東沢といえば奥秩父の初級の沢として有名です。西沢と東沢の二俣手前、田部重治の文学碑から書きはじめようとしてはたと気づきました。この田部重治(たなべじゅうじ 1884年明治17年~1972年昭和47年)の古典的名著「日本アルプスと秩父巡礼」を僕は読んでいない・・・
登山靴のイメージの田部重治碑にはレリーフがはめ込まれてました。
田部重治(たなべじゅうじ 富山出身 英文学者・登山家 1884年明治17年~1972年昭和47年)の日本アルプスと秩父巡禮は1919年大正8年に出版されました。前半は北アルプスの山行、後半は東沢を中心に笛吹川源流地帯が主役の、礼賛ともいえる自然美を表現しています。パートナーともいえる木暮理太郎との山行は、当時としては先端を行くものでした。まだ探検の時代といわれていたころ、案内人としての猟師や木こりを雇うことなく多くの山に登りました。図書館にあった日本アルプスと秩父巡礼のオリジナル。
ピークに立つために沢をチョイスして登ったという事ではない様です。文章を読むと、クライミングギアは登場しません。積極的に滝を登ったわけでもありません。逍遥という言葉がぴったりの指向でした。足元はワラジでしたし、調理は焚火です。
ホラの貝入り口。今年事故があったようです。
田部の時代にもあった左岸の道の様子。
山の神。ゴルジュが終わってこの先で河原になります。
晴れそうで晴れないビミョーな天気でした。
東のオツクエのドームが見えてます。鶏冠山のチンネの近くにある巨大なチョックストーン。
東のナメ。東沢の支流です。ここを詰めると鶏冠山です。
「'笛吹川をさかのぼる’
見よ笛吹川の渓谷は、狭まり合って上流の方へ見上ぐるかぎりの峭壁をなし、その間にたたえる流れの紺碧の色は汲めど尽きぬ深い色をもって上へ上へと続いている。」
日本アルプスと秩父巡礼の一節です。
大絶賛されている東沢の流れ。
まだちょっと食べるには早かった山ぶどう。
百年後の現在も美しい渓たに。
沢登りの醍醐味が削がれてしまう案内。要らないと思うのですがどうでしょう?
魚留の滝。
ここからが東沢釜の沢のハイライト。魚留の滝の手前で信州沢と金山沢と別れる釜の沢です。釜の沢を詰めると甲武信ケ岳に行きます。
千畳のナメ。
一枚岩の上をサラサラながれる沢水。
まだ少し紅葉には早かった。
田部重治たちが登った100年前はまだ名前もついていませんでした。千畳のナメという表現は文中にはありません。それぞれの滝の名前も出てきません。
両門の滝。左が西俣、右が釜の沢です。
広河原
東沢は山梨だと日帰りも出来ますが、忙しい山行は似合わないのであえて泊まりました。
焚火
翌日、広河原の終わりを教えてくれるケルン。
最後の二俣。多くは右に行って甲武信小屋の水源を通って稜線に出ますが、左に入りました。甲武信ケ岳にダイレクトで登れると思ったからでした。
意外にいやらしい滝が続きました。
地形図にも登場する崩壊地。
ガスって回りが良く見えないし、すんなりと山頂には行けないようなので左に逃げて、梓山からの登山道を使うことにしました。
すぐに出た登山道。当たり前ですが、道がないところを登ってくると登山道がとてもありがたいとよくわかります。
甲武信ケ岳山頂
甲武信小屋でトイレを借りて徳ちゃん新道を下りました。
長くて以外に険しい徳ちゃん新道。
となりの尾根の尖がりは鶏冠山のチンネ。
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