の時代といわれていたころ、案内人としての猟師や木こりを雇うことなく多くの山に登りました。図書館にあった日本アルプスと秩父巡礼のオリジナル。


ピークに立つために沢をチョイスして登ったという事ではない様です。文章を読むと、クライミングギアは登場しません。積極的に滝を登ったわけでもありません。逍遥という言葉がぴったりの指向でした。足元はワラジでしたし、調理は焚火です。


ホラの貝入り口。今年事故があったようです。


田部の時代にもあった左岸の道の様子。


山の神。ゴルジュが終わってこの先で河原になります。


晴れそうで晴れないビミョーな天気でした。


東のオツクエのドームが見えてます。鶏冠山のチンネの近くにある巨大なチョックストーン。


東のナメ。東沢の支流です。ここを詰めると鶏冠山です。


「'笛吹川をさかのぼる’
見よ笛吹川の渓谷は、狭まり合って上流の方へ見上ぐるかぎりの峭壁をなし、その間にたたえる流れの紺碧の色は汲めど尽きぬ深い色をもって上へ上へと続いている。」
日本アルプスと秩父巡礼の一節です。


大絶賛されている東沢の流れ。


まだちょっと食べるには早かった山ぶどう。


百年後の現在も美しい渓たに。


沢登りの醍醐味が削がれてしまう案内。要らないと思うのですがどうでしょう?


魚留の滝。


ここからが東沢釜の沢のハイライト。魚留の滝の手前で信州沢と金山沢と別れる釜の沢です。釜の沢を詰めると甲武信ケ岳に行きます。


千畳のナメ。


一枚岩の上をサラサラながれる沢水。


まだ少し紅葉には早かった。


田部重治たちが登った100年前はまだ名前もついていませんでした。千畳のナメという表現は文中にはありません。それぞれの滝の名前も出てきません。


両門の滝。左が西俣、右が釜の沢です。


広河原


東沢は山梨だと日帰りも出来ますが、忙しい山行は似合わないのであえて泊まりました。


焚火


翌日、広河原の終わりを教えてくれるケルン。


最後の二俣。多くは右に行って甲武信小屋の水源を通って稜線に出ますが、左に入りました。甲武信ケ岳にダイレクトで登れると思ったからでした。


意外にいやらしい滝が続きました。


地形図にも登場する崩壊地。


ガスって回りが良く見えないし、すんなりと山頂には行けないようなので左に逃げて、梓山からの登山道を使うことにしました。


すぐに出た登山道。当たり前ですが、道がないところを登ってくると登山道がとてもありがたいとよくわかります。


甲武信ケ岳山頂


甲武信小屋でトイレを借りて徳ちゃん新道を下りました。


長くて以外に険しい徳ちゃん新道。


となりの尾根の尖がりは鶏冠山のチンネ。