所属する静岡山岳自然ガイド協会の研修でした。研修担当者からのリクエストは沢登り。60~70人(会員数は推移します)の会員に研修内容が知らされ、希望者が参加するというだいたいの仕組みです。最近感じていること、ガイドとしての能力の中に山の総合力というのはどう捉えられているんだろう?言葉をかえて山屋としての能力、山の総合力を上げてガイド山行に生かしてもらいたい。そんな研修にしようと思って選んだのが甲斐駒ヶ岳でした。尾白川から黄連谷に入り千丈ノ滝上で幕営、翌日黒戸尾根の五合目に上がって黒戸山に登るという周回ルートでした。
甲斐駒の山頂に突きあがる黄連谷や尾白川本谷を登る場合、尾白川林道(廃道で車は通れません)を歩き鞍掛山の東に落ちる尾根を巻いたところから本流に下ります。
「尾白川渓谷道」は1921年(大正10年)に竹宇駒ケ岳神社から尾白川に沿って谷を遡り、黄蓮谷千丈ノ滝うえから黒戸尾根五合目に抜ける整備された登山道でした。1955年(昭和30年)くらいまでは使われていた尾白川渓谷道でした。竹宇駒ケ岳神社から不動滝までは現在も使われている遊歩道です。
日本独自の登山形態である沢登りは、登山のエッセンスが凝縮されています。整備された登山道では学ぶことのできないルートファインディング、基礎的な岩登り、ロープワーク、ゴーロでの歩き方など学ぶことは多く山の総合力が試されます。
本流に下ったらたくさん咲いていたシラヒゲソウ
花崗岩に同化したようなアズマヒキガエル。
女夫ノ滝。
滝つぼに落ちる奔放な水。
ロープの長さは決まっているので、全員を待っていたら時間が掛かって仕方ありません。万が一を考えながら安全第一ではありますがさらにフィックスロープを伸ばします。
エメラルドグリーンの滝壺と、次々に登場する滝。
どんどんフィックスロープを張りました。ラストが回収です。
あいにくの天気で青空どころではありませんでした。雨具を着たり脱いだり。雨量はたいしたことはなかったものの、寒い寒い沢の中。
遠見滝。右岸を高巻きします。ほぼ登れない滝は左右どちらかから巻くのですが、滝の左右、樹が生えてはいますが岩壁です。巻くと言っても簡単ではないんです。
カメラがだいぶくたびれていてピントがなかなか合わない・・・
4本の溝が見えてます。尾白川渓谷道の痕跡です。滑りにくいように削られた溝が歩幅に合わせて前方に刻まれていました。
獅子岩と三斜滝。
黄蓮谷に入ってすぐの滝は登れないので、左側を巻きます。トラロープの残置が張られていますが、足元の草付きが削げ落ちてるのでフィックスロープを張りました。
暗くなる前に到着した白稜の岩小屋。五丈の沢右岸のこの岩小屋は「千丈の滝岩小屋または白稜の岩小屋」と呼ばれています。天井は低いものの谷に面した洞穴状の部分は10人以上泊まれます。川砂の床は柔らかです。
お疲れさまのHave a Beer!
やっぱりカメラの調子がイマイチで、光が足りないところはろくな写真は残せませんでした。翌朝の光で岩小屋の中から撮った一枚。
こんな感じの岩小屋です。無理なく10人くらいは泊まれる、とても快適な白稜の岩小屋です。
五丈の沢から見えた坊主岩。
たくさんのダイモンジソウが咲いていました。
全体を通じて尾白渓谷道の痕跡はほとんどありません。黒戸尾根五合目に登るにしても、五合目から黄連谷に下るにしてもかなり難しいです。
五合目に近づくと今でも残る登山道に出ます。
五合目小屋があった平坦地。山頂に行く時間は無いし、そのまま下ったのでは面白くないので黒戸山に向かって地図読みです。
地形図を見ながらそれぞれの意見を出してもらいました。等高線の変化を把握して、どういう狙いで黒戸山の山頂に行くか?そしてどう登山道に戻るか?それぞれの意見を統一して黒戸山に向かいました。
右奥が祠のある甲斐駒山頂です。天気が良くなりはっきり見えました。
黒戸山山頂の三角点柱石 点名「黒戸山」
下山後に寄った甲斐駒資料館。
国道20号から入ってすぐのシャルマンワイン敷地内にあるこの資料館は、東京白稜会の半世紀以上にわたる甲斐駒での記録や、甲斐駒にまつわる書籍、絵画、写真などが展示されています。ワイナリーにお願いすると閲覧できます。
東京白稜会は1945年10月(昭和20年)創立の東京都山岳連盟加盟の社会人山岳会。
0 件のコメント:
コメントを投稿