芦川南側山稜の南の斜面に点在する集落、沢、三ツ沢、八坂、折門、御弟子、これらの天空集落を地図読みをしながら一周出来ないかな~と考えていました。2週間も前に決めたこの日はあいにくの天気・・・山間部では20cmの積雪予報・・・日をずらしても好天の保証なんてないし、あえてこんな日に行ってみれば想像もしない景色に会えるかも!?なんて感じの出発の朝でした。
国道52号戦線かなら 四国300号線道、県道道416号線と走り、「沢」集落です。
二万五千図「市川大門」を切り取って、登り始めのポイントと、とりあえず目指す三ツ沢峠のポイントを赤で示しました。わかりにくいかもしれませんが、登山道の整備されていないところを歩く時、どんな風に考えるかというのを書いてみます。左の●の左が「沢」集落。ここからスタート。左の●から794m標高点を通って左にカーブしながら尾根を登って行くと右の●に着きます。右の●は三ツ沢峠です。
左の●で反木川が分かれます。それぞれの沢沿いに林道があって、右の沢の林道を行くと三ツ沢集落。左は八坂集落方面です。ふたつの沢の真ん中にある尾根を登り(この尾根の最終ピークは、三方分山と釈迦ヶ岳のちょうど中間にあるトリノ山1297mです。)、三ツ沢峠に出たら三ツ沢集落をピストンして、八坂、折門、御弟子と回って、沢集落に下れば周回ルートになると考えました。
下の写真が尾根の始まりです。登れないことはないのですがすっごい傾斜です。右か左の林道をしばらく行ってから取り付こうかとも思いましたが、地形図の等高線を見る限り決定的な弱点がすぐ出てくる感じでもありません。そこで思い切って上の地図の●まで行くことにしました。尾根に上がってしまえば、傾斜があっても問題なく高度を稼げると考えました。とにかく尾根に安全に乗っかろうということです。●のところは沢地形ですが、このくらいだと滝が現れるサイズではないし、始まりがとても緩やかです。
ということをだいたい一瞬で判断します。分岐点から左の沢沿いに林道を進みました。左岸に付いた林道が、右岸に渡る橋のところが取り付きになる、地形図から読み取れることでした。
取り付きに決めた沢地形の場所は分かりやすくて、ちょうどスギの植林地の中にシイタケ栽培をしている所でした。シイタケのほだ木の間を抜けると、薄いけど仕事道が付いていてらくに尾根に上がることが出来ました。読みがばっちり当たりました。
尾根を詰めて、へこんだ昔の道が出てきたので三ツ沢集落に向かいます。地形図の徒歩道とは違ったトレールで、実際は真南に向かう尾根につけられたトレール。三ツ沢集落のずっと手前の平らな所に石祠が集められていました。山伏屋敷というのだそうです。昔、山伏、つまり修験者がここに住んでいたという言い伝えから、地元の人がそう呼んでいるということでした。
三ツ沢集落
三ツ沢集落からまた登り返して、三ツ沢峠に来ました。古い標識が三方分山と八坂の方角を示しています。渋いベンチと石祠がひとつ。
北西斜面の峠道、道形は少し心もとなくなりましたが、はっきりわかります。途中に馬頭観音あり。
今回ご一緒したのは甲府のアウトドアショップ SUNDAY の石川幸之助さん。
八坂の大ミズナラ推定樹齢450年
作業小屋。反木川の源流に近い場所に建っています。出来上がった炭を貯蔵したり、俵に入れたり、そんな作業小屋だったそうです。
三ツ沢峠から沢のトラバース道と小尾根を越えたら、林道林道折八古関線に出てしまいました。この頃雪の降り方が激しくなり、どうしたものかと、どんどん林道を歩いて行くと八坂集落に着いてしまいました。林道折八古関線があるおかげで、、車で来ることが出来ます。なんと人がいらっしゃいました。
今福太喜男さんです。
激しく雪の降る中、家の中で休ませていただいて、天空集落のいろんなお話を聞くことが出来ました。今福さん、お世話になりました。先ほどの山伏屋敷や作業小屋のお話も、今福さんに教えていただいたことです。
林道折八古関線が出来る前、生活物資や山での生産物の運搬に使われていた「索道小屋」です。この900mの集落とふもとをワイヤーロープで結んで、物資の上げ下ろしをしていました。標高差は250mくらいでしょうか。
今福善九郎浄閑(じょうかんさんと今福さんは言っていた)という武将がこの地に来た時から、八坂の歴史が始まったということになっています。寛永19年(1642年)9月7日行年84歳と彫られていました。林道折八古関線が出来たタイミングでつくられた墓石だそうです。
今福さんはこの地で天空菜園という宿泊施設をやっています。
素泊まり1800円(寝具付き)、シャワーあり、日帰りバーべキュウー可、自家製炭使い放題
なべ食器は完備されていて、食材を持ちこめばOK、カラオケ完備歌い放題OK、山の生活指導OK
冬以外は営業しています。
次は折門集落を目指します。
10年位前に近所に住んでました
返信削除懐かしいですね