2016年7月6日水曜日

千国街道

新潟県糸魚川市、大糸線の平岩駅です。大糸線はJR中央線の松本駅から、新潟県糸魚川市の糸魚川駅に至る鉄道です。雨の蓮華温泉から敗退して、20㎞の山岳道路を下りてくると国道148号線。時間もあるので以前から気になっていた「塩の道 千国街道ちくにかいどう」を見ながらの帰路。


平岩駅から車を走らせ、全く活気のない駅前通りで目に飛び込んできた「ウェストンの宿」?


日本近代登山の父と言われるウォルターウェストン(Walter Westonイギリス人宣教師)が、白馬岳に登った際に、ふもとの宿として当時の町長中倉利忠治の家に泊まったということのようです。案内板に書かれていた内容「イギリスの登山家であり、日本近代登山の父と言われるウェストン(1861~1940)が宣教師として、日本滞在(1888‐1894)中の1894(明治27年)7月20日、直江津から糸魚川、親不知に立ち寄った後、白馬岳登山の途中この地に宿泊しました。一行は山崎巡査、ハミルトン、、浦口文治そしてウェストンの4名でした。この時に宿泊したのが、当時小滝村の村長であった中倉利忠治宅です。当時、利忠治りちゅうじは留守で、一行は蓮華温泉を経て7月23日に白馬岳登山に成功し、翌24日正午過ぎ再び中倉利忠治宅を訪ねています。・・・」

奥が深い日本の登山史の一端です。ウェストンパーティーの行動がわからないので何とも言えませんが、なぜ白馬方面からではない白馬岳なのか?大糸線が全線開通するのが1957年(昭和32年)、ウェストンの白馬岳登山から63年も経ってからです。当然、塩の道 千国街道との絡みもありそうです。ウェストンの足跡を見るとこの山行は日本海の親不知から始まって、蓮華温泉ベースで蓮華温泉鉱山道ルートの往復、下山後松本から笠ヶ岳に向かっています。白馬岳の名前の由来にも係わる感じですが、当時は新潟からの呼び名として「大蓮華岳」が白馬岳だったようです。ん~ん、深いです。


話を戻します。「塩の道・千国街道」は、新潟県糸魚川から長野県松本まで(約130km)の古道です。『敵に塩を送る』という故事は、戦国時代、越後の上杉謙信が敵方の甲斐の武田信玄が困っているときに塩を送って助けたというもの。新潟などの日本海の塩が信州へ運ばれて来た道が千国街道です。新潟県糸魚川駅から長野県松本駅まで11のセクションに分けられて整備されています。現在の国道を通過するセクションもあるので、純粋に山の中を歩くということではありませんが、捉えようによっては日本古来のロングトレールです。ナンバー4のセクションの大糸線千国駅前後は特にいにしえを思い起こさせるセクションです。

千国番所跡 入館料300円。




現在の通行手形、入場券。


番所は人々の往来や物流の監視をしていたところです。ここは移築して復元されて、史料館として公開されている千国番所です。千国は「ちくに」です。大きな集落の名前です。


こんな様子も復元されています。蝋人形にギョッとしました。


何だか時代劇そのものって感じです。


火縄銃もありました。


番所の機能というよりも、古物展示みたいなところはありました。昔の道具が所狭しと展示されています。大概こういった施設は時として時代を超越してしまいフライングのような気がするのは僕だけではないでしょう。それでもこの小さな火鉢のような道具で、どうやって熱燗をつけるのでしょう?


ダイナミックな梁


天候は大気の状態が不安定で、どしゃ降りになってしまいました。


塩の道です。各宿場にはこんな塩倉があったようです。


塩を貯蔵するわけですから、このお倉には釘が使われていません。


高床式の倉庫です。床下のはこんな表示「塩から出たにがりを溜めるところ」。無駄がありません。こんな藁を編んだ袋で塩を運んでいたということ。


史料館を後にして栂池を回って帰ろうと車を走らせました。そうしたら集落のはずれにこんな立派なものが・・・車を停めて確認です。


このあたりの馬頭観音の代表選手。リアルに漢字で馬頭観音と彫られています。


アスファルトにこんな文字が示されていました。


こんな標識も・・・


やはり馬頭観音。いくつもまとめられていました。


車は通れない昔の道が復元されている感じ。石畳もありました。


車を走らせて高台に来ると、昔の道の出口に遭遇。歩く人のために標識が設置されています。親坂という急な坂の始まりです。


小谷村沓掛の牛方宿。千国街道の物資の輸送を担っていた牛方や歩荷(ボッカ)が寝泊まりした宿。現存する唯一の建物です。街道の平坦なところは馬によって、峠越えなど山間部は牛によって、雪深い冬は人によって物資は運ばれていました。


栂池ゴンドラを中心にした賑やかなスキー場の脇を通って、集落のはずれで塩の道に再び合流。


国道148号線を北上して日本海に向う場合、松本、大町を過ぎて佐野坂から白馬村に入ります。佐野坂が分水嶺で、南は高瀬川から犀川、信濃川となります。北は姫川で糸魚川で日本海にそそぎます。白馬から北の姫川は暴れ川で、たくさんの災害をもたらしました。それもそのはず、糸魚川静岡構造線という大断層線に沿った川です。傾斜もあります。地滑りや崩壊地形のオンパレードです。塩の道千国街道から明治になって車道が出来ても、冬の間12月~4月までは通行止めだったなんてエピソードが物語る自然の驚異です。今回はポイントを車で回ってチェックしただけですが、全部とはいかなくても、千国街道の一部でも歩いてみたいと思いました。
日本三大崩れというのがあります。大谷崩れ(おおやくずれ静岡県)、鳶山崩れ(とんびやまくずれ富山県)、稗田山崩れ(ひえだやまくずれ長野県)、姫川の上流の一角が稗田山崩れです。

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