山登りでした。
登山、登ってみたい山があります。その山のことをいろいろ調べるわけです。コースタイムとか標高差とかポイントはどうとか。今はネットで簡単に調べることが出来ます。予定のコースをあらかじめ写真付きでシュミレーション出来るわけですから便利な世の中です。それでも予定のコース上のこまかな地名とか、歴史、植生なんかを調べる時にネットではわからないこともあります。そんなときに古い山の本や市町村誌がこのブログの中でも度々登場します。
たいら山は中央市が平成23年(2011年)に公募して山名が決まった山です。中央市広報
地元の自治体が、たいら山としたんだからそういうことになって行くのでしょうが、僕は何となく釈然としません。僕が釈然としないことはお角違いなのかもしれませんが、もともと「茶屋平」とか「まないた山」と呼ばれていたはずなのに、それらはどこへ行ってしまうのでしょうか?
真っ白な北岳遠望
地図読みで選んだ山でしたが、この時期あまり向いていないというのは反省でした。北斜面なので雪がしっかり付いていたこと、このルートのハイライトともいえる「山神社」「千本桜」よりも、尾根の向こうの芦川側の毘沙門堂に意識が行きすぎていたこと・・・欲張ると良いことはありません。
立派な案内板がありました。「山神社」、さてどう読むか? 「やまのかみしゃ」というのが正式のようですが、「やまのかみ」と短くいうのが普通のようです。一般的に山の神というと、山仕事で山に入る人たちが、山での安全と豊かな恵みを祈念するというイメージです。だから登山口から入ったところに石祠があったりするのです。ここも基本的には同じだそうです。ではなんでこの山神社がこんなに立派なのか?なんでも昔、ここ修行の場所で、修行で徳を積んだ人もいるくらいだから霊験あらたかで、御利益満載だろう!と人気になったそうです。
町目石
参道の距離を示すために建てられた標識です。一丁(町、約109m)の長さを単位として建てられているので、町目石ちょうめいし、丁石ちょうせき、あるいは町石ちょういしといいます。
かわった鳥居と立派なしめ縄
町目石、古いもので嘉永年間(明治が始まる15年くらい前)、一番新しいものは平成の時代でした。
`ボタンヅル’のたね。
たんぽぽの綿毛と同じで、羽がついた種を遠くに飛ばすための装置です。夏には白い花が滝のように咲くそうです。冬枯れの中でもまるで花が咲いているように見えました。
展望台
甲府盆地が丸々見えました。もちろん、南アルプス、八ヶ岳、奥秩父、大菩薩連山、山座同定です。
山之神社
本殿の裏には、修行に使った金剛杖なんかが置かれているそうです。御神木は樹高25mの杉の大木。写真の鳥居の右の大木はイヌシデという木で、幹にいくつもの瘤こぶがありました。
前日に見たGoogle Mapの航空写真、稜線上が白く映し出されていて不安が的中・・・県営林道大鳥居線が延長されていて、山神社の南がズタズタになっていました。林道から見るたいら山
たいら山931.9m三角点名が「クイツトウ」
三角点の標石を捜しましたが、結局見つかりませんでした。代わりといっては何ですが、下の標石がありました。判読しがたい字が刻まれてはいましたが、どうも恩という感じが読み取れたので恩賜林関係のものでしょう。
穴だらけの枯れた木
大峠の平らな山頂を確かめて、時間切れで下山となりました。展望の山でもありました。御勅使川みだいがわ扇状地もよく見えました。
ヤドリギ
落葉樹の木に寄生し、その幹から養分などを吸い取って生息する。茂みは枝と葉っぱの固まり。ターゲットにされるのは、桜、ブナ、ケヤキ、ミズナラ、コナラ、榎えのき、ヤマナシ、栗など。
もう一度景色を堪能して下りました。
御坂の山々は御坂山塊とか御坂山地とか表現されます。実は御坂の山々を表現するのに多少戸惑いがあります。山を高い順に言えば、御坂黒岳から西に三方分山を経て蛾ヶ岳に通じる尾根が主稜線になるのですが、では今回のたいら山を主稜線の北の尾根にある山というのも無理があるし(標高は低くても長い尾根ですから)、なんかしっくりきません。
参考までに「甲斐の山山 小林経雄著 平成4年発行 新ハイキング選書第13巻」という本があります。とても参考になる本で、序章には「位置、地形、地質、植生、林相、眺望、山名由来、その山にかかわる歴史などを客観的に記述するよう心がけた」という言葉通りの本です。間違いがほとんどなく、ここに書かれた事柄がスタンダードになっています。
小林経雄さんは御坂の山を芦川を使って表現しています。芦川は御坂黒岳を源流に西に流れ富士川に注ぐ川です。芦川の南側山稜(御坂黒岳から蛾ヶ岳)、芦川の北側山稜(御坂黒岳から釈迦ヶ岳、滝戸山、たいら山などを起こして身延線の芦川駅まで)という表現です。
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